世界に対する日本

久しぶりにお昼に文章を書いています。少し前にスポーツナビで読んだコラムをふと思い出し、それから連想する事があったので、ちょっと書いておこうと。引用が多く手抜きの記事になるかもしれませんが、記録しておく次第であります。


まずはスポーツナビの記事ですが、スペイン在住の小澤一郎さんの「スポーツナビ | サッカー|日本代表|欧州のスカウトが見たU-17日本代表と宇佐美」という記事です。気になった部分を引用すると、2ページ目なのですが↓この辺り。

 基本的に、「日本は年々良くなっている」という褒め言葉の裏側にあるのは旧時代の考え方だ。確かに、100年以上のフットボール史を持つ欧州サッカーの視点からすれば、プロリーグ発足から15年程度で同じ土俵に上がってきた日本の進歩というのは賞賛に値する。ただ、ここ数年日本のサッカーを見続けている欧州の関係者は、日本が欧州の強豪と真剣勝負できるレベルにあると認識している。

(中略)

 つまり、われわれが今耳を傾けるべきは、こうした新時代の認識を持つ欧州サッカー関係者からの言葉である。そこには賞賛とともに苦言も混ざっている。中でもビジャレアルのパキート氏は、「(U-17日本代表は)全般的にはいい。選手はテクニックとディシプリンを持っているし、チームとしてみた時のポジションバランスもいい。ただ、サッカーにおいてテクニックや戦術を習得する目標というのはゴールを奪うため、勝つためだ。しかし、日本のチームからはそうした最終目的がおろそかにされている印象を受けた」と指摘していた。



で、連想したのが↓こちら。

明治三十四年一月二十五日

(中略)

 西洋人は日本の進歩に驚く。驚くは今まで軽蔑してをつた者が生意気なことをしたりいつたりするので驚くなり。大部分の者は驚きもせねば知りもせぬなり。真に西洋人をして敬服せしむるには何年後のことやら分らぬなり。土台日本または日本人に一向interestをもってをらぬ者多きなり。つまらぬ下宿屋の爺などが日本をappreciateせぬのみか心中軽侮(けいぶ)するの色あるを見て自ら頻(しき)りに法螺(ほら)を吹き己れ及び己れの国をえらそうに言へばいふほど向ふは此方(こっち)を馬鹿にするなり。これは此方が立派なことをいつても先方の知識以上のことを言へば一向通ぜぬのみか皆これをconceitと見做(みな)せばなり。黙つてせつせつとやるべし。(岩波文庫「漱石文明論集」三好行雄編p.304より)



共通点は、急激に力を付けた日本が世界とどう相対するかという問題に直面しているところ。同時に、力を付けたとは言っても、現地では一般に膾炙しているほどでもなく。とはいえ後者は、自分の事を顧みても分かる事ですが、身近な事以外にも広く関心を持つ人は少数派と言えるわけで。特に、内向きの傾向が強い(割には他国からの評価を異常に気にする傾向があるのが面白いところですが)我が国の特色を考えると、後者についてはあまり考えず、漱石が言うようにせつせつとやる事が、一見遠回りに見えても結局は最短かつ唯一の解決策と言えるのではないでしょうか。

また、コラムで指摘されている「最終目的がおそろかに」なる傾向は他分野でも広く見られる事で耳が痛いですが、改善を期待したいと同時に、自らに対しても戒めとして再認識したい問題ですね。



以上、今回は少し手抜きな内容でしたが、こんなところで。
読んで頂いてありがとうございました。


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