司馬作品への個人的不満点その1

どうも最近、寒くて炬燵から動きたくないからか(笑)、文章をまとめようという意欲が減退しておりますので、簡単に。

以前、付け加えると言いながら早一月という、司馬遼太郎作品の感想について。


最初に、基本的に司馬氏の作品、特に小説は評価しておりますので、10代の頃に読むのであれば何の問題もなくお奨めできると思っています。

新撰組の土方を始め、こうした以前はスポットライトが当たらずにいた人物を取り上げてその魅力を紹介した事は、彼の仕事の中でも最も評価されてしかるべき点だと思います。


その一方で、年を経ていくと物足りなさが増えるのも確かで、その不満は大きく分けると2つになります。


一つは、作者が小説に登場する頻度が高い事。これは自分の場合、中学の頃に氏の小説を初めて読んだ時から気になっていた事で、小説のリズムも悪くなるし、作者が登場するたびに当時の自分が「そんなごちゃごちゃした主張はどうでも良いから」と思った事を覚えています。

で、今でもそれと同じ事を思うのですが、それと同時に、作者の意見への物足りなさが最近では出てきました。

つまり、作者の意見がどうも近視眼的に感じられるのですが、先だって小説の中で「~ではないか」と端的にまとめて解決したはずの問題を何故か再び蒸し返す事が多く、せっかく良い表現をしておられるのに、ご自分の書いた事を理解しておられないのかと残念な気持ちになります。

また、特定の事柄に対する怨念にも似た嫌悪。これは主に軍人と徳川家に対するものが殆どだと思いますが、かなり意地の悪い読み方をすると、「覇王の家」などは家康を英雄ではないと結論付けたくて結局果たせなかった小説と捉える事もできるのかな、と。

歴史上の人物への好悪の感情は小説家といえども勿論あって当然ですが、司馬氏の場合はその嫌悪の仕方が何というか執念深く陰気で、その辺りがとても残念なのであります。


そして二つ目ですが、長くなったので後日に改めて。



とりあえず今日はこれにて。
読んで頂いて、ありがとうございました。


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