総選挙まで一週間

いよいよ選挙まで一週間を切りましたが、今の段階でいくつかの事を書きながら整理しておこうと思います。政治的に中立な事を書く気はないですが、自分の政治的判断を人に強制する意図などはありませんので、お目こぼし下されば幸いであります。



・マニフェストについて

流れに逆らう事を言うのも何ですが、マニフェスト選挙の意義がどうにもよく分からない部分があります。政策論争が活発になるのは結構な事ですが、実際には各党ともにビジョンを欠き、目的が不明瞭なままに手段を羅列しているだけという印象がどうも拭えません。ゆえにお互いに突っ込みどころは沢山あって、不毛なやり取りに終始している感を受けます。

で、主に気になる事として3点挙げてみると。1つ目は、本来官僚がやるべき事を政治家が奪っていないか?という点。つまり政治家のプチ官僚化です。それで本来の役目も果たせているのでしたらまだ話は分からないでもないですが、政治が果たすべき大所高所からの視点を放棄して、細かなやり繰りについての議論のみを盛んにするのは変じゃないかな、と。

2つ目は、各々の政策をそれぞれに独立して扱う傾向を感じるのですが、それらは相互に影響し合うもので、こちらを立てればあちらが立たずという事もあるはずなのに、そうした複合的な発想が感じられない事。少し飛躍した話をすると、縦割り行政の弊害が指摘されて久しいですが、これは個々の既得権がどうという話よりも、そもそも複数の要素を横断的に検討する能力が求められていないが故の結果なのではないか?といった怖い仮説を考えたくなる今日この頃です。

最後に、党の公約としてのマニフェストを、選挙後に遵守しようという姿勢が各政治家から感じられない事。と言うよりも、現状としては厳密に遵守されては困るような内容だったりするわけで。できるならば、自分が期待する方向に修正してくれる事を望みながら、党ではなく個人に投票したいところであります。つまりは中選挙区の復活か、あるいはせめて、比例代表で自民・民主については派閥への投票を認めて欲しいなと思うわけですが。小選挙区制は今の現状に合っていない、あまりに雑な制度という気がしますね。



・保身について

少し具体的な話をすると、どうして各党はバラマキの応酬に走るのか?そこまで国民が馬鹿にされているという話もありますが、ここ30年ほどを振り返ると、確かに税負担を口にし難い雰囲気はあります。特に、今のベテラン政治家たちは、大平内閣の増税主張以来の流れ(中曽根内閣の売上税、竹下内閣での消費税導入を巡る混乱、橋本内閣での消費税率上げ、その他国民福祉税なども)を体験して来ているだけに、バラマキの財源を明確にする事には及び腰になるのでしょう。

とはいえ、国民の反感を怖れたそうした保身は、戦前において軍や世論が怖いからと迎合を繰り返した政治家たちと変わらないと思えるわけで。たとえ今回は散る事になったとしても、国民負担と財政支出を同時に論じる候補者が増えて欲しいものであります。



・ちょっとした妄想、その1

で、ちょっと現実逃避をして、こんな感じだったら良いのになぁという思考実験を2つほど。まずは、論点を一つの政策に絞るという実験です。

前回の郵政民営化選挙は色々と問題があった選挙ではありますが、郵政問題に限ったが故に分かりやすかったのは事実です。となると、郵政ではなくもっと色んな事に発展が可能な一つの問題に絞って対立軸を鮮明にするのはどうかな?と。

例えばですが、少子高齢化社会を見越して医療問題に絞ってみます。つまり、高負担で手厚い医療か、低負担でそれ相応の医療か。低負担で手厚い医療なんてのは詭弁ですから、まずはそれを主張する政党が出て来ない程度の健全な環境が必要になりますが、仮にこの二つに分かれて二大政党が選挙を戦うとして。

そう考えてみると、高負担であれば税をどうするのかという議論が確実に方向性を持ちます。負担が必要か否かも不明確な状況とは真剣さが違って来ますし、そうなると消費税を上げる事による弊害(特に、あまり語られない企業から国・地方への徴収段階でのあれこれなど)も論争のポイントになって来るでしょう。経済成長や地方自治の問題にも密接に関わって来るだけに、案外面白いのではないかと。もちろん、現実的には三つぐらいの大きな軸を作って、各政党が旗幟を鮮明にした上で議論をするのがベターでしょうけれど。



・ちょっとした妄想、その2

二つ目の実験は、過去の反省をどう活かすか?という課題への応対で判断する事です。例えば、建築基準法の問題にしろ、消費者金融の問題にしろ、社会問題化して規制が行なわれた結果は、クライアントの為にならない改正であり、業界への逆風を生んだだけでした。これをどう考えるのか?

