2月も終わる。

やはり書く習慣が一度途絶えてしまうと、なかなか定期的に書くのが難しくなりますね。
文字数は少しずつでも毎日定期的に書くようにしないと、状況は改善しないと分かってはいるのですが、難しいものです。
来月は何か書けると良いなぁ。。

では今月はこれにて。

1月が過ぎる。

遂に2017年ですが、このブログは相変わらずの更新頻度になりそうです。

一応はネタ的な軽いものを書く予定だったのですが、どうにも真面目な文章ばかり書いているからか、書いていても軽妙な感じが出ないんですよね。たまには馬鹿っぽい記事を書きたいところですが、困ったものです。

とりあえず今日のところは生存報告に代えて、という感じで。
ではまた来月。

大晦日。

いよいよ大晦日ですね。

今年は時間のやり繰りが難しくなった年で、色んなことが少しずつ後回しになった結果、幾つかのことを諦めるという展開が多かったように思います。

本なども読む量が減ってお恥ずかしい話ですが、自分が知りたい・楽しみたい作品は例年通りとしても、他者と情報を共有したい・話し合いたいと思うような作品を読む機会が減ったように思います。

それは世の流行りが本格的に解らないという悲しい事情も大きいと思いますが、書籍にしろ音楽にしろそれらの存在感が年々失われていって、軽い話題以上のやり取りを共有できるような作品が少なくなっている気がするのも大きいかもしれません。

とりあえず今年できなかったことを来年に反映させて、上手く時間を作っていきたいなと思っています。

本年もお世話になりました。
来年が皆様にとって幸多き年になるよう心より祈っています。

では今年はこれにて。

流れる星は生きている

去る今月15日に藤原ていさんが亡くなられたとの事で、彼女の代名詞とも言える作品「流れる星は生きている」について、以下で雑談のようなものを書き残しておこうと思います。


読んだのは随分前の事なので描写はうろ覚えですが、今も私の記憶に残っているのは、朝鮮人の青年と再会した時に「どうしてあなたはまだ生きているのですか」と尋ねられた場面です。

最初に読んだ時には「日本人だからだ」「日本人は強い」という子供っぽい感想を持ちました。藤原ていさんと同じ日本人であるという理由で、自分まで強くなったかのような事を思っていた記憶がありますが、子供ならそんな感じですよね。

同時に、その誇らしげな気持ちの中に朝鮮や韓国の人を見下す気持ちがあったかというと答えはノーで、今のように経済が停滞している状況とは全く違う上り調子の時代だったからこそ、「日本人は偉い」とは大人でも言っていましたが、それで別の国の人々を必要以上に見下すようなことは無かったと思います。

逆に当時の教養のある大人たちは、「朝鮮の人も凄い」という認識も持っていたように思います。今にして思えば、彼らは朝鮮のかなり上層の人達を指して言っていただけで、中流以下の人達の事は歯牙にも掛けていなかったと思うのですが。どこの国でも民族でも優秀な人はやっぱり優秀なのだと彼らは考えていたように思いますし、そうした人々を育んだ秘訣を学ぶ事に貪欲だったと思います。


何故か話が変な方向に進んでいますが、ついでなので最近は巷で話し難くなったこの話題を少しだけ続けます。経済成長によって韓国が豊かになった事と、ネットの発達で情報の行き来が飛躍的に増大した事、そして日韓W杯を経て交流が一段と進んだ事で、我々は彼の国の一般大衆の言説に惑わされる機会が激増して、すっかり関係が拗れてしまっていると思います。

私も最近は半島に関する話題を外で持ち出そうとは思いませんし、むしろ可能な限り避けているのが正直なところです。言い方は良くないですが、現状はあちらの中流以下の方々の暴論が行き過ぎた結果だと思いますし、しかしそれは先進国が等しく経験してきた事でもあります。

我が国においても、田中角栄と福田赳夫が総理を争った頃に岸信介が田中を「幹事長としてはピカイチだが総理になるには教養が足りない」と評したそうですが、その田中が総理の座を射止めた辺りが「大衆の反逆」の時期と考えて良いように思います。もちろん角栄の功績はそれとは別にあり、そしてオルテガが想定しているように、大衆か否かエリートか否かは、生まれではなく個人の内面によって判断されるべき事ですが。

