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菅首相の辞意に寄せて

菅総理大臣が辞意を表明して、何か書いておこうと思いつつも気が進まないままに日は進んで、次の首相が事実上決定した今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか?てなわけで、後世の学生さんたちの不評を買う事間違いなしの一年周期の交代劇ですが、簡単に菅政権の印象を書き残しておきます。


■菅政権のお話

多くのメディアは「唐突な思い付きばかりで実行を伴わず」云々というまとめなのでしょうし、それはごもっともで自分の意見も同じだったりしますが。個人的には、政権の雰囲気としては三木さんを連想しつつも、結局は遠く及ばなかったという感じでした。その最大の違いは、腹心の有無というべきか。あるいは、菅さんが使う人たちを信用できなかった事が、根本的な相違点だったのかもしれません。

また、菅さん=市民運動出身という説明が多かった気がしますが、そして権力側よりもそれを糾弾する側がよほど似合っていたのも確かですが、個人的には市民運動であれ権力側であれ、中心になれる方ではなかったような気がします。首相まで務められた方を評するには失礼な話ですが、しっかり者の奥様と二人三脚で小さな商いを営むぐらいが、ご本人にとって一番楽しい人生だったのではないか、という気もします。


震災時の首相として歴史に名を残す事は確定していますが、その対応は、後手というよりも根拠が十分ではないものがほとんどで、そこが任期を通して改善されなかったのが残念でした。浜岡原発の停止を評価する方もおられるとは思いますが、個人的には未来に繋がらない表明という認識で、普天間などと同様の出口の見えない袋小路に押しやっただけではないかと思えてしまいます。

話のついでに言うと、福島第一原発において使用済み核燃料プールが惨事の拡大に果たした役割を考えると、原発の停止は象徴という以上の現実的な意味はあまりない気もします。更に、事前の打診も充分ではないままに、中間貯蔵施設を福島に…などと言い出すのもまた、論外な対応としか思えないのが正直なところです。。


そして、個人的に一番の問題と思ったのは、震災発生からの数日間で無政府状態に陥ったこと。当時の海外での報道は相当に辛いもので、当初の震災への同情は原発事故の拡大と政府の無策が明らかになると一気に薄れ、我が国の信用が問われる、どころか信用できないという烙印を押される寸前の雰囲気でした。実際、同盟国ですら東京に住む自国民全ての一時退避を検討していたというニュースが最近ありました。

それを防いだのはもちろん官邸ではなく、諸外国からは国家元首と目されるお方のスピーチだったのではないかと思います。…などと言うと左寄りの方から怒られそうですが、とはいえスピーチの内容はどうでも良くて…などと言うと感涙にむせぶ右寄りの方からも怒られそうですが、端的に言うと「僕はここにいる」というあの表明は、対外的にはとても大きな効果があったのではないかと思います。が、この辺りは国内的には微妙な話題なので、あんまり深入りするのは止めておいて。。。


話を戻して、以上のように菅政権に対して到底及第点を与えられないと思う自分ですが、それでもいくらか同情の余地はあります。鳩山さんの辞任の際、政権を支えるべき立場の閣僚たちを批難しましたが、今回も改善の雰囲気は無かったなと。この辺り、鳩山さんや菅さんが無能だから、で済ませられる問題ではなく、民主党という大所帯にあって閣僚を担えるだけの人材はほとんどいないという現実を、もっと切実に認識すべき時期ではないかと思うのでありました。


ともあれ、任期満了まで粘った三木さんには比べるべくもないですが、それでも、支持率の低下に負けず辞任表明をしつつも即座に投げ出す事もなく、首相という孤独な責務を引き受けようと試み続けた方に相応の敬意を込めて。お疲れさまでした。


■代表選のお話

次回予告だけしておいて、今日はこれにて(笑)。

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テーマ : 政治 - ジャンル : 政治・経済

KYOTO、与謝野、源氏、今

偶然耳にした曲がイントロでは判らず、歌が始まって「ああ、ジュディマリかぁ」と思いながら、何となく後奏まで通して聴いてしまった今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか?という事で、J-Popから始まってどこに行くのか書いてみないと本人も分からない、適当な雑談の始まりであります。以下、敬称略にて。


・KYOTO



この曲の歌詞を追ってみると、その中で京都に関係するのは「鴨川越えて急ごう」という部分だけだったりします。にも関わらず、この曲を聴いて京都を想うのは何故なのか?というのが、今日の最初のテーマです。

あくまでも個人的な感覚に基づいて書くのですが、その秘密は、この曲が前提としているものに依っている気がします。それを説明するのは少し難しいのですが、同じ前提を共有している作品を例に出すと解りやすいかもしれません。自分が連想したのは、与謝野晶子の有名な作品でした。

「清水へ祇園をよぎる桜月夜 今宵会う人みな美しき」


・与謝野晶子

彼女の代表作は何か?と考えると、「その子二十歳 櫛に流るる黒髪の おごりの春の美しきかな」「柔肌の熱き血潮に触れも見で 寂しからずや道を説く君」「君死にたまふことなかれ」…辺りが思い浮かびます。と、そういえば全く関係のない話ですが、「触れもせで」というタイトルで久世光彦が向田邦子のことを書いていたなぁ…、などと思い出しながら話を戻すと。与謝野晶子の代表作として、以上の作品以外で最も多く声が上がるのは、源氏物語の口語訳ではないかと思います。


かつて、確か吉本隆明が源氏物語の口語訳について、与謝野訳を一番良いと評価していました(*1)。個人的には谷崎訳が一番しっくり来るのですが、与謝野訳を良しとする根拠については、深く同意する部分がありました。

