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今年を振り返って

考えてみると、昼間にログインするのはちょうど一年ぶりかもしれませんが、新年を迎える支度もだいたい終わったので、軽く今年を振り返ってみます。


振り返ってみると、今年は春ごろに文章を書くのが楽しくて仕方のない時期があって、梅雨の頃に村上春樹「1Q84」の感想を書いた辺りで少し落ち着いて、それ以降は量的に暴走しがちな発想を整理して一つの記事にまとめるのに苦労した印象でした。

いざ書き出せば書けないことはない、という辺りがまた悩ましいところで、文章を書く段階を乱暴に三つに分けて発想・編集・描出と考えた時に、自分は編集の段階がまだまだ未熟で、書き上げたもののバランス的に不満が残っているものが幾つかあります。

とはいえ、書く事に行き詰まりを感じていた2008年に比べると状況は改善されていて、その意味では良い年だったと思います。

来年の課題はとにかく簡略化に尽きるわけですが、できる事ならば情報過多で簡略化、を目指したいところです。また、一方でそれとは逆に、発想のみで勝負するような、シンプルだけど楽しいものも書きたいものですね。ま、なにぶん適当な性格ですのでどうなるか分かりませんが、乞うご期待という事で。


では、今年も一年間お世話になりました。
来年もまた宜しくお願いします。

以上、今年はこれにて。


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テーマ : ひとりごとのようなもの - ジャンル : 日記

magic dragonのお話

忘年会で気持ちよく酔っぱらって、深夜に目を覚まして書いておりますが、今年もあと48時間を切りましたね。今年は各界で主要な方が亡くなられた印象がありますが、そんな事を思っていたら聴きたくなってきた曲があったので、ちょっとそれについて。


http://www.youtube.com/watch?v=Wik2uc69WbU


Peter,Paul and MaryのMary Traversさんも今年亡くなられた一人ですが、それ以来、誰かの訃報を聞くたびに、この曲の歌詞を思い浮かべたものでした。


One grey night it happened,
Jackie Paper came no more



突然やってきたその日、そしてPuffはどうなったか?


Without his lifelong friend,
Puff could not be brave
So Puff that mighty dragon
sadly slipped into his cave



巣穴に引き篭もってしまったPuffと違って、自分たちにはJackie Paper以外にもlifelongと表現できる存在がいます。逆に、亡くなられた方々をPuffに喩えると、亡き後ですら懐かしんでくれるJackie Paperは自分以外にも数多く存在します。


特にこれ以上言う事はないのですが、今年亡くなられた方々、とりわけ自分が深く親しんだ方々をもう一度振り返りつつ、今日はこの辺で。



http://www.youtube.com/watch?v=Q8JBOTC-ReA


テーマ : 音楽のある生活 - ジャンル : 音楽

記憶するはずだったの(BlogPet)

きのうJFKが、記憶するはずだったの。
それできのうJFKが、部分を評価した。

*このエントリは、ブログペットの「JFK」が書きました。

現政権のお話

既に一月以上過ぎているという話もありますが、「医療について。」で一応宣言していたので、現政権について簡単に書いておきます。って、簡単に短くまとまったためしがないんですけどね(苦笑)。



■科学技術費関連のお話

現政権について何か書こうと思った直接の原因は、広く話題にもなったスパコンの予算仕分けのニュースを聞いた事でした。これも細かく見て行くと事情は複雑で、NECや日立の撤退とか演算方式をどうすべきか等々、予算がついたら万事OKという話ではなく、改善の余地が多々あるのも確かです。ただ、予算がつかないとプロジェクトが終了してしまう事も確かです。

一般論として、この種の一度止めたプロジェクトを再度立ち上げるには、莫大な費用と労力が掛ります。また、最先端の技術というのはそれ自体の価値に加えて波及効果も馬鹿にはできず、専門の研究者ですら事前には予測し得ないような、他の技術への応用が可能になって来ます。

ニュースを聞いた時に自分が連想したのが戦後の航空業界だったのですが、外からの要求という面もあって戦後から数年の空白が生じた事は、今に至っても取り戻せていない負の効果をもたらしました。この辺りで興味深いのが造船技術との比較ですが、戦時中その性能を高く評価された零戦と、一方で前時代の遺物のような扱いを受けている大和と。それらの製造を通して身に付けた技術は、後者が戦後のものづくりにおいて大いに貢献した一方で、前者は断絶ゆえに活かし切れないまま終わってしまったという話があります。これをどう考えるか、ですね。