こうした傾向は近年、世界の各地で以前よりも更に悪化している印象があります。それに対処し備えるには、やはり個人として培った強さというものが求められるように思いますね。


話を作品に戻します。その後は再読の機会がなかったのですが、上記の場面は時間を置いて時折私の頭の中に蘇ってきて、色々と考えさせられたものでした。

作品では確か、青年の顔つきが以前とは違うと作者が受け取っていたように思います。過酷な戦争の体験が一人の青年の精神を蝕んだ結果だと思いますが、彼の様相を変えてしまった背後にあったものについて考えさせられました。それは、作者が故郷の長野に戻るまでの道中が克明に記されているからこそ余計に、暗い印象を抱かせるものでした。

時間は万人に平等なようでいて実は不平等なもので、ある人が決定的に「時を重ねてしまった」状態に至るのに、長い場合は数十年かかりますが、それが一瞬で終わってしまう場合もあります。そんな人達の事を考え、そしてそうした方々と対峙した場合のことを考えた事は、自分の中での財産になっていると思います。


子供の頃に受けた印象についても、その後に何度か再考しました。日本人が偉いか偉くないかという議論とは別に、ただ単純に藤原ていさんが偉かったという事を受け止めたり。その上で、自分が何をこの作品から得るべきなのかを考えたり。

結局のところ話は単純で、それは個人の価値というものに行き着くのだと思います。作者は正彦ちゃん(作中では2歳なので何となくこう呼んでしまいます)が結婚された時だったか、義理の娘に「もし徴兵が復活したら、正彦の腕を斬ればいい」と告げたといいます。そう迷いなく言い切れる強さと狂気は彼女の中でずっと生き続けて、そして我々に何かを教えてくれているように思います。


ある意味では残念なことに、現在は冷戦期とは違って、日本に生まれたというだけで恵まれているとは言い切れない時代になっています。GDPの規模こそ大きいものの時間当たりの労働価値は以前からすれば考えられないほど低くなり、もはや日本人は偉いなどと言い出し難い状況になっています。

上述したように、藤原ていさんが凄い人だった事と、彼女が日本人だった事とは、我々が凄い事の何らの証左にもなりません。

しかし、彼女が書き残したこの作品を日本語で読める事は我々にとって何よりの恵みであり、個人の精神を涵養する際に我々を大いに手助けしてくれる作品だと私は思います。

この作品がこれからも若い世代に読み継がれて行く事を願いつつ、故人の逝去を悼み謹んでお悔やみを申し上げます。


以上、今日はこれにて。

テーマ : 読書 - ジャンル : 小説・文学

ランチと美術

もう少し気軽な内容を書いて更新頻度を上げようと思っていたのに、既にもう月の半ばを過ぎているのが困ったものですが。先日のおでかけのお話。

まず昼食は東山二条のイオン横にある洋食イノツチ。カウンター席のみの小さなお店でしたが、料理好きの友人宅でご飯をお呼ばれしているような雰囲気で良かったです。

その後、京都国立近代美術館にてメアリー・カサット展。先月のデトロイト美術館展に比べると来客数が少なく、落ち着いて見て回る事ができました。また、特別展としての内容でも、一人の画家に焦点を当てた作品群を一望にできるので理解や気付きが得られやすく、110点という数も満足のいくものでした。ちなみにデトロイト美術館展は52点でした。

その後は軽くお茶を飲んで帰宅。こうした余暇のような時間を過ごせると、それだけで気分が違ってくるのが良いですね。

以上、今日は簡単にこれにて。

9月も終わり。

一ヶ月が経つのは早いですね。

今月は大阪市美術館にデトロイト美術館展を観に行きました。
人が多いのが少し辛かったものの、総じて分かりやすいラインナップで良かったと思います。
詳しくない人には「この画家はこんな風な作品を描くんだ」と理解してもらいやすく、詳しい人にはいくつか並べられた諸作品の相違点から新たな気付きを得られやすい展示だったのではないかなと。
日によっては館内が撮影可能になっていた辺り、時代の変化を感じました。