詳しい描写は忘れましたが、誤訳の多さを認めつつも(与謝野晶子が参考にした源氏注釈本に誤りが多かった)、彼女が思春期の頃から日常的に源氏を読んでいた事、それも個人的な読書にとどまらず、同世代はもちろん上の世代の町衆なども参加する場での輪読や解釈に参加していた事を重視して、それらの経験から導かれたであろう作品のある種の雰囲気を、絶賛していた気がします。


話をKYOTOに戻すと、京都や大阪の裕福な町家に生まれた子どもが体験する、伝統的に受け継がれて来た何らかのものが、少し露骨といっても良いような塩梅で表に出て来ている点が、京都らしさを感じる所以なのではないかと思ったのでした。ちなみに神戸はまた少し違った傾向がありますが、詳しい話は省略して、源氏の話に戻ります。


・源氏物語

源氏物語の作者は紫式部だと言われていますが、実際に一人の手によるものなのかは意見が分かれるところです。細かな変更などを勘案すると、長い年月に亘って多くの書き手が参加して現在の形に仕上がったとも言えるでしょうし、そうした見方を拡大すると、竹取物語に始まる王朝物語を一つの大長編と捉えて、その中のクライマックスと見る事もできるかもしれません。

仮に、この作品に最も図抜けた貢献をした女性を作者と認定するのであれば、若菜上・下を書いた人がそれに当たるのでしょう。その彼女は、少なくとも数十年に亘って、物語全体を俯瞰しながら初期の話を訂正したり物語の本編を書き継いだりしながら、一生を過ごしたのでしょう。その人を紫式部と呼ぶのであれば、「もの凄い業を背負った人だなぁ」という河合隼雄の表現は、まさしく至当と言うべきものだった気がします。


しかし、いかに存在として際立っていた彼女とはいえ、後世には干渉できないわけで。54帖の中でも特に竹河などは文章も酷ければストーリーも酷く、その酷さはいずれも流れに注目した場合に感じる事ですが、学会の評価は知らず、個人的には、若菜上・下を書いた人と同一人物とはとても思えないのが正直なところです。今からそれを、漫画に喩えて説明してみましょう。

自分が感じる冨樫義博の最大の魅力は、物語のある一点に向かって話を盛り上げていくベクトルの適切さにあり、それは漫画に限らず創作ものの基本ではないかと思います。つまり、予想外の展開や過激な描写などは二次的なもので、それ自体を前面に出すと作品としては凡作になると思うのですが、下手なフォロワーほど妙に筋立てをこねくり回したり唐突な過激さに走ったりするなぁ…と思う時があります。そしてそれは、竹河を読みながら自分が感じた事でもあります。


脱線が色々と入って長くなって来たので話を戻すと、谷崎訳で個人的に気に入っている事について。もともと源氏は男性社会たる王朝文化華やかなりし時に女性の手により描写されたもので、平安遷都以来の歴史と物語を見比べながら深読みをして行くと、先の河合隼雄の評をそのまま口にせざるを得ないような気持ちになります。で、その作者の業を女性が訳すよりは、男性の手による口語訳の方が、多少は甘くともより客観的に堪能しやすい作品になる気がします。…と言っても、与謝野訳も円地訳も通して読んだわけではないので偉そうな事は言えませんが(苦笑)。


さて、先ほどの吉本隆明の評の時点では対象外で、まだ世に出ていなかったか完結していない段階だったのだと思いますが、最近だと瀬戸内寂聴訳が広く読まれているらしく。彼女については、京都で暮らしていると過去についてのある事ない事を耳にする時もあり、その人生を想うと、他人ながらも深く考えさせられる部分があります。

彼女が得度したのは、確か50を過ぎた頃。岩手は平泉の中尊寺にて、師僧は今東光で、これらは、彼女の人生の流れの中で、初めから確定事項だったのではないかと思わせるものがあります。が、時間が遅くなって来たので詳しい事は割愛して、その師僧について。


・今東光

今東光と言えば毒舌説法ですが、既に亡くなって30年以上になるので、最近では読まれていないのかもしれません。数年前にご夫人の逝去がニュースになりましたが、それは東光の祥月命日と全く同じだったそうで。また、宇野千代が若き日の東光について「そりゃあ美少年で…」と語る口調も印象深く覚えていますが、異性から(もちろん同性からも)深く愛される方だったなぁと思ったりします。寛永寺での本葬儀には当時の皇太子殿下(=今上)からの献花もあり、それも話題になりました。

多くの人から愛されるのは、特に作家として読者から愛されるのは望ましい状態とは思いますが、少数であっても特別な人に愛される人生には及ぶべくもないのでしょう。そして彼は、その両方に恵まれた人でした。各界の著名人との交遊は、もちろん名ばかりのものもあったと思いますが、特別に深い付き合いもあり、人物だなぁという月並みな感想しか出て来ないのが残念なところです。

中でも特筆すべきは、同業からの評価でした。二人だけ名前を出すならば、一人は一高時代から生涯を通した付き合いになる川端康成であり。そしてもう一人は、東光を唯一の弟子にした谷崎潤一郎でしょう。東光が文学を離れて出家していた時期の彼らの心境を思うと苦笑いが出てきますが、彼の人生を振り返ると一本の流れとしては澱みがなく、その事は彼らの面目になるのかもしれません。


・おしまい

さて、谷崎と言えば。かつて、確か吉本隆明が源氏物語の口語訳について、与謝野訳を一番良いと評価していました。個人的には谷崎訳が一番しっくり来るのですが…(*1に戻る)。


以上、今日はこれにて。

テーマ : 日々のつれづれ - ジャンル : 日記

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