ある果物屋さんの閉店

今更の話題ですが、今頃知ったので仕方がないという事で。。。今年の1月末で、八百卯が閉店したそうです。お店に張り紙があって、明治12年以来の歴史に幕を閉じたとの事でしたが、馴染みのあった場所が無くなるのは悲しいものですね。

八百卯は京都の寺町二条にあった果物屋さんで、梶井基次郎の「檸檬」の中で、主人公が檸檬を買ったお店のモデルだと言われています。

その果物屋は私の知っていた範囲で最も好きな店であった。そこは決して立派な店ではなかったのだが、果物屋固有の美しさが最も露骨に感ぜられた。

from青空文庫
(「ある朝」で始まる8段落目より。後に続く夜の描写もどうぞ。)



檸檬が同人誌「青空」に発表されたのは1925年。当時は市電の拡張期で、寺町二条にも中立売線が走っていました。おそらく主人公はこの中立売線に沿って寺町通を下ったのでしょう。寺町通の二条から南、二条通の寺町から西は道幅が狭くなるのですが、これは市電の名残りだったりします(→ストリートビュー)。


少し話を脱線すると、この中立売線は市電のごく初期に敷設された路線で、

木屋町二条→(西へ)→寺町二条→(北へ)→寺町丸太町→(西へ)→烏丸丸太町→(北へ)→烏丸下立売→(西へ)→堀川下立売→(北へ)→堀川中立売、

というルートでした。大雑把に言うと、京都駅前から木屋町線が北に走り、木屋町二条で南禅寺に向けて東に走る鴨東線と、西に向かうこの中立売線に乗り換えるという感じです。更に、堀川下立売→堀川中立売のルートは南北に延長され、最終的には京都駅と北野天満宮を結びました(堀川線)。

1895年に日本初の路面電車として開通した市電ですが、「檸檬」の頃には複数の路線が並行するなど見直しの時期に入っていて、ちょうど1年後の1926年に中立売線は廃止になります。木屋町線から河原町線への移行で木屋町二条の重要性が薄れ、丸太町線や堀川線の充実などもあって、北に西にとジグザグに走るこの路線はお役御免となったのでしょう。


話を戻して、主人公はこの後、三条麩屋町にあった丸善に辿り着きます。二条から三条までざっと500メートル、寺町から麩屋町は2筋なので100メートルちょいという距離です。2005年の10月に「京都の丸善が閉店」というニュースがありましたが、そちらは河原町蛸薬師に移転した後の店舗。自分が初めて行ったのは移転後なので、そちらのイメージしか出て来ませんが(少し検索してみたら昭和15年に移転とか。そら知らんわなぁ、っと)。

閉店の日、店内からは50個近く(うろ覚え)の檸檬が色んな場所で見付かったそうです。洋書を買うなら丸善というイメージでしたが、amazonの隆盛と共に下り坂になって行ったのでしょう。洋書は返品ができないので価格設定が高くなりがちで、買いに行く時は4桁半ばから後半の出費を覚悟して赴いたものでした。在庫を抱えない事でそれを4桁前半で提供するamazonに太刀打ちできる可能性はなく、閉店はやむを得ない判断だったのでしょう。


話を八百卯に戻すと、2階にあったフルーツパーラーには一度だけ入った事があります。あまり面白い思い出ではないのですが、フルーツパーラーは普通に美味しかったかな。お土産に買った檸檬は家に持って帰って、しばらくは炬燵の上に置いてあったような。いつ食べたかは覚えていません(でも多分食べたはず)。

ニュースによると、昨秋に四代目が急死したのが閉店の原因だとか。1年前にも同じく京都市内で、昔何度か通った定食屋さんが閉店したのですが(これも70年ぐらいの歴史があったらしい)、店主の急病などでシャッターを閉めて休業→ある日「閉店のお知らせ」の張り紙が、というパターンだったのだろうな、と。


昨年末、久しぶりに河原町を歩いた時に、丸善はもちろんですが随分お店が変わったなぁという印象を受けました。最近、思い入れのあるお店の閉店が続いているように思えるのは、印象度のバイアスのせいなのかどうなのか。なんにせよ、切ない話であります。


閉店特集でもう少し書く予定でしたが、思いがけず長くなってしまったので、続きは後日にします。
以上、今日はこれにて。
読んで頂いてありがとうございました。

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