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歴史的雑談4〜6/13の天王山

既に日付は過ぎていますが、タイトルにあるように6/13と天王山という組み合わせから連想した話を、せっかくなので以下で書き留めておきます。なお、きちんと確認したわけではないですが、以下の日付は全て旧暦のはずで、つまり実際の季節は今から一月ほど後になると思われます。しかし、ここ数日の真夏のような気候を考えると、一月のずれなど考慮する必要は無いのかもしれません。。(苦笑)


■山崎の合戦

時は1582(天正10)年6月13日。本能寺の変によって畿内の情勢が一変した中で、いち早く軍を返した羽柴秀吉は亡き信長の三男・信孝らを名目上の総大将に据えて、明智光秀(正確には、この時の苗字は惟任ですが、ややこしい話になるので略)に決戦を挑みます。

かつての講談などでは、両軍が天王山の占拠を目指して競い合い、先に頂上に至った秀吉軍が山頂から射撃を加えた事が勝利の要因になったと語られていました。しかしながら、天王山から激戦地となった西国街道と円明寺川(現在の小泉川)の交差地点までは距離があり、とても戦いの帰趨を決するような場所ではなかったと、現在では考えられています。

西国街道と淀川の間には当時、広い沼があって軍が通過できず、明智軍は街道沿いの狭い場所を塞ぐように布陣していて、両軍は膠着状態に陥ります。しかし、沼と淀川との間のより狭い道を池田隊が抜いて明智軍を横から攻撃した事が決定打となって、戦は秀吉軍の勝利に終わりました。


ちなみに以下は蛇足ですが、山崎+砲撃から連想するのは1868(慶応4)年1月6日。戊辰戦争の初戦となった鳥羽・伏見の戦いで、旧幕府軍は敗退を重ねこの地まで撤退します。淀川の合流地点の両岸には、西洋列強が大阪湾から軍艦を京に向けて進撃させた際に防ぐべく、二つの砲台が築かれていました。西岸が高島砲台、東岸が樟葉砲台で、皮肉な事にその建造の理由とは全く逆に、北から迫る錦の御旗を持った新政府軍を防ぐ事になります。しかし高島砲台の藤堂隊が寝返り、両軍は川を挟んだ砲撃戦を展開した後に、支えきれなくなった旧幕府軍は主君・慶喜の居る大坂城に向けて、秩序なき撤退に至るのでした。橋本の戦いです。なお、慶喜が僅かな近臣と共に密かに城を抜け出し、海路江戸へと撤退したのは、この日の深夜の事でした。


■ジョーン・モドの戦い

時は下って1696(元禄9)年6月13日。在位35年目のこの年、清の康煕帝は宿敵ガルダンを叩くべく、親征を決意します。軍を三隊に分け中軍を率いてゴビ砂漠を北上した康煕帝は、東軍の撤退、西軍の遅延、食料の不足といった状況の悪化に苦しみながらもガルダンに迫り、皇帝自らの出陣を知ってパニックに陥ったガルダン軍は、西へ向けて逃走しました。ガルダンに大打撃を与えるこの絶好の機会を、清軍は逃す事になるのか?食糧不足ゆえの撤退を覚悟した康煕帝のもとに、ついに西軍到着の報が届きます。

ガルダン軍を、テレルジ川とトール川の合流地点に誘導する事に成功した清の西軍は、既に日暮れ近くなったので布陣だけで戦闘は翌日に延ばす予定だったそうです。しかし、付近にある小山の重要性に気付いた将軍が総大将に具申して、一刻も早い占領を目指した作戦が始まります。彼らが頂上に着いた時、敵軍もさるもの山の中腹まで到達していて、この迅速な決断と行動がなければ戦いはどうなっていたか分かりません。

翌日を待たず山の取り合いで激戦となったこの日、山頂からの砲撃で優位に立つ清軍に対し、死に物狂いのガルダン軍も一歩も引かず、勝負は膠着状態のまま負傷者だけが増えていきます。勝負を決したのは、ガルダン軍の後方に配置していた家畜や家族を、清軍の伏兵が攻撃して相手を混乱に陥れた事でした。ガルダン自身は后の身代わりなどで何とか逃れたものの昔日の勢力には程遠く、翌年にこの世を去ります。


蛇足ながら、小山からの砲撃でまず連想するのは、かの203高地でしょうね。結果的には、この丘陵をめぐる戦いの中でロシア軍の人的・物質的な戦力が枯渇し、当初の目的であったこの場所からの砲撃の効果は微少だったそうですが、この辺りは結果論なので深入りは避けたいと思います。

また、ジョーン・モドでは高地を占領するのは兵法の基本と言って指揮官を説得したそうですが、地形によっては味方との連携を断たれて孤立する可能性もあるわけで、そのケースで有名なのが三国時代の馬謖でしょうね。彼の行動が蜀全軍の撤退に繋がり、敗戦の責任を問われた彼は死罪、総大将たる諸葛亮も丞相からの降格という形で責任を示したのでした。


■おしまい

後半の文章を書くにあたって参考にしたのは、岡田英弘「康煕帝の手紙」(中公新書)です。先日「個人的中公新書ベスト5」というまとめを教えて貰って、自分でも少し考えていました。その際に本書を、ベストと言うと少し違う気がするものの自分にとって懐かしい一冊だったなと思い出したので、そして日付としても偶然いいタイミングだったので、こうした文章を書いてみたのでした。なお、最終的に自分が選んだのは、高坂正尭「国際政治」(108)、河合隼雄「無意識の構造」(481)、岡田英弘「康煕帝の手紙」(559)、源了円「徳川思想小史」(312)、北島正元「徳川家康」(17)、の5冊です。

残念ながら本書の新書版は新刊で入手できず、今年になって内容を大幅にリニューアルして発売されたものはお値段¥3,990と気軽に手に取れるものではありませんが、戦闘に向かう康煕帝の心情に寄り添いながら読み進める本書は歴史好きの中高生男子などに是非お勧めしたい作品で、今後の文庫化あるいは新書化に期待して、この文章を捧げたいと思います。


以上、今日はこれにて。

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テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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