再利用その3

更に続いて、つぶやき再利用その3。今回は文章を通したやり取り、という事について。



そういえば、これだけ色んな人が色んな媒体を通じて文章のやり取りをしていて、文章、というよりも言葉の意味が、当事者たちの間で決定的に共有できていないケースを見るのは切ないなぁ、とか他人ごとのように言ってみたり。
2011年3月9日 3:31:07

自分が最近こっそり自覚しているのは文章が冗長な事で、これは意識的に修正しようと思っているのですが。何というか、「敢えて言わないで含みを持たせる」というのが通じない事が多くて、どうしても予防的に饒舌になってしまうという傾向はある。まあ、言い訳なのですけれども。
2011年3月9日 3:33:31

その他に、定型文として、あるいは修辞としての表現を、そのまま文字通りに受け取られて…ってのも時どき見かけます。でも、これもやっぱり先回りする感じで、ちょっとギャグ的な補足を付けておく方が良いんだろうなぁと。文字制限があれば別だし、そこまでやれっかよと言われればその通りですが。
2011年3月9日 3:41:13

今までのはある意味では上から目線で、自分の表現を相手が理解してくれないケースでしたが、もちろん逆のケースもあります。それは場の雰囲気から感じる事が多いのですが、自分の言葉の定義が浅いのか、微妙に理解が追いついていない感じがするな~といったケースもちらほら。
2011年3月9日 3:45:20

で、結論としては、表現力が上の人が常に配慮するよりは、気付いたうち余裕がある方が適度にフォローを入れる法則にすると一番ロスが少ないかな、と。そこで難しいのは、制限された文字数による情報しかない場合。気付く率がより低くなって齟齬があちこちで起きてもおかしくないのに割に平和な不思議。
2011年3月9日 3:53:41

別の話に流れそうなので強引に収束させると、傍目から見て齟齬がありそうなのに衝突にまで至る率が少なくて済んでいる。だから情報量が少ない媒体でも破綻なく継続できている。これは日本的な空気の問題なのか?という事と。その空気を怖れる必要はないのか?という事。あ、疑問で終わっちゃった。
2011年3月9日 3:58:33

昔、手紙・電子メール・携帯メール・会話という辺りで、言葉のニュアンスの違いをどうすべきか微妙に悩んだことがあるのですが。結局は「まあ適当に」という結論でした(笑)。で、ツイッターの言葉遣いですが、上記4つのどれとも違うし、時には会話よりくだけた調子になる時もあり、変なものだなと。
2011年3月21日 3:09:02


関連記事

テーマ : ひとりごと - ジャンル : 日記

コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する