FC2ブログ

日本を決定した百年

昨日の続きで、今日は吉田茂「日本を決定した百年」(中公文庫)について。

今まで機会がなくて読めていなかった本書ですが、先月に出先で30分ほど空き時間ができて、ふらりと入った本屋で目について購入しました。今年の4/28がサンフランシスコ平和条約の発効からちょうど60年という事で、何だか不思議な巡り合わせだなと思ったものです。

解説にもあるように、書名になっている「日本を決定した百年」については、亡き高坂正堯先生の手によるもの。確かに現在からすると褒めすぎのきらいはありますが、明治維新から100年の我が国の歩みを端的に解りやすくまとめている点で、中高生から社会人まで広くお薦めできる内容だと思います。個人的には、高坂先生の著作は読み慣れている事もあって油断していたら不意に吉田さんが現れる事があって面白かったです。この部分は吉田さんのインタビューをそのまま引用しているんだな、と。


歴史を振り返ってみると、舵取りが難しい時代では似たような意見の対立が生じています。特に、白村江、元寇、幕末、先の大戦などはまさに国難という表現に相応しい危機的な状況だったわけですが、我が国の現状をこれらと同列の「危機」と表現するのは躊躇するとはいえ、国論の分裂という点では似たような傾向に陥っているのが興味深いところです。

例えば本書では幕末の攘夷論者について、「すべてが単純な狂信者たちではな」く、「いったん攘夷して西洋諸国の圧力を退け、そのあとで自らの意志で開国する事を説く人びともいた。」(p.17)と説明されています。これは考えてみると先の大戦における一撃講和論であり、元寇の際の成功体験であり、白村江では失敗した戦略なのだな、と。このように他の時代との比較を試みながら楽しく読み進める事ができた作品でした。以下、幾つか覚え書き的に気になった箇所を引用してみます。


・明治初期の近代化における和魂洋才について(p.36)
「文明というものは全体として一体をなすものであり」、「外国の科学技術文明を取り入れることはできても、その根幹をなす政治のあり方や文化やものの考え方を取り入れることはそれほど容易ではな」く、「長い歴史を経て自らの力で生み出したものでなければ」云々。

西洋の文物を取り入れる柔軟性と、その本質を捉え損ねる危険性と。これは三島さんも指摘していたなぁ、と。ちなみに本書ではp.148でベルツが同様の事を言及しています。


・現状は?(p.61)
「いくら努力してもだめだという悲観主義は日本人にとりつくことはできなかった。」

現在においてもそうである事を願っております。。


・見積もりの精度(p.72)
「故意または無意識のうちに、自分につごうのよい数字だけを発表するという、戦争中からの名残り」云々。

現状をさほど反映していない数字や裏付けに乏しい状況報告を頼りに立案せざるを得ない傾向は、今も続いていますね。。。


・前掲p.36の具体例(p.80)
「権力を制限するという近代憲法の原則」云々。

現在も時折感じる事ですが、この「制限」の意味が理解されているとは思えない議論が多々ありますね。。自ら旧憲法を起草された伊藤博文公などには自明であった事が、広く一般にとっては自らの体験から生み出したものではないだけに理解されていないという具体例になるかなと。


・サンフランシスコ平和条約(p.107)
「平和条約には賠償は役務賠償に限るという規定がつくられたが、しかし、日本は別にこの規定に固執するつもりはなかった。」

自由貿易協定FTAや環太平洋戦略的経済連携協定TPPなどの議論がかしましい昨今ですが、歴史問題が絡んだ案件も含め、相手国との交渉という事をこの辺りの時代から学び直したら良いのではないかなと。もちろん成功例だけでなく失敗例や現在進行形の事例も含めて。


・自由化と生産性の向上(p.119)
「日本の産業は温室の中に入っていたようなところがあ」り、「それを取りはずすのが自由化であり、そのために必要な力をつけるための措置が」「設備投資による生産性の向上への努力なのであった。」
「大学教育を受けた技術者が豊富である事は、労働者の能率を高めている。」

所得倍増時代の成功体験。これが現在にも通用するか否か?なのですが。。不安材料としては、この時代に比べて技術への理解が少なくなっているように思える事と、設備投資や熟練者育成のコストが将来の収益に必ずしも見合わなくなってきた事でしょうか。特にリターンを得られる期間がますます短くなっているのが厳しいところだなと。


***


長くなってきたので、本書に収録されている「外国人がみた近代日本」と、昭和30年に時事新報の夕刊に連載された吉田さんの「思出す儘」については簡単に。

前者は、2~3年前に話題になった渡辺京二「逝きし世の面影」(平凡社ライブラリー)にも幾つか引用されていた、幕末~明治初期の外国人たちの手記を本書に付したもの。特にエルヴィン・ベルツが東京帝国大学の退官を前に、来朝25年記念式典で披露した演説は、胸を打つものがありました。教育というと秋入学がどうとか大げさな制度の問題にしたがる傾向がありますが、やはり「この人に学びたい」と思わせる人材を集め育てる事が教育の肝要ではないかなと改めて思いつつ。

後者は吉田さんが寛いだ調子で語っているもので、話の対象は多岐に渡ります。今の政治家の立ち振る舞いを思うと泣けてくるような指摘が幾つもあり、申し訳ない気持ちになるのですが。とはいえ全体的には興味深い話が多く、確かにこの人は人物だったなと。

最後に、現在から見ると本書の随所で現れる共産主義への警戒は理解されにくい事かもなぁ、という話。この辺りで思ったのは、例えばオウムの事件の時に連合赤軍を連想した方は少なくなかったと思うのですが、我が国では結果論として、共産主義や新興宗教だから危険というよりは、集団が持つある種の傾向が社会に危険性をもたらす可能性の方が重大だったのではないかなと。山本七平さんの言う「空気」が導くものですが、それら組織内における「空気」以前に、社会が彼らに対して醸成する「空気」というものも厄介だなと思いつつ。自分なども未だに共産主義や新興宗教に関する話題では、「自分がそうだと誤解されないように」無意識に言葉に気を付ける時が多いですが、現在進行形で難しい問題を孕んでいるなぁと思ったのでした。

以上、最後は駆け足でしたが久しぶりに長めに本の感想を書いてみました。興味を惹かれた方は是非読んでみて下さいませ。
では、今日はこれにて。
関連記事

テーマ : 読書メモ - ジャンル : 本・雑誌

コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する