現在の我が国では、能力はあるのに予算がないので人材が活用し切れていないという傾向は確かにあって、それらは予算がつかなければ近いうちに失われてしまうものです。ニュースでは「一貫して伸び続けていた科学技術費が初のマイナスに」という伝え方をしていましたが、伸びていたと言っても毎年1%程度でした。2000年に比べて1割も伸びていない我が国と違って、英米仏独などでは6割から9割もの上昇率です。(*参考:解説委員室ブログ「見えない科学技術戦略」)

文系の研究はあまり詳しくないのですが、理系の研究ではお金をかけないと始まらないものが沢山あります。有名な小柴先生のカミオカンデなどが好例ですが、諸事情により民間からの寄付に頼りにくい我が国では、国のお金をあてにするしかありません。民間の活力を主張するのは個人的には歓迎ですが、それならば国からのお金を削減する前に税制の改革が先に来るべきではないかと思えてしまいます。ただ、国が頼りにならないという雰囲気は今回の件で一層強くなっている感を受けますので、国に頼るまでもなく研究者の方々が何とかしてしまうかもしれませんが。。それだけのポテンシャルはまだまだあると、その意味で自分はそれなりに楽観的に考えています(結果が出たから政策が良かったのだと言われかねない傾向は危惧していますが)。

昨今は無駄はとにかくダメという論調が盛んですが、費用対効果という考え方で費用の数%が無駄になるケースと数割が無駄になるケースを明確に分けるなり。あるいは将来を見据えて、たとえ他の事業と比べて無駄が生じ易くとも、広い年月のスパンで見た時に大いなる価値を生みだす可能性のある事業には予算ができる限り回るように、考えて欲しいものだなと思う今日この頃でありました。



■ミクロとマクロのお話

今の政権に限った話ではないですが、例えば経済関連だとミクロとマクロを分けて考えず、特にミクロの話をマクロにそのまま援用するケースが多いような印象があります。で、経済の詳しい話はさておいて、こうした傾向って色んな場面で頻繁に見られる気がするのです。それはミクロとマクロだけではなく、例えば部分と全体でも、個人と組織でも、あるいはspecialとgeneralなどでも良いと思いますが、これらの使い分けが苦手な人が多いのかな?などと乱暴な仮説を検証したくなって来ます。

一般に我が国では、前者のほうが得意な方が多い気がします。で、前者に限って言えば相当の域にまで達しておられる方も多いと思うのですが、それとはまた違った考え方を適用すべき場面で下手を打つケースが多い気がするなぁ...と。あるいは、前者も後者もそれなり以上の知識を持ちながら、場面を見てどちらを使うべきかの選択が下手な方も多いような。。。

つまり、それぞれにおいて更なる高みを目指す意思を遮るのも何ですが、より未熟な理解に過ぎなくても、それぞれの知識の利用の仕方を少しでも向上させて頂けると、色んな事がもっと確実かつ敏速に処理できる気がするのです。教育にも絡んで来る問題なのですぐには改善できない事だと思いますが、そうした視点で考えてみるのもいいかなと思ったので書いてみました。

ちなみに、我が国ではそうした二つの異なる考え方の使い分けは下手ですが、何というか、その二つの境界に潜む「中間子」のようなものに対しては、もの凄く敏感な気もします。まぁ、これはある種の放言ですので、あまり本気にされませぬように。。



■歴史を学ぶ

15年以上前の細川内閣と主要メンバーが変わらない構成。20年前の湾岸戦争時を思い出す小切手外交。アメリカに喧嘩を売り中国に媚を売る、それら自体は構わないとしても、その効果をどう考えどのように収束させるかの戦略がまるで見えないという点では、先の大戦を思い出します。

また、野党時代の感覚のまま、先の政権が決めた事には何でも反対という姿勢を変えないがゆえの自爆。外交の場で発言内容が短期間で頻繁に変化したり、国内の事情をそのまま外交に適用させてみたり。国内では議員の権利を制限して、自分に都合のいい憲法や先例の解釈を行ない、民主主義を単なる多数決に基づく独裁と勘違いし、外面だけで中身には踏み込まない解決に要らぬ時間を費やし、・・・。これらを見ていると、古今東西の政権末期の姿を連想してしまいます。

民主主義のコストだとか政治家を育てる意識などはありますし、自分が一票を投じたわけではないにせよ、民主党政権がもたらすものを受け止める意思は有権者の一人として(もちろん個人でできる範囲で、ですが)持っているつもりですが。。ちょっとなぁ・・・「さすがは!」という場面を少しだけでも見せて欲しいものです。。。

