ロック

ちょいと音楽について、思い付くままに勢いで書いてみる30分1本勝負。


で、最初に、少し長いのですが引用すると、

「ロックというのは、支配的文化に逆方向からぶつかっていくカウンターカルチャーであり、若さ故の叫び=こんなこと永く続く訳ないじゃんとわかりきっているからこそ愛しい刹那主義であり、“死んでいく”という刹那を感じつつ“生きている”ことを認識するような音楽ではないか、という解釈だったんですが、しかし、戦争とか地球環境の問題とか、これだけ世界中が“死んでゆく”というムードに満ちている昨今に於いて、死に死をぶつけてももはやそれは対抗文化にはなり得ない、むしろ“永遠”とか“普遍”を歌っていくほうがカウンターカルチャーとしての“ロック”になり得るんじゃないか、と思ってきました。ロックとは音楽のジャンルではなく、あるひとつの“価値観”ではないかと・・・。」


という文章を読んだのは2ヶ月ぐらい前の話で、自分としてはこの桜井和寿氏の意見には同意できないわけですが、それでも、自分が表現すべきものに対して真摯に向き合っている姿勢は素直に凄いなと思ってしまうのが、少々情けなかったりもするのでした。

というのも、最近は小奇麗でスマートで音楽の質も平均以上で・・・ってのが氾濫していて、それは乱暴に言ってしまえば、音楽の送り手の意思よりもパッケージが優先されている様な、そんな錯覚を抱きかねない状況だからこそ、当たり前の事を凄いと思ってしまうのかな、と。

とはいえ、基準がそれだけならば凄い人たちはたくさんいるわけで、故に傲慢なるリスナー側としては、自分の持つロックのイメージに近いミュージシャンと巡り会う日を楽しみに、音の世界を徘徊するわけですが。。


本題からずれて来たので、ここで今日の命題を提示すると、「ロックに心を揺さぶられる人よりも、そうでない人の方が、健全で不満の無い毎日を送っているのだろうか?」という素朴な疑問であります。

で、ちょっと考えているうちに上の引用文を思い出して、検索して、貼り付けてみたのでした。


個人的な意見としては、“永遠”とか“普遍”を歌う事はカウンター・カルチャーたりえず、単なる平凡なメイン・カルチャーになるだけだと。

で、カウンターにしろ、サブ・カルチャーにしろ、今やメインの一員の様に扱われている現状では、確固たる対抗馬を持ち出すことはできない状況で、ただ、無責任な事を言うならば、具体的な代替案を提示しなくとも、「現状への不満」がイコール、価値観としてのロックであると思うのであります。

更に、この不満は「全否定」ではなく、「部分否定」でも成り立つのではないかというのが、本日の命題への自分なりの糸口なのでした。

これはロックにおいて「死」という要素の存在意義を限りなく薄める捉え方で、故に純粋ではないと思うのですが、10代ならばいざ知らず、急進的に純化を求める事が破滅しかもたらさないのは既に自明であり、しかも逆に安穏と過ごす事を良しとしたくないという感情論も満足させ得る、良く言えばアウフヘーベン、普通に言えば適当な落とし所ではないかと。

つまり、例えば客観的にまずまず満足できる状態にあって、それでも更なる上昇志向を持つ事は、それ自体は健全なロック的価値観ではないのかな、などと思ったが故に、ロックに心を揺さぶられたっていいじゃないか、と、擁護するのがこの文章の目的であります。


とは言え、「ロック好きって事は、大なり小なり精神的な何かが(それが問題に発展するか否かはさておき)あるんじゃないの?」と片付ける方が話は早いのかもしれず。

それ以前に、ここまで書いておいて何ですが、「『ロックとは』なんて小難しい事は考えず、特定の音楽に心を揺さぶられるならそれでいいやん」って所に結局は落ち着くのかも、と思ってしまうのは、これを書きながらひたすらPaint It Blackを聴いているからなのかもしれません。


以上、時間切れにつき、今日はこれにて。
読んで頂いて、ありがとうございました。

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