宵山の夜

何だかんだで毎年それなりに参加している祇園祭ですが、今年も行って参りました。


今年は南の方をメインにする予定で、まずは京都駅にて少しほっこりした後、地下鉄の一日乗車券で五条まで出ました。まだ17時台だというのに地下鉄はひどい混みようで、一駅で降りられて良かったのかも。。そこから東洞院高辻を下ったところに位置する保昌山に向かいました。

そこで携帯を取り出して写真を撮った直後、充電がもう無いよとのお達しがあり、今年の祇園祭は写真なんぞに頼らずに自分の目でしかと見よとのお告げかと適当な事を思いながら西に向かうのでありました。なお、歩数計を家に忘れるという間抜けな事もやらかしておりまして、やる気があるのかと怒られそうな立ち上がりでありました。。


高辻通りに沿って烏丸通りまで出ると、既にそこから北は歩行者天国になっていて、この二日間(一部は三日間)のみ登場する屋台が、道の両側に並んでいました。祇園祭のメインは17日の山鉾巡行ですが、それに先立つ宵山~宵々々山とは、平たく言えば巨大な美術館と縁日(屋台つき)が突然に市内中心部に展開される事で、それらが醸し出す非日常の雰囲気は、ハレとケという伝統の踏襲でもあります。

数年単位ではさほどの変化を感じませんが、さすがに十年単位で振り返ってみると、祇園祭も徐々に変化しているなぁと感じる部分があります。それは例えば訪問者として意識する対象の広がりなどで、海外の方々を視野に入れているなぁと感じさせる部分があり。その一方で、それぞれの山鉾における観光客への語りかけは日本語のみで行われ、交通整理ですらも日本語のみで、しかしそれでも特に問題なく思えてしまうのは面白いところではあります。梅棹さんが昭和30年代に「近頃はアルファベット表示の看板や標識が増えた」と我が国の変化の様を慨嘆され、しかし海外にフィールドワークに出て戻って来た目には「外国語が街中に少なすぎる」と映ったという話をふと思い出していました。


さて、白楽天山、鶏鉾、綾傘鉾を経て船鉾へ。この屋形内の御神体は神功皇后とそれに陪従する磯良、住吉、鹿島の計四体だと説明があり、気長足姫は神話の世界の住人と言えばその通りですが、その時代に既に鹿島大社がヤマト政権と深く繋がっている事を、改めて意識してみたり。伊勢神宮の位置付けも相当に不思議な部分がありますが(例えば壬申の乱において、大海人皇子は吉野から伊勢を経て、美濃・尾張の豪族を動員した)、鹿島大社とオオキミ及び中臣の一族との関連に思いを馳せつつ次に向かいます。

岩戸山、太子山、油天神山、木賊山、芦刈山、伯牙山と進み、新町通りの少し西側にある小さな路地を北へ、四条通りを目指します。その途中、平将門を祀った神田明神があったので寄り道。将門の首を晒した場所ですが、その後に祟りと思しき事が重なったので作られたもので、面白いのは空也上人(醍醐天皇のご落胤とも言われる)が関係しているところ。ついでに面白いのは、将門は新皇を称するわけですが、菅原道真公の霊に加えて八幡大菩薩のご神託がそれにお墨付きを与えている(事になっている)わけで。八幡宮の総元締めは宇佐八幡宮で、そして皇位に関するご神託といえば連想するのは道鏡ですが、この辺りのプロセスが、大陸での禅譲の手続きほど洗練されてはいないものの一応は存在していた事は、なかなか興味深いところであります。


当初はここでノルマ達成のはずだったのですが、何だかスイッチが入ってしまったらしく、結局は四条通り沿いから残りの山鉾を全制覇する行程に入りました。。。

四条と錦小路の山鉾をクリアしつつ、氷やら肉やら飲み物やらを腹の中に収めつつ、烏丸まで出たところで一旦地下鉄に乗って、北に避難して休憩を挟んで烏丸御池から再度スタート。焼きそばや抹茶バニラを頬張りつつ山鋒クエストを継続しましたが、残念ながら鯉山近くの町屋などで時間を喰ってしまい。。最終的に占出山、孟宗山、長刀鉾あたりは23時を過ぎて撤去作業が始まっていましたが、まぁ四条烏丸界隈は例年それなりに見ているので良しとして、結局終電まで徘徊していたのでありました。。。


若かりし頃は山鋒よりも、屋台の食べ物だとか、人込みの中で交わす同級生とのたわいもない会話だとか、異性の手をいかにして握るかとか(笑)、そうした事への意識が優先されるかもしれませんが、それなりの年齢になって、説話や神話の知識が増えたり、タペストリを面白いと思えるようになると、祇園祭の印象は変わります。それはいわば、知っている事・理解できる事を味わえるゆえの変化ですが、最近は更に、知らなくても楽しめるような心持ちになって来ました。

そして、あの見事な美術品の題材となった物語群が今でも子どもたちに伝えられているのか否か、詳しくないので分かりませんが、教えてあげて欲しいなと思う気持ちと、それと同時に、新しい物語は生まれないのだろうか?という少し残念な気持ちも、心の中に残りました。それは自分の中に、いわゆる老若男女が広く共有できる物語を今の世に生み出す事がとても困難だという前提があるからですが。。。

いつか生まれるかもしれない新しい物語に思いを馳せながら、そして、歌のメロディに上手く乗せて手拭いその他を薦めていた、如才なく成長しそうな子を思い出しながら、今年の宵山の報告を終えたいと思います。


以上、今日はこれにて。


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