三成の無私無欲と忍城

以前に歴史ギャグ漫画「風雲児たち」を紹介しましたが、いくつか考えたことについて、少しずつ書いて行きます。今日はまず石田三成について。


漫画の中で大谷刑部吉継が三成に向かって叫ぶセリフ「かまう事はない、天下を取ってしまえ」こそが肝だったというか。これで自分はこの作品の虜になったわけですが、まさにその通りだと思うわけです。

野心、と表現すると少し別の意味が重なって来ますが、とにかく「自分は野望などない」「滅私奉公の気持ちで」なんて事を真顔で口走る人間は、逆に人望を失う可能性が高いのではないかと。


その理由は色々とあるのでしょうけれど、まず思ったのは現実感の無さというか。理想論ばかりの人からは距離をとりたくなるのに似て、何か異質な感じを受けるというか。しかもそれは、尊敬といったプラスの感覚ではないわけで。

そして、現実には奇麗事だけでは話は進まないわけで、誰かしらが泥をかぶる役割を果たす必要があるわけです。で、それはやっぱり実を取る人物の役どころだろう、という無言の期待があるわけですが、野望ナッシングな発言はこうした期待に沿えない事を宣言するようなものだと思うわけで。


ただまぁ、偉そうな事を書いていても、自分はどうやねん、と言われると厳しいわけで(苦笑)。何年か前ぐらいまでは、全体的に見て局面で泥をかぶる必要がある時にはそれを受け入れるぐらいの覚悟はありましたし(全面的に泥をかぶる勇気は一度も持ち合わせたことはありませんが(笑))、例えば方便になるような嘘であれば、それを吐いて恥じないぐらいのふてぶてしさがあったと思うのですが。

最近はどうも守りに入っているというか、そうした態度が激減して清廉潔白、君子危うきに近寄らずという軟弱ぶりですが。いつでもどこでも責任を引き受けるような蛮勇は問題でしょうけれど、自分の態度については少し改善が必要かなぁとか。そんな事も思っていたのですが話題が逸れたので閑話休題。


三成に話を戻して、彼にとって高くついたのは小田原征伐において忍城を落とせなかった事でしょうか。これについては、三成が責任を負うほどの立場ではなかった、失敗に終わった水攻めは三成の指示ではなかった、などの意見もあるのですが、少なくとも、いわゆる武断派が話を誇張して「三成の戦下手」を喧伝する材料にはなったと、個人的には思っています。

何と言っても戦国の世ですので、戦の下手な武将は尊敬されにくいのは当たり前。更に彼の仕事が手足よりも頭と口の動きを必要とするものであったのも不運といえば不運で。同じ様な状況にかつてあった秀吉は、金ヶ崎の退き口でそれを払拭しましたが、三成にはできなかった、という事なのでしょう。

忍城についての詳細は省きますが、この辺りに興味のある方は、風野真知雄さんの「水の城―いまだ落城せず」(祥伝社文庫)をご一読下さい。


そういえば、上記「水の城」の最後のほうで、城を落とせなかった三成は「落とせなくて良かったかも」的な述懐をしていたように記憶しています。文治的な役割に加えて戦働きでも功を成したとなれば朋輩からの誹謗中傷が更に増えるのは間違いないわけで、それよりも自分は能吏として、戦の事は武断派に任せてお互い分担して・・・的な甘い事を言っていたような。。

何とも自分がイメージする三成に近いものがあって印象に残っているのですが、何と言うか。三成をあまり評価しない方々は、その性格的な冷たさを指摘する事が多い気がするのですが、おそらく彼は他人以上に自分に厳しかったのでしょうし、自分の上司になるのは勘弁して欲しい気もしますが、友人になってくれるのであれば頼もしい部分が多い気がします。


潔癖で野望を持たず何かしら詰めの甘さを感じる三成は、何となく漂う薄幸の雰囲気もあり、確かに天下人の器ではなく、家康の踏み台としての役割が適当・・・と言うと厳しく聞こえるかもしれませんが、それは歴史における役割の話であって。

彼の個人的な人間としての魅力はまた別の話で。というか。人間的な魅力のある人物だったからこそ、そうした踏み台的な役割に甘んじなければならなかったと言えるのかもしれません。


何だか話が少しまとまってしまったので、書き足りない気持ちもあるのですが今日はこれにて。

実は、「戦下手の印象を払拭できなかった人物」として徳川秀忠との対比とかも書こうと思っていたのですが、大体は想像できる話だと思いますので省略という事で。

以上、読んで頂いてありがとうございました。


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