汝は何故本を読むのか?

そんなもん、好きだから、に決まっているわけですが。

過去に、寝る間も惜しいと夢中になって本を読み、翌日徹夜で通学するといった経験がある人ならば、その味を忘れる事など不可能だという事に同意頂けるのではないかと思います。

が、そこからもう少しだけ掘り下げてみようと思った週明け間近の深夜、皆様いかがお過ごしでしょうか?よゐこは不健康な真似をせず、早く寝て下さいね。


さて、本と言っても色々あるわけで、実用書から雑誌から小説から漫画から、更にはそれぞれにおいてもきめ細かい分類があってまいっちんぐなわけですが、本来的には読者が何らかの有益なものを得る事ができるのならば、読むものが何であってもかまわない筈で。

論文の価値は引用の数で決まる、という話がありますが、要はその人が生きていく上で引用できそうな事柄をどれだけ見付けられるか?が、その人にとっての良書か駄作かを決めるファクターではないかと。


さて、ここで問題になるのは、一つは有益の定義であり、一つは有益の度合いであります。


仮に有益の定義が物質的な、或いはより直截的に金銭的な事を対象とするに止まるのであれば。小説や漫画は不要であり、実用書を読み漁っていれば事足りるでしょう。それもまぁ一つの生き方であります。

また、より精神的なものであるならば。一部の漫画を除けば、小説以上に役立つ本はなかなか見付からないのではないかと思います。


度合いについて言えば。例えば昨今は携帯小説などが流行しているそうですが、文化人がその読者を否定的に見るのは何となく分かります。

要するに、「それよりももっと感動できる小説が、この世にはたくさんあるよ」と言いたいのでしょうし、それは全く同意であります。

ただ自分としては、携帯小説に感銘を受けた個人がいたとして、特にその人が自分の思いもよらぬ引用をしている場合には、それでいいとは思うんですけどね。世間全般で携帯小説を持ち上げる動きはどうかと思いますが、個人レベルまでは...って感じで。

誰しも幼い頃から名作にばかり巡り会って来たわけではなく。今となっては拙いと思える作品に熱中した頃もあったでしょうに、その過去を棚に上げて、過去の自分と同じ状態にある人を見下したり。或いは名作を読んだという事実だけを重視して、そこから何を得たのかがよく分からなかったり。そんな方々には少し違和感がありますが、まぁそれは蛇足という事で。


話を戻して。そもそもの動機としては、どうして漫画や小説は必要以上に見下されるのだろう?という疑問から出たわけなのですが。

実用書については、有益だから、で片付くんですよね。

一方、漫画や小説は有益ではないのか?と考えると、上記の様に有益という言葉の定義や程度によって有益か否かの違いが出るわけで。

とは言えそれは個人の価値観にも関わって来るだけに、一概に決められないものがあるのでしょうが、高度資本主義国家たる日本においては、社会人が読むには多少風当たりが厳しくなると、そんな感じなのかもしれません。


では、そんな状況で、どうして自分は漫画や小説を読むのか?

それの答えは、せっかくなので漫画から引用したいと思います。確かバガボンドの槍使いの人が言っていた台詞ですが、「人生を教わる」から、でしょうかね。少しくさいですが。

「何が起こるか判らないから人生は楽しい」と誰かが言ってましたが、その意味で人生に一番近いのは小説であり一部の漫画であると思うわけで。

その意味では予定調和に過ぎない実用書に、確かに熱中しなければならない時期がある事も確かですが、狭い意味での「有益」に縛られない読書をこれからも続けていきたいものであります。

そして、その「有益」の実感を忘れない為には、全く無益なものを体験する事もまた重要になって来るわけですが、それについてはまたの機会に。


願わくば、漫画であれ小説であれ、そしてもちろん実用書であれ雑誌であれ、自分はそれによってこれを得たんだとか、こんな事を考えさせられたんだとか、そうした事をソースに関係なく堂々と主張できる環境に、世の中が近付いて欲しいものであります。


以上、ご清聴ありがとうございました。
今日はこれにて。



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