天才と秀才

ちょいと追加で、天才と秀才についての私見を。


イメージとしては、先の見えない曲がりくねった道を進むとして、
・秀才は、道に沿って進んでいく。
・天才は、道なき道をショートカットできる。
・凡才は、道に迷う。路上で迷うタイプと、道を外れて迷うタイプがある。

どちらが良いのかは分かりません。秀才の方が遥か先に到達できる場合も多々ありますし、天才しか到達できないであろう頂、みたいなものもありそうですし。。そもそも、凡才でダメだとは言い切れない気もするわけで、本人がそれを楽しみ堪能するのであれば何の問題もない気もします。


それから、何故か一般に、天才は楽をして道を行けるという類の誤解がありますが、才の違いだけでは決まらないのが人生というか。才能とは別に後天的に獲得できる要素があって、その代表例が努力になるのでしょうか。「努力のための努力」を求める向きが多い気がしてあまり好きではない言葉ですが、苦行と努力は似て非なるものと思うわけで(時に重なる事もあるとは思いますが)。コツコツと積み上げて行く姿勢というか行為を、ここでは努力と定義しておきます。

で。努力できる天才は、同じ道をショートカットするにも短時間で越えられる。しかし、掛けた時間や距離の短さで苦楽を論じるのは違う気がすると思うわけで。また、才能だけを頼りに、同じ場所を更に短期間で越えられる人もいるのでしょうが、一生を通じてそれが通じるほど甘くはないとも思うわけで。ただ、そうした群を抜く天才を目の当たりにしたいという捨てがたい気持ちも、一方ではあります。いわゆる名人とか名選手などに「ありえないプレイ」を期待してしまうのは、そうした心境の顕れなのかもしれません。


と、そんな感じで天才と秀才についての補足でありました。
以上、読んで頂いてありがとうございました。


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