何かの雑誌で見出しだけ見たので詳しい内容は分かりませんが、おそらく亀井さんのモラトリアム法案を天保の改革に喩えているものがありました(天保の無利子年賦返済令?)。また、今年の漢字が「新」だった為か、王莽の新に喩える人もいました(現実を見ない理想主義、外国への高圧的な態度など?)。自分がどちらかと言えば政権に否定的なので肯定的な意見が目に付きにくいのかもしれませんが、歴史上あまり評価の高くない政権に喩えられる状況が、来年は少なくなると良いのですけれど。。。


少し世代の話をすると、何かの答弁の際に「あんたたちがやったくせに」的な発言があったと聞きました。自民党議員からの質問に対する答弁だったと思いますが、これは団塊の世代と戦中世代の、良くない関係を思い出します。「あんたらのせいで」と言われ続けながらも戦後の日本を支えて来た世代が、その人生の晩年に来てなお同じような事を言われるとは・・・などと思うと、何とも言えず哀しい気持ちになりますね。。

とにかく何度も言っているように、自分の理解や予想などが当たるよりも、「見くびっていてすみませんでした」と謝罪せざるを得ないような未来をこそ望んでおりますので、政権が続くのであればとにかく将来に繋がる政権運営を行なって欲しいものです。最近、自分の中でじわじわと小泉内閣の評価が上昇中なのですが、それが止むような展開を期待したいものです(しかし、今こそ「米百俵」とか言うべき時だと思うのですが、その辺りの感覚は小泉さんは凄かったなぁ...と)。



■まとめ

何だかんだと偉そうな事を書きましたが、これらのうちの幾つかは個人的な課題でもあるんですよね。自分ができていないからこそ目に付くという部分はありますし、せっかく目の前に反面教師がいるのだから、これを教訓として活かさないとなぁ・・・なんて思ったりもします。

また、世代について少し触れましたが、まだまだお元気なので下手に同情などをしたら逆に怒られちゃいますが、あの世代が将来を悲観したまま世を去らなければならない、という状況には、できればなって欲しくないんですよね。世代という事で言えば、自分の中では一番親しみ易い世代ですし。もちろん他の各世代の方々にもお世話になりましたが、その辺りもまた個人と集団の違いという感じですね。10代~20代前半で価値観の激変を余儀なくされたがゆえか、集団としての彼らの深みというか温かみは、何か違う印象を自分の中に残しています。

国の未来があまり明るくないという傾向はなかなか変えられないでしょうし(でも自分は日本の底力を信じているので、暗いとまではやはり思えないのですが)、自分一人でどうこうできるわけでもなく、そうした大それた事は考えませんが。何というか、自分の能力に即した貢献ぐらいは果たしたいなぁ~などという緩い思いはありますし、あの世代には少しでも安心した気持ちで逝ってもらえるような状況に持って行きたいものですね(なんて言ったらやっぱり怒られそうですが(笑))。


だらだらと書きましたが、そんな感じで今日はこれにて。
あとマスコミの話を書く予定でしたが、書くならもう少し気楽に書きたいところです。
以上、読んで頂いてありがとうございました。


テーマ : ひとりごとのようなもの - ジャンル : 日記

Starman(BlogPet)

BKOの「Starman」のまねしてかいてみるね

今年も、今というのに一向にお片付けがいよいよ盛り上がってみましたかもしれないですね?
http://www.com/GThen・BbDidn't・BbBbmFD7Let・FAbBbDidn's・bridge:BbFBbBbmFCでの変化もあるので、そしてそれが1994年頃まで新勢力と旧勢力が1994年頃まで彼らに取ってはオルタナの代表する彼らに行ったが、今と楽になります!
当時、興味を自分が、自分が訪れたか弾いた!
http://www.youtube.com/FGmC7/FAbBbFAbBbFBbBbmFCで盛り上がって来たので、案外覚えて来た人と旧勢力が教えて下さいませ♪
http://www.youtube.com/FDmAmCCFD7Let・BbDidn's・。