家でPCに向かって長文を書くのが面倒な今日この頃なので今月もこんな手抜き記事ですが、先月の記事に拍手をもらった事を言い訳に、開き直って書いております。
こんな風に気軽なことを書くのも、たまには良いものですね。

ではまた来月。

暑いですね。

日本の夏がクーラーが無いとどうにもならない状態に至ったのは、振り返るといつ頃からだったんでしょうね。
今や夜の室温が30度を超えていても全く驚かなくなりました。
そんなわけで今月は可能な限りリビングで過ごしていたのでサボりです。
ではまた来月。

都知事選と参院選。

今月は都知事選と参院選がありましたが、年々書く気がなくなって行く悪い流れが何とかならないかと思いつつ、今後は更に酷くなりそうで困ったものです。政界だけでなく、色んな分野で人材不足&それにもかかわらず求められる能力は上がり続け見返りは少なくなり続けるという、当分続きそうな傾向が早く終わって欲しいものですね。。という事で、以下雑感。


■都知事選

勝負に出た小池さんが見事な勝利を得たと言うべきなのか、対抗馬となるはずだった有力候補二人がどんどん自滅して行ったというべきか、難しいところですね。とりあえず対外的には、初の女性都知事でカイロ大学卒という経歴やアラビア語にも堪能という個人の資質は受けそうですが。国内的には「女性のくせに俺より優秀なんて認めん」的な女性蔑視の発想から来る感情的な反発に苦労しそうです。

増田さんは自民・公明から公認を得たのに身内からの支持が広がらず、岩手県知事時代の手腕が問題になっても日本創成会議での提言内容に疑問の声が上がっても納得のいく反論がなく、個人的にも中公新書の「地方消滅」は問題提起の部分はそれなりでしたが対策の話になるとイマイチという印象でしたので、色々と足りない部分があったという結論になりそうです。尤も、個人で劣っても組織で巻き返す可能性はあったはずですが、自民党支持層ですら小池さんに投票した人の方が多かったという現実がなかなか切ないですね。

鳥越さんは野党統一候補という時点で個人的には意味不明でしたが、直前の参院選で与党が信任を得た状況でなお国会の与野党対立の構図を都に持ち込む意図といい、東京都よりも国の管轄であるはずの憲法などの話を持ち出す事といい、関係者全員が冷戦終結前の世界に生き続けているような印象でした。選挙期間中に女性問題の報道が出たのはお気の毒でしたが、それへの対処は率直に言って酷いもので、他人に厳しく自分に甘くという見苦しい姿に終始していたのが残念でした。この世代の女性観って悪い意味で本当に変わらないですね。


結局の所、色々と問題はあっても舛添さんが続けていた方が、総合的には良い事の方が多かったのではないかと思える辺りが哀しいですね。舛添さんが人格的に問題を抱えていたのは都知事選に出馬した時点で多くの人が知っていた事で、だから自民党も公認に躊躇したわけですが、多くの瑕疵があっても有能な人材を使い捨てる結果になったのは残念でした。

舛添さんで印象に残っているのは厚生労働大臣の頃ですが、その辺りが彼の器の限界だったのかもしれません。それよりも権限の強い大臣に任じてしまうと都知事時代と同様の暴走(スタンドプレイ)をしただろうと思いますし、かといって彼の能力を遊ばせておけるほど政界に人材が溢れているかというと全くそんな事は無いわけで。本当に、人の使い方というのは難しいものです。


遡って言えば、猪瀬さんが続けていれば何の問題も無かったようにも思います。しかし政治の世界に不慣れという経験不足や打たれ弱さ、そして有能ではあっても人望を得られるタイプでは無いという個人の資質を考えると、やはり長期政権は無理だったように思えて来ます。能力と言っても色んな要素を含みますが、仕事ができても一緒に仕事をしたいと思えないタイプと言われてしまう辺り、特定の能力(この場合は人望)を大きく欠くと他の能力をどれほど磨いても挽回が難しいという現実には考えさせられるものがありますね。



