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雪を眺めながらつらつらと

現実逃避的なつらつらとつぶやきシリーズ第三弾。

こういう記事は書くのは楽なのですが、内容が浅くなりがちなのでどうなのか?と思いつつ。ま、普段からそれほど深い記事を書いているわけでもないので善しとしましょう(笑)。


で、今回新たなカテゴリーを設けてみました。そのうち、過去の未分類の記事を整理する予定。

あと、トラックバックは昔の記事を引っ張り出してきたら面白そう。時期的に近いものは文中にリンクを張るだけで良いかな、という感じで。


では本題。



日本人の国際感覚の未熟さ、について。

たまに言われるのが、国内の政治家同士の争いを見ていると、例えば腹芸とか離合集散とか根回しとか何でも良いのですが、駆け引きや権謀術数という点でレベルが低いとは思えないわけで。

だからこれまで、日本の政治家は外に出ると弱くなるとか、その理由は欧米コンプレックスだ、とか語られてきたわけですが。


ふと思ったのは、日本人同士だと、相手に合わせてしまうからではないかと。


要するに、日本人同士だと場を共有し易いというか。相手の土俵に乗った状態でやり取りがあるわけですが、特にアングロサクソン系の方々は、自分に有利な場を新たに作る事を常に念頭に置いている気がするというか。

場を変える事を厭わない人たちと、それを卑怯とか邪道とか思う人と。元寇の頃、正々堂々と名乗り合ってから戦いに入ると思い込んでいた鎌倉幕府の御家人達と、問答無用で毒矢を打って来た蒙古兵とか。場の共有ができていない人との関わりが薄いから、どうしても前提条件として相手と場を共有していると思い込んで、そこからスタートしてしまうのかもしれない。


それで思い出すのが常識についてのお話。

例えば横綱の朝青龍関。ほぼ勝負が付いた後で更にダメを押す彼について、たまに常識がないとか言ってる人がいるけど。モンゴルの常識はそうなのかもしれない(完全に勝負がついたと判然するまで手は抜くな)とか、そういう発想はあまり出て来ない気がする。

もちろん、大相撲は日本の国技だし、国民の税金も使われている事を考えると、日本の常識に従って欲しいという意見は納得できる。ただ、相手とは常識が異なる可能性があるって事が意識から抜けている状況で、ただ郷に従えと言うのでは、説得力という点ではどうなのか?


常識というと当たり前の事のように考えられているけれど、それは日常生活を送っていく中で学ぶもので。あれだけ日本語がペラペラなのだから、日本の常識も身に付いているだろうと決め付けるのは難しい気がする。

ましてやこれからの時代は、地域ぐるみの交流が途絶えて核家族で育った親がどんどん増えてくる。子供にとってはそんな親と学校だけが学び場という状況で、常識を教えてくれる機会はますます乏しくなって行く。

そうしたバックグラウンドを認識しておかないと、あの人は常識がない、と一言で片付ける事がどれだけ危険な事か、なかなか分かって貰えない。片付けた本人も別の場所では同じ様に片付けられたり。そうした積み重ねが人間関係に隔壁を生んで、集団としてギクシャクする要因になるかもしれない。


話を戻して、やっぱり日本人は場の変化に上手くついて行く事が苦手っぽい。

例えば柔道とかレスリングとか、昔のバレーとかもそうだったみたいだけど、日本が上位を独占している状況で、他の国はルールの公平さを訴えて、その実は体格差が有利に働くようなルールの改変を行ったり。日本はいつもやられっぱなしで、やられた後で新しいルールの範囲内で一から努力する事が美徳みたいに語られる。

せめてそこで、場の変化にある程度乗りつつ、適当な折衷案を提示して、それを実現するための粘り強い交渉をするとか。そんな事ができれば良いのだけれど、大抵は改変反対にしがみ付いて、何もかもを手放してしまう。


寄らば大樹ではないけれど、何か絶対的なものがあると思い易くて。相対的に色んな事が決まるという状況に慣れていないのかもしれない。
国連至上主義とかもそうだし、例えばアメリカの意見とか一口に言うけれど、民主党と共和党、アングロサクソンとヒスパニック系、北部と南部とか、単純な二項対立を考えただけでも随分出てくるわけで。日本の常識は世界の非常識、なんて言葉もそう。世界共通の常識があるという前提。


交通の整備とかネットの普及とかで世界との距離が縮まっている今日、ただでさえ身内で完結しがちな日本人は、それ故に世界を見据えて他人と関わる経験を意識的に増やして、切磋琢磨した方がいい気がする。

ところが、特に文化面で最近思うのだけど、どうにも鎖国的な気配が漂う分野が多くなって来ている様な。

学術的な分野でも、例えば外国に留学したとしても、最近ではネットの普及で日本語と縁遠くなるわけでもなく。そんな環境で1年を過ごして、帰って来たら特別待遇とか。
ただ、国内でしか通用しない箔付けのための留学に甘んじていない意欲的な人も多いわけで。そういう人たちを目標に、意欲を失わずに過ごして行きたいと。キリがないので強引にまとめておきます。


しかし、文句を言うだけならば簡単ですが、対案を出すとなると一気に難易度が上がり。更にその対案に責任を持つとなると、相当の信念と批判への鈍感さと状況の判断力といざという時の行動力と、色んな要素が高い水準で求められるわけで。上に立つ方々もなかなか大変ですね。

ただ、安定志向の事なかれ主義に走られても困りますが、下手に改革をすると元に戻す事ができないだけに、長年に亘る悪影響を招く可能性もあるわけで。その意味では、動く事、変える事のリスクが一般に軽視されている状況が、もう少し何とかならないかと思ったりする今日この頃であります。



以上、今日はこれにて。
読んで頂いてありがとうございました。


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テーマ : ひとりごとのようなもの - ジャンル : 日記

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