*このエントリは、ブログペットの「JFK」が書きました。

Starman

今年もあと10日ばかりだというのに一向にお片付けが捗らないので、ちょいと気分転換(現実逃避とも言う)でアコギを手に取って、適当に幾つか弾いていました。で、ふと思い付いてDavid Bowie「Starman」を弾いてみたらいい感じだったので、簡単にコードを残しておきます。今日は手抜きする気満々なので、歌詞は皆様適当に探して下さいませ(苦笑)。


intro:Bb F Bb F

Gm F C C7 F Ab Bb
Didn't・・・
Gm F C C7 A G
Then・・・

F Dm Am C/G C7
There's・・・
F Dm Am C/G C7
There's・・・
Bb Bbm F D7/F# Gm C7
Let・・・

bridge:Bb F C F Bb F C


で、後は略(笑)。続きは↓動画を見て下さい。

http://www.youtube.com/watch?v=muMcWMKPEWQ


その他、適当に弾いた中で個人的に良かったのは、Beatles「You've Got to Hide Your Love Away」とGuns N' Roses「Sweet Child O'Mine」辺り。


http://www.youtube.com/watch?v=aNMhPQoEbJE


http://www.youtube.com/watch?v=oobDQ0vdm8M


というか、後者の再生回数2766万って・・・。何日か前に話題になってたな~とか思い出して、そういえば昔イントロのリフを練習したなぁとアコギで弾いてみましたが、案外覚えているものですね。ちなみに半音下げチューニングで弾くと楽になります。その場合、歌に入ってからのコードは「Dadd9 C G Dadd9」から「A C Dadd9」という感じになるので、興味を持たれた方は弾いてみて下さいませ。スラッシュのソロの辺りは「Em C B7 Am」の繰り返しから「Em G A C (D G)」でWhere do we go~です。そういえば昔聞いた話ですが、とある野外(?)ライブでこの曲を演奏した時、間奏に入ってアクセル・ローズが観客と殴り合いを始めたので、それが終わるまでスラッシュがひたすらソロを弾き続けた・・・なんて事があったそうで(笑)。


何となく懐かしいのでだらだら書くと、Guns N' Rosesを練習している人が自分の周りには多かったです。「Patience」を口笛拭きながら練習していた人とか、「November Rain」のソロをひたすら練習していた人とか。1987年のデビュー作「Appetite for Destrucion」は何だかんだでよく聴きましたが、80年代の後半を代表する彼らに暗雲が訪れたのが1993年ごろだったか。当時、向こうではオルタナの機運がいよいよ盛り上がって、古い連中の代表という感じでカート・コベインらから集中攻撃を受けていて、そうした動きを自分が教えてもらったのが1994年。で、自分の記憶の中では、日本においては彼の国ほど激しい変化はなかった気がするのですが、1996年頃まで新勢力と旧勢力が並立しながら、徐々に変わって行った印象があります(というか、自分がそうだったというだけかもしれませんが、両者に対してニュートラルに構えていた人が多かったような感覚が記憶として残っているのです。)。

ただ、最近ちょっと思うのは、当時の自分が感じたほど向こうでの変化も劇的ではなかったかもしれないというか。Guns N' Rosesについては、完全に礼賛するのは違うとしても、頭ごなしの全否定もできない感じで、そしてそれが今に至るまで彼らの評価が二分している事にも繋がっているのかなぁ・・・などと思ったりもします。彼らの曲は当時何かと耳に入って来たので、今となっては好悪を越えて懐かしい感じが先に立ちますし、ちょっと同情のような気持ちもあるので、その辺りを割り引いて考えないといけないですが。。そういえば、「ターミネータ-2」を平日の昼間に映画館に見に行った事を思い出したのですが、あれは何だったんだろうなぁ。。。


何だか、タイトルとは違う部分で盛り上がってしまいましたが(苦笑)、今日はこれにて。
読んで頂いてありがとうございました。


テーマ : 音楽のある生活 - ジャンル : 音楽

約束された場所で、淳、その他の雑感

年内に、できればいくつか本の感想を書きたいと思っているのですが、今日は最近のものではなく、10年近く前の作品について、簡単に書いてみます。


6月に村上春樹「1Q84」(新潮社)の感想書いて以来、今でもたまにそれを求めて訪問されたらしき方がおられるのですが、「じゃあもうちょっと何か書いてみようか」と思いつつ。気付いたら、今年もあと二週間を切ってしまいました(苦笑)。なので少々手抜きをして、昔の本の紹介で誤魔化しておこうと、そんな感じです。



■村上春樹「約束された場所で」(文春文庫)

「アンダーグラウンド」(講談社文庫)が件の地下鉄の事件の被害者へのインタビューなのに対して、本書は、かの教団の信者(および元信者)へのインタビューから成り立っています。

