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尊敬と盲従

間に合うかな?もう一つぐらい書いておこう。
という事で、引き続き独り言。


人の意見を聞く時に、我々はその発言の信憑性を意識的にも無意識にも判定しながら耳を傾けます。で、その判定が積み重なった結果として、「Aさんとは意見が合う」とか「音楽の話ならBさんに聞こう」とか、信頼なり尊敬なりが生まれるわけです。


ただ、こうなった時に難しいのは聞き手ではなく語り手で。適切な意見を表明して、信頼なり尊敬なりを集める程に、発言のリスクは大きくなります。その結果、無難な意見に終始して次第に尊敬を失ったり、時にはそれを取り戻そうとして、よりリスクのある物言いをして余計に墓穴を掘る・・・なんて事も時々見受けられます。


で、自分の傾向として、そうした推移を避けたいが為に、聞き手に「思考停止を許さない」事があります。盲従されるのを防ぐ事で、自分の発言のリスクを少しでも小さくできる上に、発言の内容を高める効果もあるわけですが。問題は、全くもって聞き手の受けが良くないんですよね。

人間性の真理として、責任を避ける傾向があるのは確かなのでしょうけれど、ほんの少しだけリスクを分担して貰えるだけで、こちらの心理的にも発言の内容的にも劇的な改善の余地があるわけで。コスト・パフォーマンスを考えるとかなりのものだと思うのですが・・・難しいですね。


ま、実際のところはそんな感じの理性的な話ではなく。テレビのワイドショーとかに出て来て無責任な事を言う方々の意見を無批判に受け入れて、一応は発言に責任を持つぐらいの意識で話している自分の意見が、それと同列に語られる事に何か釈然としないものを感じるという、かなり感情的な話だったりするのですが(笑)。


ともあれ、聞き手に何かを要求する前に、自分の発言の中身をより良くする方が先というか執るべき道だと思うので、精進する事でしょうね。という事で、真面目な結論が出たところで今日はこれにて。

読んで頂いてありがとうございました。


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テーマ : ひとりごとのようなもの - ジャンル : 日記

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