岩明均「ヒストリエvol.1」

*作品の評価としては☆4ですが、これは物語の長さからして完結の見通しが立たない故に☆1つを減じたもので、それ以外に目立って減点するような要素は無いと思います。まさに作者のライフワークと呼んで良い作品になっていると思います。

*以下の文章は、この作品のレビューと言うよりは、注釈と個人的なメモと簡単な考察が混ざり合ったものだと説明した方が、より正確かと思います。

*先の巻の内容にはできる限り触れないように気を付けていますが、本巻で描かれた内容には遠慮なく言及しますので、ネタバレを避けたい方は読後にまたお越し下さい。

*歴史的な事実に関しては高校生レベルの知識は既知のものとして、それ以上に細かい内容についても折を見て触れたいと思っていますので、そうした方面からのネタバレを見たくないという方はここでブラウザを閉じて下さい。解説の中で「これは書き過ぎ(ばらし過ぎ)」と思われる箇所があれば、ご指摘頂けると嬉しいです。


以下、話の順に。。


■第1話
・「ヘビ」が全ての始まりか?

・ヘルミアス;
 小アジア西岸の町アタルネウスの僭主。アリストテレスと共にプラトンに学び、生まれ故郷に帰って後、アッソスの町まで勢力圏を拡大していた。ペルシアから離反しマケドニアと同盟してこれを討とうと画策。小アジア全域を再びアケメネス朝の支配下に置く事と、フィリッポス二世の侵攻計画の詳細を得る事を目的としたメムノン指揮下の軍に攻められ、囚われの身となる。しかし彼は拷問を受けながらもアリストテレスを庇い、マケドニアの情報を漏らさず、その発言は最期まで哲学を志す者のそれであった(が、余人には理解しがたい振る舞いかもしれない)。

・メムノン;
 バルシネの夫。兄のメントルと共にアケメネス朝に反旗を翻すが失敗し、マケドニアに亡命する。ペルシア王に敗れたメントルが罪を許され、それと引き替えに派遣されたエジプトで大いに戦功をあげた事で恩赦となり帰国。兄の死後はその職を継承し、小アジア西方の指揮官として反乱の絶えないギリシア植民市の対応に当たっていた。アリストテレスの身柄を捕獲できず。

・アリストテレス;
 父はマケドニア王(フィリッポス二世の父)の侍医。アテネでプラトンに学ぶ。師の死後、反マケドニアの気風が強くなったアテネを離れ、フィリッポス二世の勧めもあってヘルミアスの招きに応じる。数年後レスボス島に移り、テオフラストスと共に生物学の研究に勤しむ。同時期ヘルミアスの姪(もしくは娘)を娶る。フィリッポス二世の要請を受けマケドニアに学問所を創設し彼の後継者(後のアレクサンドロス大王)を教育する為に、小アジア脱出を決意。この作品の冒頭ではスパイ容疑でペルシア帝国から追われている。後にデルフォイにヘルミアスを讃える記念碑を建立する。

・カリステネス;
 アリストテレスの甥にして弟子。共にマケドニアに向かう。後に大王の東征に従い従軍記を執筆する。

・エウメネス;
 主人公。「多分、異民族(バルバロイ)」とは作中の本人の談。フィリッポス二世とアレクサンドロス大王の二代に書記官として仕え、東征時には軍の指揮も任される。大王の死後、ディアドコイ(後継者)の一人として同輩達と戦う。なお、後にスーサの合同結婚式で娶るアルトニスはバルシネの妹である。

・バルシネ;
 アケメネス朝のサトラップ(総督)アルタバゾスの娘。祖母はペルシア王アルタクセルクセス二世の娘である。父が義理の兄弟の間柄であるメントルとメムノンの協力を得てペルシアに反抗するも失敗し、その結果バルシネは父や兄弟そしてメムノンと一緒にフィリッポス二世に保護される。恩赦により帰国して後、叔父であるメントルに嫁ぎ、メントルの死後メムノンの妻となる。メムノンの死後に大王の側妾となる運命にある。


■第2話
・全軍の指揮官;
 第5話にて、「マケドニア王その人ではないか」とエウメネスは推察する。


■第3話
・アンティゴノス;
 高校の世界史で習うであろうアンティゴノス朝マケドニアは、ディアドコイの一人である隻眼のアンティゴノスの子孫が開いた王朝である。彼はフィリッポス二世と同年の生まれとされるが、史上に登場するのは大王の対ペルシア戦以降である。ディアドコイ戦争を通してエウメネスの人生に深く関わる事になる人物であるが、とりあえず作中の現時点では見るからに怪しいおっさんである。


■第4話
・少し気にしすぎな騎馬の人;
 現時点で名前は明かされていないが、エウメネスとの今後の絡みが注目される。


■第5話
・主人公と老婆の別れ;
 「寄生獣」をふと思い出したりして。

・全ての始まりは、「図書室」であった。

・剣を振るう女の夢。


■第6話
・少年エウメネスの家族構成;
 父ヒエロニュモス、兄ヒエロニュモス、母、奴隷カロン。

・馬上の光景。

・クセノフォンのアナバシス;
 クセノフォンはソクラテスの弟子でプラトンと同世代。ペルシアの王位を巡る兄弟の争いに傭兵として参加したものの、兄王アルタクセルクセス二世があっさりと勝利した為に、弟陣営に属した彼は遠い異国から苦労して帰還する事になる。その道中を書き記したのが「アナバシス」で、著者の平易明快な文章はギリシア〜ローマ時代にギリシア語文体の模範とされた。このアナバシスの最中に師ソクラテスが刑死している。ちなみに、五賢帝時代のローマの歴史家アリアノスの代表作に「アレクサンドロス東征記」があるが、その原題は"Anabasis Alexandri"である。