■参院選

こちらも、与党にも色々と問題があるのに野党がそれ以上に酷いからどうにもならないという哀しい結果になりました。

野党が出す経済政策がお粗末なのは相変わらずですが、憲法などの問題をテーマにするにしても他にやりようが無かったのかと思います。例えば、控えめに言ってもかなり酷い出来映えの自民党の憲法改正案の中からとりわけ酷い箇所を抜き出して、それらを具体的なテーマとして取り上げて議論してくれたら応援する気になったかもしれませんが、極論を出して改正反対を唱えるだけでは広い支持を得る事は難しいと思います。

しかしそれ以上に、分配中心の経済政策で財源の根拠もなく理論的な背景もなく、更に民進党に限って言えば仮に与党になってもその時点で前言を翻して金を出し惜しみする展開になるおそれが非常に高く、政権交代から四年が過ぎても何の反省もなければ何も成長していない状態なのが辛いですね。それでも自民一強への対抗という期待だけでも一定票を得られるのだから、偉そうな物言いになりますがもう少し見聞を広げて欲しいものです。上にも書いたように、本当に左派の方々って80年代から変わっていないのが哀しいですね。


アベノミクスについては毀誉褒貶が極端ですが、極論を除いて一応の共通認識をまとめるならこんな感じでしょうか。

・消費増税は失敗。
・成長戦略(構造改革、規制緩和)は目立った成果を出せていない。
・財政は効果はあっても限定的(だから無駄なのか、だから額を増やすべきなのかは意見が分かれる)。
・金融は一定の結果を出している(だから更に金融緩和を進めるべきか、だけど銀行貸し出しに繋がらず問題点も多々あるから縮小すべきかは意見が分かれる。インチキ云々の反論は論外)。

個人的には、海外の経済政策を評価する時と同様に失業率の数字を重視するなら、概ね評価されるべきではないかなと思います。そして年配の方々が何を言おうとも、新卒一括雇用の慣習が根強い我が国では失業率が悪化した時期に卒業を迎えるか改善した時期に卒業できるかでその後の人生が大きく変わる可能性が非常に高く、故に失業率を低下させたという一点だけでも現政権の経済政策はプラスの評価にして良いように思います。安倍政権の経済政策の全てを肯定するという意味ではなく、総合的に見ると(実質的には金融政策のお陰で)良い結果の方が上回っているのではないかと。


昨今は報道姿勢の偏りが更に顕著になったり報道内容が浅いものが更に増えている印象で何だか哀しいですが、究極的には誰がどの政党が勝利を収めようとも社会全体として良い方向に向かってくれる事を願いたいものです。例えば株価が暴落したとか年金運用がマイナスになったと言って嬉々として与党を責めるような記事ではなく、国民としてその損害を被る関係者の一員として、それをどう受け止めたら良いのかという論説を私は読みたいと思いますし、そうした視点を持つ方々が増えて欲しいものだなと思います。


最後は少し偉そうな事を書きましたが、世の中が少しでも良い方向に向かってくれるように、政治家の方々を始め一般庶民の我々も含めて、各々ができる事をできる範囲で実行したいものですね。


以上、今日はこれにて。

テーマ : 政治・地方自治・選挙 - ジャンル : 政治・経済

今月はサボり。

私は元気です。

レアル・マドリード対アトレティコ・マドリード

ちょっと余裕がないので、まとまりに欠けるかもしれませんが、ざっと試合を振り返ります。


■ジダン監督の采配

ジダンの采配は所々で良く解らない、というのが正直なところ。詰めの甘い部分は色々とあるのですが、それが問題になるより前にしっかりと仕込んだ部分が成果に繋がって結果を出しているという印象です。

大まかに言うと、切り捨てる部分を選ぶのが上手いという点が監督としてのジダンの最大の長所で、逆に状況の変化に対応しきれないという点が最大の短所かなと思います。


この試合でジダンが選んだのは、相手にボールを渡した上でのショート・カウンターでした。まるで相手のお株を奪うかのように、前半のアトレティコのビルドアップを妨害する守備はよく練られたものでしたし、自陣の後方から繋ぐ事に執着しない辺りも監督の意図が選手に浸透していたと思います。

