黄金旅風と外道忍法帖

本についての雑感。今日は江戸初期のキリシタンものを二つ。



・飯嶋和一「黄金旅風」(小学館文庫)

何が切っ掛けで知ったのかは忘れましたが、この作者の「神無月十番目の夜」(河出書房新社,小学館文庫)は、発売後すぐにハードカバーで読みました。その年の5本の指に入れて良いぐらいに印象が強く、その後2年ほど新作を期待してチェックし続けていました。が、寡作な作家で、自分の興味が時代小説から別に移った事もあって、いつしか忘れてしまったのでした。

wikiによると2000年の1月に「始祖鳥記」、2004年の3月に本書、そして昨2008年の8月に「出星前夜」を発表されています。「出星前夜」を本屋で見て「この名前は・・・?」と引っ掛かったのが思い出す契機になり、とりあえず本書を購入した次第であります。


で、本書ですが、評価としては5段階で☆3.5ぐらい。7割の評価は合格に値すると思いますが、ただ、読む前の期待からすると残念に思ったのも事実です。予定では本書に続いて「出星前夜」を購入するつもりでしたが、今は文庫まで待とうかという感じです。

評価が伸びなかった理由を一言で言うと、それは「流れの悪さ」かもしれません。歴史的事実に関する描写や作者の主張の吐露についてはくどいという印象を多少受けましたし、物語を語る口調もどこか野暮ったい妙な素人臭さを残していて、スピード感に欠けるというか、乗り切れない部分があったのが残念でした。


ただ、そうした瑕疵はありながらも、この作者特有の人物の描き方には惹かれるものがありました。どちらかというと名も無き人の、特に優れた側面に密着して、その生き様をリアルに書き出す姿勢は評価されるべきですし、それだけでも本書は読まれる価値があると思うのでありました。


既得の権益にしがみつく連中が、自らの利権を守るために作り上げた『法令』などというものは、すべて下に降りるに従い全く醜悪な形となって庶民に降りかかる。一度『法』と定められてしまえば、そこには何らの疑問も差し挟めない。それを行使するものは絶対の善であり、無謬(むびゅう)であることが決定してしまう。(p.89)

何らかの権力を持った日本人は、すぐにそれを威示し、上座下座、北面(きたおもて)など、つまらぬことに異常にこだわる性癖を持っていた。ところが目の前の男は、(略)自らの優越を知ったが上で、より弱者に寛大であろうとするような不潔さもなかった。(p.175)

身の程を知らぬ野心を抱き暴走する馬鹿者の愚行が引き金となって、より強大な権力はそれを口実に民への締めつけを強化する。(p.299)

法秩序による民の統制という原則を打ち立てるならば、何よりそれを司る将軍家が厳正に当たらなくてはならない。将軍の政治目的がまず先行し、それに合わせて法を解釈するようなことは、何よりも幕府法の失墜と政(まつりごと)の腐敗とを招く。(p.515)

問題は、そのような愚かな野心を抱く方々によって何が引き起こされるかということでございます。(略)常に野心を抱く者は、その不浄な野心を隠蔽(いんぺい)する必要から声高に大義を掲げるものでございます。(P.529)

いかなる法令も、それが実際に行使される末端においては勝手に拡大解釈され、結果として民にどれほどの悲惨を招くものか、次代を担う稲葉正勝や松平信綱、ひいては将軍家光にも正確に知らせておく必要があった。(p.593)


適当に引用してみましたが、これらは至極真っ当な主張ではあるものの、小説の中で目にするには少々出張りすぎと個人的には感じてしまいます。おそらくはこの本の上梓当時の世相を視野に入れた上での主張で、5年後の今になって状況が更に悪くなっている事を思うと作者の無念さが偲ばれますが、(期待が高すぎるかもしれませんが)こうした露骨な形ではなく、小説の中で上手く発現させて欲しかったと思うのでした。


時が何もかも解決するなどというのは嘘であり、時が経てば経つほど幻の面影は強くなり現との境が極めてつきにくいものとなっていく。どこかで何らかのきっかけがなくては悲しみに対処する術もないまま、自分を責め続け悪夢の中を彷徨(さまよ)わなくてはならない。(p.371~372)


一般論を述べるだけなら小説家ではなくても良いわけで。個人的には特にこの辺りをもう少し深めて欲しかったかなぁ、と思ったり。


以上、辛口になりましたがお奨めしたい一冊でもある本書についての雑感でした。



・山田風太郎「外道忍法帖」(河出文庫)

で、ついでなので時代背景が同じ本書についても簡単に。

忍法帖シリーズはもはや何を読んで何を読んでいないのか自分でも分かりませんが(苦笑)、とりあえず構成や伏線という点では甘さを覚えた作品でした。この作品ではなかったかもしれませんが、以前に読んだ時に感じた「登場人物が死に過ぎる」という印象を実感として思い出したのも少しマイナス材料です。

ただ、ミエミエの伏線ではありましたが、「長崎かぁ」という感慨というか。それを感じられただけでも本書は読む価値があったと思いますし、遠藤周作を始めとする正統派のキリシタンものとは違った側面からの作品という事で、☆3つを下回る評価は付けられないという感じです。



以上、そんな感じで今日はこれにて。
読んで頂いてありがとうございました。


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