終戦の日

今日は終戦の日ですが、毎年色々な特別番組が放送されていて、改めて戦争について考える機会を与えられている事は大切にしたいですね。


そんなわけで、13日と14日のNHKスペシャルを見ました。
A級戦犯は何を語ったのか ~東京裁判・尋問調書より~
パール判事は何を問いかけたのか ~東京裁判・知られざる攻防~
申し訳ないですが、本日のような討論番組には興味はありません。。


さて、この東京裁判は、戦勝国が自分の事を棚に上げて敗戦国を一方的に裁いた事は確かですが、それでも日本はこの判決を受け入れて国際社会に復帰した、という事実は大切に扱うべきでしょうね。

そして、パール判事は「人道に対する罪」という、全く新しい概念によって判決が下される(有罪にする)事には反対で、それゆえに「全員無罪」の主張だったわけですが、一方で日本軍の残虐行為を激しく非難し、更には原爆投下をナチスのホロコーストに匹敵する行為と述べています。


南京での事件を始め、日本軍による虐殺行為は、政治的な思惑も絡んで数字だけが一人歩きしている感がありますが、結局言えるのは、事情はどうあれ「手を出してはいけないところで手を出したら、高い代償を払わされる」「しかも負けたら更に倍」という事でしょう。

これはどんな分野でも見られる事で、昨年のサッカー・ワールドカップ決勝のジダン選手などもそうですが、残念ながら手を出した時点で、仮に相手にいくら非があったとしてもそれは不問にされる可能性が高くなりますし、相手が勝利者の場合は尚更でしょう。


その意味で、軍紀を正せなかった上級将校たちの責任は戦後60年を経てなお重いと言わざるをえないわけですが、最近の世論の右傾化は、自分の非を認めず相手に責任を転嫁する事を正当化しそうなのが怖いところです。

アメリカの様な実力と実績があっても、現在の高度情報化社会では「居直る」事のマイナス面が次第に大きくなって来ているわけですが、日本の場合は更に、逆風の度合いを理解していない辺りが困ったところで、そうした状況を理解しないで何でもかんでも「特別扱い」を目指すのでは、100年前から進歩がないと言われても仕方ないでしょうね。

第一次世界大戦を経て、世界平和への流れと、後進国には何をしても良いというそれまでの「常識」への疑いが生じつつあった時期にそれを察知できず、19世紀的な弱肉強食の原則を継続して疑わず自らを省みなかった愚を、繰り返して欲しくはないものです。


しかし、今でも充分に勢力を誇っておられますが、必要以上に「世界基準」を強調して国益を放棄するサヨクが蔓延するのも困りものですし、かといってこうした世論の右傾化も困ったもので、極端に走らないバランス型(と言っても妥協を重ねてどっちつかずで終始するのではなく)の官僚や政治家やマスコミ関係者がもっと増えて欲しいものです。


さて、戦後に来日したパール判事は講演で各地を回って日本の「美しさ」を実感し、それが何ゆえ残虐な戦争へと走ったのかと驚いておられたのだとか。

この「美しさ」とは心の問題ではないかと思うのですが、ある程度はお世辞的な部分があるにしても、大切にしていきたいと思いますね。

その頃と比べて現在は欧米化が進み、治安の悪化や将来への悲観などもあってモラルの低下などが嘆かれていますが、そうした「美しさ」が普通の人の中にどれぐらい残っているかが、今後益々重要になって来る気がしたのでした。


とりあえず、色々と思うところはあったのですが、一応の結論をみたので今回はこれにて。
読んで頂いてありがとうございました。

関連記事

テーマ : 政治・経済・時事問題 - ジャンル : 政治・経済

コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する