音楽やわ、その7:椎名林檎15周年班大会

ほんの一月前にはクーラーをつけねば過ごしていられない状況だったのが、今やコタツから出るのが億劫な今日この頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか?しかし、ぬくぬくした状態でよく冷えたビールを飲むのも良いですね。

というわけで、例によって前置きとは何ら関係なく。昨日お誘いを受けて椎名林檎さんの15周年ライブに映画館で参加して来たので、感想を書き残しておきます。ちなみに、彼女のライブは13年前に大阪の厚生年金会館に行って以来。そして個人的なベスト・アクトは、99年のライジング・サンでの「時が暴走する」です。あれは凄かった。。。


■ヴォーカルと演奏

さて、今回のライブは生楽器をバックにしたもので、エレキを手にバンドをバックにというものではありませんでした。それはそれで残念な部分もありましたが、しかし背後の演奏が充実しているので全く不満が出るわけもなく、楽しんで参りました。

ある意味では当然とも言えるし、よくよく考えると不思議にも思う事ですが、たとえ名義がソロであっても一人で楽曲を完成できるわけもなく。つまりバックの演奏が曲の重要な意味を担っているのは当たり前の話なのですが、しかし一つの作品として演奏からヴォーカル、歌詞からメロディからアレンジまでを視野に入れた批評が少ないのが不思議なところで。

あまり偉そうな事を言えるほど音楽に精通しているわけでもないですが、しかし歌詞だけを取り出して分析している批評を見ると、では他の要素は無意味なのかと反論したくもなるわけで。そしてこの日のライブは、そうした日頃の思いに根拠を与えてくれるような充実感がありました。


デビューの頃から既に、彼女の作品は市販のものであれライブであれ、演奏を重視した成り立ちでした。この辺りは芸術の世界ですら、あるいはそうした専門的な世界ほど、時に実力以上に人の繋がりが重視されたメンバー構成になるものですが、彼女の場合はかなり演奏重視で人選している感じが伝わって来て、好感を持っていたものです。

昨日のライブで林檎さんが演奏したのは、タンバリンを除くとアンコール1曲目「歌舞伎町の女王」でのアコギだけでした。つまり今回はヴォーカルにほぼ専念していた形ですが、かつて行ったライブに比べ立ち居振る舞いが安定していて、声もよく出ていました。昔は一言で言えば才能が剥き出しになったような、つまり良し悪しが分かれやすく歌を通して彼女の奥行きのあるバックグラウンドを簡単に垣間見る事が出来ましたが、今回はそうした部分をきちんとシャットアウトできていて、良い意味で「演じる」という事について成長した姿を見られました。

「演じる」という事は、特にそれを長年にわたって続ける事はとても難しく、かつての林檎さんも自分の演じたい椎名林檎と周囲の求める椎名林檎とのギャップに悩み、迷走している風に思える時期がありました。それを乗り越え、本人の念願とも言えるバンドを結成してなお、彼女のやりたい事とファンが求める作品との乖離は解消せず、今なお存在している感じを受けます。が、この日のライブでは曲目から演奏から彼女自身のパフォーマンスまで、好きなように取り計らっている印象を受け、その精神的な充実ぶりを感じ取れた事も良かった事の一つです。


一方で、個人的に残念だった事も一つだけ。それは「罪と罰」のあの演奏のテンションで間奏(掠れされて居たのだろう〜静寂を破る、の間)に突入して欲しかったのがカットされていた事で、すぐにヴォーカルが繋がった時には天井を仰いだのですが、あの部分こそ演奏の冴え、アレンジの冴えを披露して欲しかったと思います。

なお、どの曲もアレンジはおおむね高評価で、特に演奏メンバーに合わせた形になっているのがとても良いと思いました。ライブを見に行くにあたって過去の楽曲を聴き直していたのですが、カヴァー・アルバムにて草野さんや宇多田さんとデュエットしていた楽曲で、表に出ても裏に回っても面白いなぁと改めて思っていた事が、実際のライブで時にバックの演奏を引き立て、時に演奏をバックに自身が引き立つという意識的な見せ方も、この日楽しめた事の一つでした。


■まとめ

書き出すとキリがないので(気が向いたら追記するかもしれませんが)、最後に短くこの日のライブの印象をまとめると。末席で良いから自分も演奏に加わりたいと思えるような、演奏とパフォーマンスという点でとても充実した良いライブでした。

以上、今日はこれにて。





■追記(12/1 AM2:00)

敢えて書かずとも良いかとも思いましたが、ライブを観ながら頭の片隅でずっと考えていた事なので、やっぱりもう少し追記します。

ライブの間、今世紀以降のJ-Popについて考えていました。というのも自分は90年代後半のJ-Popを高く評価しているからで、それが何故、今日の体たらくに至ったのかを追求したいからです。こういうと語弊があるかもしれませんが、今のヒット・チャートのどうしようもなさは、多くの人の賛意を得るであろう事実だと思います。その一方で、ある程度の蓄積のあるリスナーにとっては、つまり無数の低コストの音源から好みの作品を選べる人にとっては、現在は相当に恵まれた時代だろうとも思うのです。こうした両極端の状況は、音楽に興味を持ち始めた人と、いわゆるヘヴィ・ユーザの断絶にも繋がるわけで、それをどうやって埋めるべきかを考えたいからです。


