ネットについて。その1。

少し間隔があいてしまったので、リハビリがてらにちょいと真面目な事でも。


・ネット上で何を書く?

インターネットによって、他人との距離が縮まったり、ネット上に知識が保存されていったり。

まずは後者について。例えば、ある作品を体験したとして。その感想を自分で書かなくとも、今やネット上で検索したらずらずらと出て来るわけで。充分な数を確保できたなら、もはや自分には目新しい事を付け加えることができない。
それどころか、それら検索で得られた感想をざっと読んで自分好みにまとめるだけで、実際に作品を体験する必要すら無くなってしまう。

これはもちろん極端な意見だけれど、極端ついでに話を進めると、一次産業から二次産業への移行、とまではいかなくとも、需要の変化とそれに伴う前者の軽視という傾向はやはり付いて回るわけで。

ビジネスにおいては、あるものを使わないという非能率的な選択はできないので、二次加工を軽視しすぎるのも問題だし。そもそも加工のやり方次第では、遥かに洗練できるというプラスの面もあるのだし。

ただやっぱり、自分の言葉で自分の感想を表現する事は、もっと意識されても良い。なんて事を思うのであります(ま、仕事においては推奨されないですが)。


検索で得られた感想の中には、自分の力量を遥かに超えたものも時に混じっていて。いきなりそれと直接相対しなければならない事が、自分の言葉で書く意欲を失わせる一因になるかもしれない。その人がそれだけのものを書ける様になるまでの積み重ねが、検索では抽出できない事が致命的なのかどうなのか。

いずれにしても、そんな時には「何も書かない」か、「(意図的か否かはさておき)他人の感想を切り貼りして何とか体裁を保つ」のが無難で、自分の未熟な感想を意識的に上梓するのはなかなか難しい。書いてから検索をするという順番にすればある程度は防げるけれど、そうなると今度は書きながら浮かんだ些細な疑問などが調べ辛くなったり。検索の精度が良くなり過ぎるのも善し悪しですね。


結局は、検索で簡単に結論まで到達できるのが問題なのか?何を言おうとしているかというと、ネットの普及でニッチな意見にも市民権が与えられるかと思いきや。結局は多数派がより独占傾向を強めている事が遥かに多い様な。仕事絡みならば仕方がないとしても、趣味の分野でそれは少し勘弁して欲しいなぁ、とか。

とはいえ、もしもネットをできる限り効率的に使おうとするならば。やっぱり、ネット上でアーカイブされた知識を事実として、それを確認するだけ、というスタイルに行き着く気がします。それは、年号を覚える事=歴史の勉強というのと変わりがない様な、何となく虚しい行動で。自然、使用者は思考停止を迫られる。というか、意識しない事で遥かに楽になれる。


う~む、何だか、話の流れがかなり悲観的になってしまいました。梅田氏ほど楽観的になれないのは確かですが。ちょっとこの流れだと「のび太とブリキの迷宮」とか「技術的特異点」とかに行き着きそうなので、この辺りで一度ブレイク。



まだ続きますが、とりあえずは、読んで頂いてありがとうございました。
今日はこれにて。


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