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鶴見俊輔の死。

お昼に鶴見さんの訃報を知って、充分にお歳を召されていた事もあり特に驚きは無かったものの、仕事の片手間に色んな事を考えているとやはり感慨深いものがあったので、思い付くままに文章にしてみようと思います。


さて、訃報を伝える記事を拾い読みしてみると、やはり亡くなった人の事は悪く言わないもので「行動する知識人」「戦後の思想界をリード」といった見出しが出ていました。それらは間違いではないと思いますし、奇を衒った事を書きたいわけでもないのですが、自分が勝手に理解していた鶴見さんにはそぐわない説明のように思いました。

自分が鶴見さんから学んだ彼の思想とは何だろう?と改めて考えてみると、それはほぼ無いと言っても過言ではないと思います。そんな自分に彼の何が解るのか?とも思うわけですが、鶴見さんから多くを学んだ方々の追悼文は数多く出て来るでしょうし、となると視点の違う意見として書く価値はあるのかもしれないわけで、以下はそうした個人的な観点から、比較対象として吉本隆明さんに言及しながら思う事を書いていきたいと思います。


既に書いたように、鶴見さんの哲学や思想について自分が強く影響を受けた事は殆どありません。吉本さんにしても、彼の著作の中で「反核異論」だけは世の流れの影響もあって予想外に長い付き合いになりましたが、それ以外には個人的な事情からごくマイナーなとある論点に影響された程度で、一般に彼の代表的な思索として紹介される事にはさほど心惹かれませんでした。彼らは二人とも、熱烈な賛同者を抱える一方で「彼らに思想などない」と厳しく切り捨てる反対者も多く抱えていて、個人的には寧ろそうした外野の意見を通して彼ら二人の主張を考える事が多かったように思います。


果たして彼らに思想はあったのか?とは難しい質問です。まず一般論として、彼らの言説に反論を行うのはそれほど難しい事ではない、というのは確かに事実だと思います。一方で、世の多くの反論は毒にも薬にもならぬもので、彼らの著作を数冊読めば簡単に解消できたり、酷い場合には批判しているテーマを扱った著作にそのまま反論の反論が記されていて、彼ら二人とは真剣さの地平が違う場所から遠吠えしているだけとしか思えぬ事が多々あります。

では、彼らは戦後を代表する哲学者だったのか?そう言い切るには、彼らの言説が抱える隙の多さが気になります。鶴見さんの場合は柔軟で時に中身がないようにも思える発言からの突然の急進的な変化、吉本さんの場合は堅牢で硬直し過ぎた感も受ける発言からの突然の躊躇あるいは戸惑い。それらはいずれも彼らの人間性を思わせるものですが、思想家として持ち上げるには少し気になる部分であるのも確かです。


では、鶴見さんを説明する見出しとして既に挙げた「行動する知識人」はどうか?訃報を伝えるニュースの中には彼の少年時代の性的な衝動などを紹介しているものもありましたが、知識人としての彼の行動は、その衝動とほぼ変わらないものに思えます。つまり個人的には、それはさほど大した事ではないと思っています。

彼の凄さは寧ろ行動の後にやって来るもので、例えばベ平連といった集団に加わりながらもどこか個人の部分を残していたり、それらの組織の問題点に気付きながらも開高さんのように理由を明確に述べて離れるわけでもなく、金の流れなど色んな事情が明らかになってなお平然と小田実さんを絶賛し続ける。九条の会でデモに参加しながらも学生運動の幼稚さを指摘し、同時に他所では相手にされない若手に手を差し伸べて成長の場を提供する。無定見にも思える彼の行動は、少年期から絶えず彼の内部に燻っていた衝動に突き動かされた後に、その初期行動に対する自省を切っ掛けにして選択されたもので、それは彼をして他の誰よりも知識人たらしめる要因だったのではないかと思うのです。


もし仮に鶴見さんが今の若者の年齢だったら?ネットで氾濫するエロスにどっぷり浸かったりSNSで過激な言動を繰り返したりした後に、ある時点でそれを止めて、周囲に軋轢を生みつつもある程度普通に毎日を過ごし、少なくとも今ほどは世に名を成さなかったと思います。つまり彼の経験と、何より時代が彼を育んだと言って良いと思うのですが、それ故にこそ彼は、戦後における最後の知識人だったのではないかと思えるのです。そして、彼の死と共に全ては終わってしまったのだと。


数年前、どこで読んだのだったか鶴見さんの近況が紹介されていて、赤川次郎さんの全作品を二回ずつ読破したという話がありました。偉い評論家の方々が鶴見さんをして、文学などの批評には向いていないと酷評する事が時々あり、このエピソードは一見それを裏付けているようにも見えます。しかし、赤川作品を愛読する鶴見さんの姿を想像すると、本当に全作品を楽しんで読み臆面無くそれを語れる鶴見さんを思うと、そうした評価は正しいけれどもピントがずれているのだと、鶴見さんの恐ろしさはそこにこそあるのだと、自分にはそんな風に思えてしまうのでした。


最後に、終身雇用という言葉で我が国の企業経営の特徴を説明した事で有名なアベグレンとの共通認識として、かつて鶴見さんは軍事面以上に我が国の大学がアメリカに隷属している状況を憂えていました。先の大戦中に体験した事として、国家と大学の関係がアメリカと比べ遙かに遅れている事も指摘していました。現在の世界における我が国の大学の存在感や生徒達の留学状況、そして最近の安全保障関連の対立が議論ではなくお互い自説の主張と相手の誹謗にしかなっていない現状を思うと頭の痛い事ですが、教育こそが未来を支えるという観点からも、鶴見さんが抱いた懸念を忘れず問題意識を持ち続けていきたいと思っています。


以上、今日はこれにて。

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