The Darkside of the Moon

やっぱり気軽に書けるので、適当に音楽の話でも。ただちょっとマニアックになりますのでご容赦を。


最近、というか二ヶ月ぐらい前ですが、ちょいと「狂気」について考えていました。正確には狂気を音楽で昇華する事、或いは音楽で表現する事について。

で、先日CSでブルーハーツの特集があって。映像を観て思ったのですが、甲本ヒロト氏は音楽に巡り合って良かったなと。彼が歌っている姿は狂気の発散そのもので、でもだから説得力があるんだな、とか。


「もしも芸術に巡り合っていなかったら?」と考えていてふと山田詠美氏を思い出したのですが、「自分はどうなっていただろう?」ってな事をどこかで書いておられた記憶があって。

でも、あの方は案外それなりに過ごせていたんじゃないかな、とか思ったり。密かに内側に抱えつつ、結構うまく過ごせそうな気がするんですが、どうなんでしょうね。意味の無い仮定ですが。


それで「情熱の薔薇」を聴いていて、他の人が歌っている時は自分もとても盛り上がるのですが、ヒロト氏が歌っているとどうも涙が出そうになるのが昔から不思議で。やっぱり表面的なパフォーマンスとかじゃなく、彼そのものが原因なのかな、と思ったのでした。狂気以外の要素も含めた、彼自身の何か。


話が長くなりそうなので強引に結論付けますが、90年代に入るまで、或いは昭和の時代と言っても良いかもしれませんが、その頃はやっぱり牧歌的だったなと、ふと思ったのです。

そうした狂気の持ち主を吸収できる余地が、音楽を始め芸術にはあったんだな、と。今もある程度は残っていますが、メインストリームでは無理だと思うので。


それで、とある人がテレビで「今となっては、狂気を表現するには理性を働かせるしかない」的な事を言っていたらしく。この方がどこまで考えて発言していたのかは分かりませんが(問題発言はしたもの勝ちなので)、90年代後半ぐらいはまさにそんな感じだったんだろうな、と。


このあたりの話を膨らませて、勝手に比較シリーズ第二弾を書こうと思っていたのですが、そんなネタバレはさておいて話を続けると。


自分がすぐに思い付いたのはサザンと椎名林檎嬢なのですが、サザンがアルバム「さくら」で失敗した事を林檎嬢は易々とやってのけて。(この辺りの評価への反論は大歓迎であります。)

「絶頂集」の頃までの林檎嬢は本当に上手くやれていたと思うし、あの時点でバンドに路線を移せていたら、と今でも思うのですが、結局はサザンと同様に理性が勝ちすぎる結果になって。やっぱり狂気と理性のバランスを取るのは相当な難事なのでしょうね。

バンドになってからの活動も決して悪くはないですし、とても知的ではあるのですが、故に言葉で説明し易いというか。まぁこれは蛇足ですが。


それで、最近になって出てきたバンドの音を聴いてみると、これが見事に狂気を纏った状態でナチュラルなんですよね。2~3歳の違いで世代を感じる事なんて慣れっこですが、これはさすがにちょっとビックリしました。

おそらく、この90年代後半の雰囲気を普通に受け入れて過ごして来た結果なのでしょうが、こうした傾向は洋楽でも見受けられると勝手に考えていて、あと1~2年ぐらい経った時にどうなっているのか、とても楽しみな今日この頃なのでした。



関係ないですが、最後にFNS歌謡祭の感想を簡単に書いておくと。

名もなき詩。本当に演奏が上手くなったな、という印象。まぁ昔がお世辞にも上手くなかったからってのがありますが。

この曲のドラムがTicket to rideのパクリって言ってる人ってどうなんでしょう。Beatlesをちゃんと聴いた事があるのかな?なんて久しぶりの毒舌(笑)はともかく、ルーツは誰なんだろうと考えながら聴いていました。

桜井氏の歌い方はちょっとトゲがある感じも受けて。もっと攻撃的な曲も歌いたいって体が要求してるのでは?とか妄想してみたり。フラジャイルみたいな曲が良さそう。

桜井氏に普段あまり注目してないので分かりませんが、今日はギターの位置がちょいと高めという気がして。更にエスカレートして、サンボマスターみたいになったら面白いんですけどね(笑)。


旅立ちの唄はいつも通り。フェイクは全然演奏しませんね。



本当に最後までだらだらと書いただけですが、今日はこんな感じで。
読んで頂いてありがとうございました。


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