今の状況だと、野党が政権党を「お前の責任だ」と責めるだけですが、どうせ民主党政権になっても派遣問題や議員の世襲問題などで同じような結末を迎える可能性は高いわけで。こうした応用可能な問題点について、今後の対応を明確に打ち出してもらう事で差異を図るというものです。ただ、問題は、同じような解答で差が生じない可能性もあるという事でしょうか。

仮に、ある党が「消費者のためになる規制」を打ち出し、ある党が「業界の存立を前提にした規制」を打ち出すと、話は面白くなります。そして、規制についての議論を公の場で深める事は、別の応用効果も生みます。端的に言うと、それは北への制裁という行動の評価にも繋がるのではないかと。

あくまでも外から見ている限りの話ですが、制裁という選択はイコール「ルートの遮断」になっている感じを受けます。しかし外交を考える上では、制裁を実施する際には普段よりも対話の重要性が増すのは当たり前の話で。ゆえに、制裁のやり方や効果にも応用させる事で、「国民政府を対手とせず」という苦い失敗の意味を国民レベルで共有できる呼び水になるのではないかなぁと、これはかなり楽観的な希望でありますが、そんな事を考えるのでありました。



・色々考えても・・・

現実逃避はそれぐらいにして。あくまでも個人的な意見ですが、自民・民主両党のマニフェストがどうであれ、今の両党が連立相手も含めて衆議院の2/3を占める可能性があるのであれば、自分はそれを阻止する方向に投票するつもりです。今の憲法に不満が無いわけではないですが、国の未来や理念を感じない方々に改正の許可を与える事には相当の恐怖を覚えます。(*追記参照)

という事で、今の流れが収まらないのであれば、自分の投票先は自動的に自民党になるのでしょう。そして、仮に麻生氏が権力を維持しても、あるいは内閣の陰の最高実力者が表舞台に出て来ても、それに対する責任を負う事になるのでしょう。可能性としては小泉的な傾向に回帰するパターンが一番有り得そうですが、より穏やかな改革路線になるならまだしも、権力の形と方向性が偏在した上での衆愚政治が現出しても責任を負わねばならないとすると泣くに泣けない展開ですが。

まぁ、どこかで現実的なブレーキがかかる事を願いつつ、政治がダメでも民衆がカバーすれば良いのだと楽観的に考えながら、事態の推移を見守る事にしましょうか。



・最後に

最後に、今日少し話に出たのですが、宗教と政治について。

考えておかなければならないのは、1990年の第39回衆議院総選挙の教訓です。あの時にまるで世間から相手にされなかった事がその後5年間の教団の先鋭化に繋がったとされている以上は、単純に嫌悪・排除するよりも、1~2議席で満足して貰えるならばそれでOKとすべきではないかと思ったり。

ただ、可能性を考えればその心配は恐らく杞憂で、それよりも10~20年のスパンで考えた時に、かつての井上日召のような人が出て来ないように気を付けるべきなのでしょう。


どうにも悲観的な予想ばかりですが、全ては杞憂でそれなりに政治が上手く行く事を願いつつ。
今日はこれにて。
読んで頂いてありがとうございました。



*ちょっと追記。(8/29)

「色々考えても・・・」の最初の段落で憲法に言及していますが、参議院でも2/3が必要な上に衆議院の優越が認められているわけでもなく、飛躍した話になっています。この点に関して、軽率な事を書いてしまったと反省しております。

ただ、来年の参議院議員選挙の結果に関わらず、衆議院の優越で法案を通せる状態を民主党に認める事にはやはり躊躇を覚えます(これは今の自民党に対してもそうですが)。

更に、充分条件でないとはいえ、やはり憲法改正の為の必要条件を民主党が満たしてしまう事に対しても恐怖感が残ります。これは(当時は国民投票の規定が無かったとはいえ)自民党が300議席を獲得した前回にはさほど感じなかった事で、やはり経験のない寄り合い所帯に対する不安感が自分の中には強いのでしょう。

憲法改正はとても難しい問題で、こうした追記程度で語れるような問題ではありませんが、各党・派閥の顔を立てた中途半端で将来に禍根を残すような改正を、改正という経験を積み重ねる事を目的に各勢力が妥協して、実施しない事を願うばかりであります。


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本来は天下の回りものであるはずのモノを、縁が切れては大変なので人工的にごちゃごちゃとやり繰りをして、それによって組織の存在意義を主張する目的で行なわれる事、といった感じでしょうか。かなりアナーキーな意見ですが(笑)。
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