秀吉と家康

ひょんな事から、山田風太郎の「妖説太閤記」が講談社文庫になっている事を今日知って(2003年11月発刊だとか)、酷い扱いを受けている秀吉に同情しつつも楽しめた記憶があるので懐かしく、ちょいと検索をしたのが始まりでした。

すると、検索結果の中に、家康公論評考というページが出て来まして、これは古今の学者や小説家が家康について書いた文章の引用で構成されているわけですが、それらを読んで考えたり、出て来た疑問点を再び検索したり、そんな事をしているうちに数時間があっという間に過ぎてしまいました。

基本的に自分は三英雄をそれぞれに尊敬していますので、「家康が好きで秀吉は嫌い」というこの管理人さんとは、その点では意見は合わないのですが(それぞれ欠点があった事は認めますが)、山岡荘八の「徳川家康」に感銘を受けて以来、家康を高く評価するという経緯は全く同じで、楽しい時間を過ごしました。

豊臣家を滅ぼした事が400年後の今に至って家康の人気が上がらない原因なのでしょうが、「陰険な狸親父」「運良く天下を取れた人」なんて理解で片付けてしまうには勿体ないというか、調べるほどに面白い人物です。


一般に言われている通り、作家の司馬遼太郎が大の徳川嫌いで、かつその「司馬史観」が定説であるかの様に広く認識されているので、偏見を打ち破るのが難しいわけですが、かつて氏の「徳川慶喜」を読んで、慶喜が大阪城から逃げ出した事を「250年前の報い」の様に書かれていた箇所をふと思い出しました。

それは何か妄執というか理屈を越えた執念を感じる部分で、彼をそこまで徳川嫌いにさせる原因は知りませんが、とにかくその怨念の様なものが、未だに効果を発揮しているという事なのでしょう。

好きな作品も多いし、上記の「徳川慶喜」も、悪くはない小説だったのですけどね。


話を戻して、家康については、徳富蘇峰が書いている様に、「順番から言えば、信長がついて秀吉がこねた天下餅を最後に食べたのが家康、という事になるけれども、家康は餅をつく信長にも、餅をこねる秀吉にも、しっかりと協力していたのだから、何の努力もせずに据え膳を喰っただけの男、という評価は冤罪であろう」という評価が、一番妥当なものだと思います。


まとめづらいというか、書き出したら止まらなさそうなので、今回はここまで。
読んで頂いてありがとうございました。
関連記事

テーマ : 歴史上の人物 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する