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昨日書いたss2&Gに引き続いて。ライブを観ながら気になった事を2点ほど。


一つは、ギター演奏(ソロ)に対する桜井氏の意識の低さ。シークレット・ゲストの布袋さんの「ギター・バトルやりますか?」という発言に、その場ではコブクロの小渕氏も桜井氏も腰の引けた反応を示していたわけですが。

いざ間奏になってソロが始まると、布袋さんの後を受けた小渕氏は先ほどの反応とは裏腹のなかなかやんちゃな向こう気の強い演奏で、好感が持てました。一方の桜井氏は無難な演奏、というかイージーなミスも多少あったりして。自分ではなくゲストが主役という意識から、一歩引いた立ち位置でいる事は理解できるのですが(仕方のない事でしょうけれど、客層を考えても、桜井氏が前面に出るとゲストが霞む傾向はありますね)。ミスチルでもギターを避けている(ヴォーカルに専念といった)感があるだけに、やっぱり寂しいですね。


それから、もう一つ問題提起をしたいのは、特定のミュージシャンに対してではなく。一般に、最近の傾向に対して。言葉でここまで懇切丁寧に表現しなければならないのか?という点。

これは昔から思っていた事で、例えば70年代のフォーク・ソングについて。個人的に嫌いではないのですが、いくつかの有名曲はやっぱりくどい気がするというか。内容を維持したままで長さを2/3に縮めて密度をより高くすれば、もっと良くなるだろうに・・・なんて生意気な事を言い続けて来たわけですが。

エンタメに芸術性を求め過ぎではないか?という指摘については、長くなるので別の機会に回すとして。自分の結論としては、言葉(歌詞)は冗長に語り過ぎだし、曲も長さの割には同じメロディの繰り返しが多くて、無駄に引き延ばしているとしか思えない様な。せっかくの魅力を自ら台無しにしている気がして、勿体なくも残念に感じるのであります。

特に歌詞については情報過多で簡略化が目指すところだと思うですが、どうも文明の利器のお陰か長くなっても余裕で収録できてしまうこのご時世。50年ほど前の3分という録音時間の限界があった頃とか。そもそも、昔の人は十七文字とか三十一文字であれほど豊かな世界を表現できていたわけで。そうした、「制限された中での工夫」を余儀なくされた状況で作品を作る必要があった時代に思いを馳せてみたり。


まとめると、
・歌の表現が一面的で単純化しすぎでは?
・バンド<ヴォーカルという傾向が顕著になっている?
・表現がくどいのでは?
といった感じでしょうか。


ミスチルというよりは最近の流行りに対して、という事になりますが。自分としては問題ではないかと感じる部分なのですが、ざっと検索した限りでは誰も問題にしていないという不思議。故意の不思議?生きた明石の蛸が食べたいですね。なんて洒落てみても通じない人が多数でしょうから閑話休題。

流行り廃りは世の常でありますが、これが今の流行りなのだとすれば、自分には残念ながら合わないなぁ・・・なんて思いつつ。賛同者がいないかと意見を表明してみた次第であります。


以上、これにて。
読んで頂いてありがとうございました。



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