とはいえ、レアルは伝統的にボールを持って攻撃するチームですし、守備のタスクを選手に徹底するのは難しいものです。ジダンの選手時代の実績がそれを可能にしているという分析もありますが、例えばモウリーニョ時代と比べると守備面での拙さはありますし、つまり選手に守備の意識を徹底できているとは自分には思えませんでした。


それが表面化したのは後半になってアトレティコが4-3-3に変更してからでした。この試合のレアルは4-4での守備を基本としていて、たまにロナウドが守備に加わると4-1-4に移行する形。その辺りの判断はカゼミロやクロースに任されている印象でした。しかしアトレティコがサイドに選手を多く置くようになると、カバーの決まり事などがあやふやだったのでそこからチャンスを作られたり、ゴール前で相手選手に前を向かせる場面も増えて来ました。

こうした状況に対して、ボール保持を高める為にイスコを投入したり、右サイドの守備を手助けする為にルカス・バスケスを投入するのは、理由としては理解できるものでした。しかし、それをピッチ上の他の選手が理解していたかというと難しいものがあります。特に前線の選手達としては、前半同様に全体的に押し上げて、カウンターであれポゼッションであれ自分たちの攻撃の時間を増やしたいという気持ちが強かったように思います。


こうした明らかな綻びがありながらも、ジダンのチームは失点を1に抑える事に成功します。この辺りは「ジダンは運命の女神に愛された存在だ」という分析に頷きたくもなりますが、一方で監督としてのジダンのバランス感覚ゆえではないかと思う気持ちもあります。

仮定の話ですが、もしもベニテスやモウリーニョが指揮を執った場合、ジダンに比べて選手に要求する守備面での動きはもっと複雑かつ多大なものになると思います。そして物事は、指示が長大でどんな状況にでも対応できる内容であるほど上手く運ぶかというと、決してそんな事はありません。むしろ、最低限の指示に絞ってそれを完璧に履行させる代わりに、指示以外の事については臨機応変にと現場に任せてしまう方が、良い結果に繋がる事が多々あります。

自分が考えるジダンの長所とはまさにそれで、そしてこれは短所と表裏一体のものでもあります。仮にアトレティコが同点に追いついた勢いのまま攻撃を続けていれば、大人しく敗北を受け入れる以外の選択肢は無かったと思います。



■ジダン監督の采配その2(クラシコ)

ここで、今シーズンのレアルにとって転機となった一戦。先月の敵地でのバルセロナ戦を少し振り返っておきます。


この試合でもレアルの守備は4-4が基本で、ロナウドが戻って来るなら余った一人が相手のボール保持者にプレスを掛けるか、それとも中盤の底で一人余らせるかという仕組みでした。ロナウドは確かに自陣深くまで下がって守備を頑張る場面もありましたが前線に残っている時もあり、守備面での貢献は巷で褒められているほど確実ではなかったように思いました。ベンゼマのブスケツへのマークはさほど厳しいものではなく、バルセロナのビルドアップを妨害できていたかというと微妙でした。

微妙な点は他にもありました。まず4-4の守備が中央に偏っていて、サイドに選手を増やされたらどう対応するのかという不安が残りました。クラシコではメッシもネイマールも中央突破に執着したので大した問題にはなりませんでしたが、この点は先に述べたようにアトレティコに付け入られる隙となりました。

更に、前半はボールを奪った後のビルドアップが整備されておらず、BBCが自陣の深い位置からダッシュをして少人数で攻撃を終わらせるしか方法がありませんでした。こうした幾つもの綻びゆえに、後半にバルセロナが先制した時点で勝負は決したかと思いました。


しかし、長所が場合によっては欠点にもなるように、付け入る隙だと思われた点が状況が変わると利点になることもあります。前半はBBCのスプリント頼みだった攻撃のお陰で、他の中盤の選手は体力を温存することができました。バルセロナ相手に後半の途中でバテてしまう展開はレアルに限らずよく見られる現象ですが、この試合のレアルの選手達は後半の終了間際まで走れる体力が残っていました。

