執心と就寝への囚人と衆人のジレンマ

やりたい事の前にやらねばならぬ事があるのは衆人の等しく悩めるところでありますが、それでは小生が以下で語ろうとする囚人との違いは何かと申しますと、それはやらねばならぬ事を片付けた後で就寝よりもご執心の事があるや否やに帰すのではないかと思うのであります。

と、イメージ中島敦、たまに芥川龍之介、そして捻り出した文章は・・・という書き出しで始まったこの考察、お時間は取らせませんので御覧じ下されば幸いであります。


さて、世の中で或いは一番偉大な能力とは、長い間継続して一定の事をこなす能力であると時に思うのでありますが(夏休みの宿題を日付が9月になってから始めていた小生には無縁のものですが)、その観点から考えても、無理をせず体力の許す範囲においてご執心に励むのが最良の道である事は明らかでありましょう。

しかしながら、何かにご執心の方は、既に知ってしまったのであります。良質のものに巡り逢えた時の感動、と文字にしてしまうと平凡に感じられますが、それは時に就寝を犠牲にしてすら惜しくないものでありまして、人生におけるある種の充実感を深夜に一人で満喫する姿は他人からすると滑稽に見えるかもしれませんが、まことに得難い貴重なものなのであります。


とはいえ、ここで問題になるのが、自分が知りえない要素が結果に深く絡んで来る事であります。

すなわち、就寝を犠牲にしてまでご執心の事柄が、果たして上記のような感動をもたらしてくれるのか?既に囚人の方々には周知の事でありますが、就寝を犠牲にしたからといって必ずしも感動は味わえるものではなく、むしろ年々その可能性は減ずる一方という哀しい事実がここにあるのであります。

そして、求めていたものが得られないと確信した時。ただでさえ就寝を犠牲にしているせいで体力の消耗は激しいのでありますが、その瞬間により一層の疲労感を感動の代わりに得てしまうのであります。


ご執心のものが有益か否か?面白い事に、感動が得られる時には疲労度は驚くほど軽く済むのでありまして、自分がいかに最善を尽くそうとも自分以外の要素によって結果が大きく変化するこの現象は、まさに囚人のdilemmaと表現するに相応しいものでありましょう。


最後に、文章だけでは理解しにくい事もあるかと思われますので、簡単に上記の内容を表にまとめて提示しておきます。就寝か執心か?そして内容が有益か無益か?それによって得られるものと、失われる精神的・体力的損失を数値化したものを、とくと御覧下されたし。


:::::有益な内容:無益な内容
就寝優先:+4-1::+1-2
執心優先:+8-2::+2-8



以上で総論は終了でありまして、次回は各論であります。執心優先と一言で表現しても、実際の行動は多々益々弁ずとは行かない以上、どうしてもある程度のやりくりが必要であります。故に、例えば本を読みながら音楽を聴くという行動の効果はどれほどのものか?など、考察の余地は多岐に渡るのでありまして、どなたか代わりにまとめてくれぬかと思う今日この頃、上梓の予定は完全に未定であります。


予想に反して最後までまともだった上に何故かそれなりにまとまってしまいましたが、そんな感じで今日はこれにて。
読んで頂いてありがとうございました。


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