現政権のお話

既に一月以上過ぎているという話もありますが、「医療について。」で一応宣言していたので、現政権について簡単に書いておきます。って、簡単に短くまとまったためしがないんですけどね(苦笑)。



■科学技術費関連のお話

現政権について何か書こうと思った直接の原因は、広く話題にもなったスパコンの予算仕分けのニュースを聞いた事でした。これも細かく見て行くと事情は複雑で、NECや日立の撤退とか演算方式をどうすべきか等々、予算がついたら万事OKという話ではなく、改善の余地が多々あるのも確かです。ただ、予算がつかないとプロジェクトが終了してしまう事も確かです。

一般論として、この種の一度止めたプロジェクトを再度立ち上げるには、莫大な費用と労力が掛ります。また、最先端の技術というのはそれ自体の価値に加えて波及効果も馬鹿にはできず、専門の研究者ですら事前には予測し得ないような、他の技術への応用が可能になって来ます。

ニュースを聞いた時に自分が連想したのが戦後の航空業界だったのですが、外からの要求という面もあって戦後から数年の空白が生じた事は、今に至っても取り戻せていない負の効果をもたらしました。この辺りで興味深いのが造船技術との比較ですが、戦時中その性能を高く評価された零戦と、一方で前時代の遺物のような扱いを受けている大和と。それらの製造を通して身に付けた技術は、後者が戦後のものづくりにおいて大いに貢献した一方で、前者は断絶ゆえに活かし切れないまま終わってしまったという話があります。これをどう考えるか、ですね。


現在の我が国では、能力はあるのに予算がないので人材が活用し切れていないという傾向は確かにあって、それらは予算がつかなければ近いうちに失われてしまうものです。ニュースでは「一貫して伸び続けていた科学技術費が初のマイナスに」という伝え方をしていましたが、伸びていたと言っても毎年1%程度でした。2000年に比べて1割も伸びていない我が国と違って、英米仏独などでは6割から9割もの上昇率です。(*参考:解説委員室ブログ「見えない科学技術戦略」)

文系の研究はあまり詳しくないのですが、理系の研究ではお金をかけないと始まらないものが沢山あります。有名な小柴先生のカミオカンデなどが好例ですが、諸事情により民間からの寄付に頼りにくい我が国では、国のお金をあてにするしかありません。民間の活力を主張するのは個人的には歓迎ですが、それならば国からのお金を削減する前に税制の改革が先に来るべきではないかと思えてしまいます。ただ、国が頼りにならないという雰囲気は今回の件で一層強くなっている感を受けますので、国に頼るまでもなく研究者の方々が何とかしてしまうかもしれませんが。。それだけのポテンシャルはまだまだあると、その意味で自分はそれなりに楽観的に考えています(結果が出たから政策が良かったのだと言われかねない傾向は危惧していますが)。

昨今は無駄はとにかくダメという論調が盛んですが、費用対効果という考え方で費用の数%が無駄になるケースと数割が無駄になるケースを明確に分けるなり。あるいは将来を見据えて、たとえ他の事業と比べて無駄が生じ易くとも、広い年月のスパンで見た時に大いなる価値を生みだす可能性のある事業には予算ができる限り回るように、考えて欲しいものだなと思う今日この頃でありました。



■ミクロとマクロのお話

今の政権に限った話ではないですが、例えば経済関連だとミクロとマクロを分けて考えず、特にミクロの話をマクロにそのまま援用するケースが多いような印象があります。で、経済の詳しい話はさておいて、こうした傾向って色んな場面で頻繁に見られる気がするのです。それはミクロとマクロだけではなく、例えば部分と全体でも、個人と組織でも、あるいはspecialとgeneralなどでも良いと思いますが、これらの使い分けが苦手な人が多いのかな?などと乱暴な仮説を検証したくなって来ます。

一般に我が国では、前者のほうが得意な方が多い気がします。で、前者に限って言えば相当の域にまで達しておられる方も多いと思うのですが、それとはまた違った考え方を適用すべき場面で下手を打つケースが多い気がするなぁ...と。あるいは、前者も後者もそれなり以上の知識を持ちながら、場面を見てどちらを使うべきかの選択が下手な方も多いような。。。

つまり、それぞれにおいて更なる高みを目指す意思を遮るのも何ですが、より未熟な理解に過ぎなくても、それぞれの知識の利用の仕方を少しでも向上させて頂けると、色んな事がもっと確実かつ敏速に処理できる気がするのです。教育にも絡んで来る問題なのですぐには改善できない事だと思いますが、そうした視点で考えてみるのもいいかなと思ったので書いてみました。