また、前半に相手の攻撃を受け続けたことで、早い時間に相手のボール回しに慣れたのも有利に働きました。後半のマドリードは相手のビルドアップを妨害できる選手配置になっていて、これは事前の準備に前半の経験が加わることで精度の高いものになっていました。おそらくこの時の経験がアトレティコ相手の前半にも活きたのではないかと思います。

同点に追いつく少し前からのレアルの攻撃は素晴らしく、そして内容そのままに逆転で勝利という結果も得ました。アトレティコほど守備面での完成度はなく、バルセロナほどポゼッションからの攻撃の精度が高いわけではなく、しかし短所を晒しつつも長所で相手を押し切れるクラブ。中でも相手のビルドアップを妨害してからのショートカウンターの冴えが抜群の、対戦相手にとって嫌なチームが、この時に完成したのではないかと思いました。



■シメオネ監督の采配

まず采配の話の前に、アトレティコの最大の強みが守備であるのは確かですが、彼らとてスペインのクラブであるだけにポゼッションは普通にできます。つまりボールを持たされてもそれほど苦にせず、レアルやバルセロナ相手であっても自ら攻撃を仕掛ける時間帯を作る事ができるチームです。この事は過去のリーガ・エスパニョーラでの試合を見れば判ることだと思います。

つまり、この試合の前半にアトレティコのビルドアップが上手くできなかったのは、彼らに原因があるのではなくレアルの守り方が上手かったからだという事です。先に述べたように、クラシコの後半にはバルセロナのビルドアップにすら対応していた面々が相手です。前半の光景だけを見てアトレティコはボールを保持しての攻撃が下手だと断じるのは勿体ないことだと明記しておきたいと思います。


さて、そんなわけで先手を取られたアトレティコでしたが、先制した後のレアルが少し引いたことで徐々にボールが運べるようになり、そして後半からシステムを変更することで試合の流れを引き寄せることに成功しました。しかし同点に追いついた後、2トップに戻したことで自ら得た流れを失いました。

残念だったのは、延長上等という姿勢に見えたのに延長に入ってからも積極的に前に出られなかった点でした。前回の決勝で90分で力尽きたトラウマがあったからか、それともピッチ環境が悪く敵味方ともに足を攣る選手が続出したのが誤算だったのか。仮に90分で決着を付けるという意識で同点後も戦っていれば、試合はほぼ確実に彼らのものだったように思います。


シメオネ監督の采配については、去年までで既にスタイルが完成しているだけに、予想外の一手というものはありませんでした。とはいえ、ほぼ同じメンバーで4-4-2から4-5-1から5-4-1まで細かなバージョン違いも備えつつ変化させられるのは、監督がチームを完全に掌握している事と戦術に深い理解がある事の証拠ですし、それ以上を求めるのも難しいように思います。

バイエルンのグアルディオラ監督もですが、できる事を最大限に突き詰めてチームの弱点を徹底的に克服して来た監督が最高の結果には届かず、一方で素人目にも幾つか隙があるように思えるチームが最高の結果を得られるというのは、ある種のアイロニーでもあり、しかし納得できる展開でもありますね。



■おしまい

最高の結果を残したジダン監督ですが、来シーズンはチームがより攻撃を志向することになるのでしょうし、そこでの舵取りは難しいものになると思います。少し前にチェルシーでCL優勝を果たしたディ・マッティオ監督と境遇が似ている気がして不安になりますが、彼ならではのバランス感覚で内容と結果を両立させてくれる事を願っています。

シメオネ監督は退任の可能性もあるとの事ですが、彼の存在なくしてリーガで二強と争う事も、CLで優勝を目指す事も難しいと思うので、何とか気持ちを切り替えて今季と変わらぬ強いチームを来期も見せて欲しいものです。

ユーロは参加国が増えてレベルが落ちそうですし、コパ・アメリカは去年に続いての開催で、サッカーを見るモチベーションが低下気味ですが、来期もまたレベルの高い戦いを見られる事を願いつつ。
今日はこれにて。

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