音楽やわ、その6:下手な歌と口パク

昨日ネットで知ったフジテレビの音楽番組における口パク禁止方針について、昼間に少し考えていた事を書き記しておきます。正直に言うと、たまには文章を書かないとなぁ、、、という動機の方がテーマへの関心を上回るので、それほど深い内容にはならないと思いますし、気楽に読んで下さいませ。


さて、まず口パクについてですが、海外でも多いしなぁ……という感想がまず思い浮かびます。とはいえ、海外の有名な方々は「歌おうと思えば普通に歌える」場合も多く、「以前に比べて下手なのが増えた」というおっさんのぼやきは全くもって妥当だとは思いますが、我が国の現状を思うと贅沢な話だなというのが正直なところ。

とはいえ、こうした流れになると「日本人はそもそも歌が下手」という話に陥りがちですが、普通に歌えそうな実力派の方々がテレビなどのメインストリームを避ける昨今の傾向を考慮せねばならず。また、明らかに発声法や歌詞の解釈といった要素をきちんと教えられないまま放置されている歌い手が多い現状を鑑みると、人種的な偏見に基づくそもそも論で片付けるのは違うのではないかな?とも思います。

その辺りの話は膨らませて行くとキリがないので省略しますが、結局は根本的な問題として、テレビによく出る方々の歌唱力が思わしくない事が、我が国における口パク問題を更に面倒な状況に陥らせているのではないかな?と思います。口パクがあるから歌が下手なままでもやっていけるし、逆に口パクを禁止すると視聴者が下手な歌を聞かねばならぬ羽目になる、という堂々巡りが問題なのかなと。


少し脇道に逸れて我が国の歌謡曲の歴史を振り返ってみると、例えば今となっては常識とも言える「アイドルは歌が下手」という認識は、昭和40年前後から徐々に広がり一般に膾炙した考え方である点に注意すべきかと思います。それ以前にも、歌の上手下手に関係なく孫のお遊戯会に接するような扱いも一部ではありましたが、戦後暫くの間までは、「公の場で歌を披露するからには」という意識を徹底させる扱いの方が主流だったと聞いています。

歌以外の要素を売りにする傾向はその後順調に広がり続け、しかしながら業界を代表する歌い手に対しては、厳しい意見も根強く残っていました。トップを張る、という言葉がまだ現実味を持っていた頃の事です。そして、昭和が終わった時に、ほぼ同時にこうした思想の強制も姿を消しました。J-Popの黎明期も、まさにこの時期でした。

現在は録音技術の飛躍的な進歩もあり、テレビ局・歌い手・視聴者の全てにとって「事が丸く収まる」のが口パク、と断じても問題ないような状況に陥っています。


ここで、一つの疑問が浮かびます。すなわち、技術の進歩を一方的に無視する形で、「歌手ならば生歌で上手く歌うべし」と強制するのは、懐古的な原理主義ではないのか?と。

これは難しい問題で、例えばエレキサウンドやオーバーダビングでの録音に対するカウンターとしてアンプラグドやライブ録音・一発録りが流行した事がありました。その時の一般解は、技術を逆戻りさせる事は出来ない、各々の良さがあり少なくとも一方が一方を排除するものではない、といった辺りだと思います。では、口パクは??


話が散漫になりますが、音楽作品の著作権は現在なかなか厳しいもので、その傾向が決定的になったのが2000年代の前半でした。それ以前にはヒット曲が町中で溢れるように流れていたものでしたが、その頃からはテレビCMですらオリジナル曲を流さないケースが増えて来ました。オリジナル楽曲を使うと、使用料の支払いが生じるからです。

そこで著作権の切れているクラシックなどを流してくれれば良かったのですが、個人的に困ったのは、明らかに音程のずれている素人の歌を聞かされる事でした。特に音感に優れているわけでもない自分ですら酷いと思うぐらいだから、音楽を仕事にしている方や優れた資質の方々は大変だろうなと思ったものです。


絶対音感という言葉が前世紀の終わり頃に流行しました。一口に絶対音感と言っても感じ方は人によって大きく異なるそうですが、例えばドレミの歌の歌詞と音名を並べると「ドーはドーナッツーのドー」「ドーレミードミードーミー」となり、歌詞の2つ目と3つ目の「ド」が音名では「ミ」になる事に苦痛を覚える方も居られるのだとか。こうした方々はごく少数である故か、社会として対策を講じるという話を聞いた事はありませんが(理想論としては、流行語になった時にバリアフリー的な視点から、対策とは行かぬまでも議論がもう少し盛り上がっていれば良かった気もしますが)、では相対的な音感ならどう考えるべきか?

ここでは、ある一つの音と一般に定義されている音の高さ(音名)とのズレに敏感なのが絶対音感とすれば、ある連続する音について、それらの音の高さの差(階名)を聴き取るのが相対的な音感としておきます。

自分がテレビCMで気になったのはまさに後者で、そして音楽を趣味としている方々や実際に演奏する方々が、程度の差こそあれ相対的な音感を身に付けているであろう事を考えると、下手な歌(一口に歌が下手と言っても幾つもの要因がありますが、ここでは音程が酷いという要素に絞った意味で)によって精神的に迷惑を被る人の数は、絶対音感のケースを遥かに上回るのではないかと。そして、そうした悪影響に対して、現状の閾値の低さは、妥当なレベルを遥かに下回っているのではないか?と。


何やら無理矢理に理屈を付けて結論に向かっているのが丸解りですが(苦笑)、いくら口パクという歌の下手さをカバーする技術があるとはいえ、下手だなぁと笑っていられる域を越えて酷い歌しか披露できない方々は、以後もう少し問題視すべきではないかな?というのが個人的な意見です。

その上で今回の口パク騒動を考えると、禁止後しばらくの間は「口パクでなくても普通に上手い」方々の魅力を伝えて、そこから口パク補正の見直し、そして最終的には視聴者に届ける作品という視点から、完成度(口パク問題を矮小化させる形で)を重視する方向に向かって欲しいなと。なんとか奇麗にまとめてみたところで、今日のところはこの辺で。


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