ちなみに、我が国ではそうした二つの異なる考え方の使い分けは下手ですが、何というか、その二つの境界に潜む「中間子」のようなものに対しては、もの凄く敏感な気もします。まぁ、これはある種の放言ですので、あまり本気にされませぬように。。



■歴史を学ぶ

15年以上前の細川内閣と主要メンバーが変わらない構成。20年前の湾岸戦争時を思い出す小切手外交。アメリカに喧嘩を売り中国に媚を売る、それら自体は構わないとしても、その効果をどう考えどのように収束させるかの戦略がまるで見えないという点では、先の大戦を思い出します。

また、野党時代の感覚のまま、先の政権が決めた事には何でも反対という姿勢を変えないがゆえの自爆。外交の場で発言内容が短期間で頻繁に変化したり、国内の事情をそのまま外交に適用させてみたり。国内では議員の権利を制限して、自分に都合のいい憲法や先例の解釈を行ない、民主主義を単なる多数決に基づく独裁と勘違いし、外面だけで中身には踏み込まない解決に要らぬ時間を費やし、・・・。これらを見ていると、古今東西の政権末期の姿を連想してしまいます。

民主主義のコストだとか政治家を育てる意識などはありますし、自分が一票を投じたわけではないにせよ、民主党政権がもたらすものを受け止める意思は有権者の一人として(もちろん個人でできる範囲で、ですが)持っているつもりですが。。ちょっとなぁ・・・「さすがは!」という場面を少しだけでも見せて欲しいものです。。。

何かの雑誌で見出しだけ見たので詳しい内容は分かりませんが、おそらく亀井さんのモラトリアム法案を天保の改革に喩えているものがありました(天保の無利子年賦返済令?)。また、今年の漢字が「新」だった為か、王莽の新に喩える人もいました(現実を見ない理想主義、外国への高圧的な態度など?)。自分がどちらかと言えば政権に否定的なので肯定的な意見が目に付きにくいのかもしれませんが、歴史上あまり評価の高くない政権に喩えられる状況が、来年は少なくなると良いのですけれど。。。


少し世代の話をすると、何かの答弁の際に「あんたたちがやったくせに」的な発言があったと聞きました。自民党議員からの質問に対する答弁だったと思いますが、これは団塊の世代と戦中世代の、良くない関係を思い出します。「あんたらのせいで」と言われ続けながらも戦後の日本を支えて来た世代が、その人生の晩年に来てなお同じような事を言われるとは・・・などと思うと、何とも言えず哀しい気持ちになりますね。。

とにかく何度も言っているように、自分の理解や予想などが当たるよりも、「見くびっていてすみませんでした」と謝罪せざるを得ないような未来をこそ望んでおりますので、政権が続くのであればとにかく将来に繋がる政権運営を行なって欲しいものです。最近、自分の中でじわじわと小泉内閣の評価が上昇中なのですが、それが止むような展開を期待したいものです(しかし、今こそ「米百俵」とか言うべき時だと思うのですが、その辺りの感覚は小泉さんは凄かったなぁ...と)。



■まとめ

何だかんだと偉そうな事を書きましたが、これらのうちの幾つかは個人的な課題でもあるんですよね。自分ができていないからこそ目に付くという部分はありますし、せっかく目の前に反面教師がいるのだから、これを教訓として活かさないとなぁ・・・なんて思ったりもします。

また、世代について少し触れましたが、まだまだお元気なので下手に同情などをしたら逆に怒られちゃいますが、あの世代が将来を悲観したまま世を去らなければならない、という状況には、できればなって欲しくないんですよね。世代という事で言えば、自分の中では一番親しみ易い世代ですし。もちろん他の各世代の方々にもお世話になりましたが、その辺りもまた個人と集団の違いという感じですね。10代~20代前半で価値観の激変を余儀なくされたがゆえか、集団としての彼らの深みというか温かみは、何か違う印象を自分の中に残しています。

国の未来があまり明るくないという傾向はなかなか変えられないでしょうし(でも自分は日本の底力を信じているので、暗いとまではやはり思えないのですが)、自分一人でどうこうできるわけでもなく、そうした大それた事は考えませんが。何というか、自分の能力に即した貢献ぐらいは果たしたいなぁ~などという緩い思いはありますし、あの世代には少しでも安心した気持ちで逝ってもらえるような状況に持って行きたいものですね(なんて言ったらやっぱり怒られそうですが(笑))。


だらだらと書きましたが、そんな感じで今日はこれにて。
あとマスコミの話を書く予定でしたが、書くならもう少し気楽に書きたいところです。
以上、読んで頂いてありがとうございました。


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