先日ASIAN KUNG-FU GENERATIONの10周年ライブをWOWOWで見たのですが、そこでBECKの「LOSER」が披露されました。それは正直に言うと少し背伸びが感じられる演奏だったのですが、一方で「彼らはそれが存在する事が当たり前の前提としている世代なのだなぁ」と思ったのでした。手っ取り早く言えばオルタナ/グランジ以降の世代という事になりますが、海外のミュージック・シーンにおけるそうした流れを前提としてデビューした実力派ミュージシャンが多発したのが90年代後半であり、椎名林檎さんもその有力な一人だったなぁ、とライブを聴きながら思い出していたのでした。

彼女の2枚目のアルバムが200万枚を越えてヒットした頃、ファンの中には彼女の「演技」のみを重視して、演奏は勿論、彼女のヴォーカルにすら装飾以上の意味を与えず、まるで彼女が自分自身の代替であるかのような態度でライブに参加している人が居ました。そうした類の人が一定数登場するのは当たり前の事で、そしてそれを非難するのも簡単な事です。では、彼らとは違う多数派のファンは、林檎さんの楽曲やライブ演奏にどこまで向き合っているのか?それが2000年前後の当時、より真剣に問われていた事だったと思います。

例えば同じ頃、EMI繋がりという事もあり、林檎さん自身がファンである事を公言していた事もあって、Radioheadの新作「Kid A」の宣伝に彼女の名前が使われました。それを受けて、彼女のファン(上記の思い込みの激しい系も含め)の間で、件のアルバムを「買った」という話題が増えました。と書くと容易に想像できると思いますが、洋楽も聴いていたファンからすれば、「買うだけじゃなくて聴けよ」となります。彼女のルーツや現在興味のある音楽を聴く事で彼女自身の楽曲の理解も深まるという、真っ当ではあってもコストや労力の居る行動を、ファンとしてどの程度実行すべきか?という問題は、J-Popの充実に比例して重い問題になっていました。そんな事をしなくても、J-Popを色々聴くだけで十分じゃないか?と。


とはいえ、当時はこの程度の隔絶が問題でした。時代は下って現代に至ると、オリジナルすら聴いた事のない、ボーカロイドでしか知らないようなリスナーも出て来ます。念のために書いておくと、個人的にボーカロイドを低く見る意図はありません。むしろ、来たる東京五輪で音楽系のパフォーマンスを考えた時に、国内で人気がありかつ海外にお披露目しても恥ずかしくない基準で選考すると、現時点ではPerfumeかボーカロイドを推したいと思っております。が、話の本題はそこではありません。

定番の喩えとして便利なのでBeatlesを引き合いに出しますが、かつての「遡って聴くのはBeatlesだけで、他の有力バンドは見向きもされない」というぼやきが、今は「遡って聴く事をしない。Beatlesすら聴かれていない」に変化しています。ボーカロイドについて言えば、その存在が問題なのではなく、それが音楽生活を広げるためではなく狭めるようにしか使われていない事を問題にすべきと思うのです。では、それにどう対処するのが現実的なのか?


当然ながら、リスナーに行動改善を訴えかけるのは現実的とは思えません。特に、一部のファンが他のファンに働きかける類の解決策は、結局のところ害にしかならないと予測されます。また、音楽評論家に期待を掛けるには、失礼ながら頼りない感じを受けます。

結論は、ある意味では最初から明らかな事です。つまり、ミュージシャン本人がリスナーに意識改善を求める事。しかも、それをそのまま要求するのではなく、あくまでも作品を通して伝えようとする事。それによって、楽曲の聴き方をめぐる断絶を少しでも軽減するよう意識的に活動する事しかないのではないかと思ったのでした。


昨今の、例えば原発反対といった意見を、ミュージシャンの中にもそのまま「原発反対」として主張する方々が居られます。そうした意見表明は尊重されるべき事ですし、だからそれを非難するつもりはありません。ただ個人的な要望として、せっかくミュージシャンという職で生計を立てられるほどの実力があるのだから、その主張を作品に託す事、そしてその作品を主張とは別に楽曲としても価値を見出せるものに仕上げる事を、試みて欲しいなと思うのです。

話を林檎さんに戻すと、結論としては、彼女が経験して来た音楽や現在惹かれる対象について、それらがより透けて見えるようなパフォーマンスが求められているのではないかと思ったのでした。既に書いたように昨日のライブでは「演じること」に隙がなく、それは昨日のライブ単独で考えるととても良い印象だったのですが、一方で長期的には歌い手と聞き手、あるいは聴き方の違うファンの間にも隔絶を生みやすい気がします。時には演技を離れて、剥き出しの何かを見られるかもしれないライブを行なう事が、広くはJ-Pop全体において、狭くは彼女のファンにおいても、良い傾向に繋がるのではないかと思ったので、敢えて書き残しておく次第です。


追記が長過ぎですが(笑)、そんな感じでこれにて。


テーマ : J-POP - ジャンル : 音楽