・最後のキュロス王のセリフ;
 ヘロドトスの「歴史」第1巻(クレイオ)の最後に記されているキュロス二世のセリフの概略は以下の通りである。

 キュロス二世は「自分は神の恩寵を受けており、身に迫る危険は夢のお告げの形で全て事前に知る事ができる」と豪語した。戦場に在った王がこの時に見たのは、一族のダレイオスがアジアとヨーロッパに大きく翼を広げる夢だった。王はダレイオスが叛逆を企てていると解釈し、「目の前の戦争に勝ち首都に凱旋してから処分を検討する」とダレイオスの父に告げた。しかし。その夢の真意は「キュロス二世がこの地で命を落とし、その結果ダレイオスがアジアとヨーロッパに君臨する王となる」だったのである。


■第7話
・夢の続き。自分を見る女の眼。女の死。

・夢はその人の「記憶」だけを材料に組み立てられてゆく。


■第8話
・悲惨な扱いを受けるスキタイ人奴隷トラクス。

・ハルパゴスとペルシア帝国の建国;
 以下も上記ヘロドトスの書の要約である。

 メディア王は娘に王位を脅かされると解釈できる夢を見たので、彼女を辺境の大人しいペルシア人貴族に押しつけた。娘が妊娠すると、今度は娘の子供が王としてアジアを統べる夢を見たので、信頼する部下ハルパゴスに赤子を殺すよう命じる。しかし王には男の後継者がなく、万が一の場合には王女が即位する可能性も高い。ハルパゴスは恨みを買いたくないと考え、王に仕える牛飼いに全てを押しつけた。牛飼いの妻は死産直後だったので、その児の死骸をハルパゴスに渡し、赤子を自分の子として育てた。

 十年の時が過ぎ、その子が友達と「王様ゲーム」で遊んでいると、偶然の経緯からメディア王に面会する事になった。一目見てその子が自身の外孫だと悟った王はハルパゴスを呼ぶ。問われるより先にハルパゴスが罪を正直に告白したのでその場は許したが、腹の虫が治まらない王は残忍な仕返しを企む。つまり、外孫の無事を祝う宴で、ハルパゴスの息子の屍肉を彼に供したのである。ハルパゴスは王の「褒美」を平伏して受け取った。また、夢占い師にかつての夢を相談すると「子供の遊びとはいえ王に選ばれた事で夢は成就した」という解釈だったので、王は心配を忘れた。

 更に十数年が過ぎた。立派に成長した運命の子は父方の祖父キュロスの名を継ぎ、ペルシア人の大部分をまとめてメディアに反旗を翻す。王の仕打ちを恨みキュロス二世を影ながら支援していたハルパゴスが公に裏切った事もあり、メディア王は囚われの身となる。かつての宴の件で王を罵るハルパゴス。王は、彼の恨みそのものに対しては反論しなかった。ただ、「個人的な怨恨によって行動し、自らは王になろうとせず、メディアの民をペルシア人の奴隷にしたお前は、愚かな悪人だ」と断じた。ハルパゴスの反応は記されていない。


■第9話
・少年エウメネスの友人関係;
 体格の良いニコゲネス、飄々としたトルミデス、ひ弱そうな子、彼女ペリアラ。

・エウメネスは足が早い。

・拳闘の勝負を眺めながら、夢の女の動きを重ねるエウメネス。



■1巻のまとめと考察。
・表紙は地球儀を手にするエウメネス(年齢は物語冒頭時)。裏表紙は背中を向けて歩いて行く少年エウメネス。

・アリストテレスのスパイ容疑について。;
 アリストテレスは生まれながらにマケドニアと関係が深く、小アジアに赴くという決断にもフィリッポス二世の意向が少なからず反映されている。現地でもヘルミアスとの軍事衝突を思い止まるようメムノンに手紙を出すなど両者の調停を何度か行っていた為、我が国における哲学者のイメージ(=政治などの下世話な世界にはあまり関わらない)からすると意外な印象を持つかもしれない。

 作者の「なんとスパイ容疑である」という語りはそうした読者の心情を前提としたものと思われるが、当時のこの地域においてアリストテレスがマケドニアの後援を受けている事、ペルシアの情勢を探っていた事、外交上の役割を担っていた事、哲学者として名を成していた事、研究に勤しんでいた事などは一個人の中に矛盾なく並立できるものであった(イメージとしては、戦国時代の毛利の外交僧・安国寺恵瓊に近いかもしれない)。

 エウメネスがアリストテレスの政治的な側面に無知だったのは、彼がリアルタイムで諸国間の外交交渉を知りうる立場になかった事や、彼が読んだ書物がアリストテレスの学術的な側面を扱ったものばかりだった事が原因ではないかと思われる。

・夢の話について。;
 物語の中では直接描写されていないものの、上記の注釈で紹介したように、キュロス二世の誕生と最期には夢が深く関わっている。誕生の話からはソフォクレス「オイディプス王」を連想した方も多いと思うが、夢の警告を誤解して調子に乗った瞬間に、あるいは上手く対処できたと安堵した瞬間にその人の運命が暗転するという考え方は、ヘロドトスだけでなく当時のギリシア人に広く受け入れられたものだったのだろう。

 エウメネスは、夢は自身の記憶にのみ由来すると考えている。つまりスキタイの記憶である。現時点では拳闘に活かせそうな描写もあり、夢はエウメネスに味方しているように見える。エウメネスは、夢や記憶を通して提示されるスキタイ流の行動で、難局を乗り越えて行くのだろう。しかし、それは永遠には続かない。彼が思い上がった時、スキタイ流の運用方法を間違えているにもかかわらずそれに気付けなかった時、彼の命運は尽きるのかもしれない。


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