で、本編を読むのはなかなか重いので余裕のある時にどうぞ、という感じで。今回取り上げたいのは、本書のラストに収録されている「河合隼雄氏との対話」です。

60ページほどの内容ですんなり読めると思いますが、興味深い話が多く、「1Q84」へ応用できる話題もあります。この部分を読むためだけでも本書を購入する価値はあると思いますし、村上氏の小説は肌が合わないと感じておられる方にも、他の作品よりはお薦めし易いと思います。


さて、いきなりネタバレをしますが、本編のハイライトをご紹介しましょう。ネタバレをしてもその価値は変わらないというか、実際に本書でそれを確かめるのは楽しい事だと思いますので、絶対に事前情報は読みたくないという方のみ飛ばして下さいませ。

それは276ページの河合氏の発言なのですが、まずは状況説明から始めましょう。「何が本当の悪か」というテーマに差し掛かった時に、村上氏が軽い混乱のような、今ひとつご自身の中でまとめ切れていない様子を見せ、それに対する河合氏の解釈を求めます。(もちろん、いわゆる正解を出せるような性質の問題ではないですが、暗闇の中でどちらを向けばいいのかすらも分からないような混乱状態に近い心理状況を垣間見せます。)

しかし、それを受けた河合氏の発言は、「その答えはやはり村上さんが自分で出すしかないですね。」というもの。更に続けて「村上さんが今度書く作品(小説)というのは大変だろうなって思います。」などとのたまいます。

これは、2ch風に言えば、「河合隼雄キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!」といった感じでしょうか(笑)。このタイミングでしれっとこの発言ができるのは本当に凄いと思いますし、事前に分かっていてもやっぱり爆笑してしまいました。


年長者の親切という事は確か、鶴見俊輔・上坂冬子「対論 異色昭和史」(PHP新書)の感想を書いた時にも触れた気がしますが、この場面でのお二人のやり取りは、戦前世代(昭和一桁)と団塊の世代の、上手く行った関係の典型なのだろうなと思います。

ただ、やはり心理系の職はどうもartというか、個人の資質によるものが多く難しそうだなぁとか思ったり。あと、河合氏の発言は分かり易いし面白いのですがそれなりに危険性があるというか、ある程度の素養を秘めていないと暴論としてしか使えないような傾向がありますね。もっともこれは、達人の所作ならだいたいそうだという話もありますが。。


他に引っ掛かるのは284ページ、河合氏の「被害者の方まで「変な人間」にされてしまう」という発言。この視点はその後も尾を引いて、291ページの「その人が以前から自分の中に持っていたある種の個人的な被害のパターンと呼応」(村上氏)という辺りや、更には奥野修司「心にナイフをしのばせて」(文春文庫)辺りにも繋がって来ますが、何とも簡単に一言では整理できない性質のものですね。


ところで、この対話でも時折話題として出ていますが、個人的にも本書と意識の上で繋がっている事件があります。10年以上前の神戸市須磨区における事件ですが、自分は本書と前後して事件に関連した一冊のハードカバーの作品を読み、そして、本書が文庫になった時に同時発売され、一緒に購入した文庫があります。以下、それについても簡単に。



■土師守「淳」(新潮社)

少年法の問題、マスコミ報道の問題、特に被害者及びその家族がどのように扱われるべきか、という点を世に問うた本書は、残念ながら現在でもその価値に変化はないと、個人的には思います。本書が過去の話としてその価値を失うような世の中になる事をこそ、この著者は望んでおられるのだと思いますが・・・。

更に残念な事に、amazonで検索した限りでは、文庫版も含め、本書は既に新刊としては入手できません。bk1ではまだ大丈夫ですが、時間の問題という気もします。もともと、下記の書籍よりも発売は先だったにもかかわらず、文庫化では後塵を拝し、そして先に姿を消そうとしている本書ですが、何とかなって欲しいなと無力ながら訴えてみる次第であります。



■「少年A」の父母「「少年A」この子を生んで・・・父と母悔恨の手記」(文春文庫)

一般に、被害者よりも加害者に興味が行くのは人間心理として仕方のない事だと思います。本書が雰囲気として提示している加害者のご両親の傾向というか、この事態に至ってなお自らは見過ごされているある特質というか、それをどう捉えどう解釈するか、が、本書の読者の唯一にして最大のテーマでしょうね。

厳しい事を言うと、本書に作品としての価値は無いと思います。が、このご両親が死角になって認識できなかった事柄というのは、ある意味では誰にでも起こり得る事で。それが実際にある出来事にまで発展した時には、悲劇以外の何物をも生まない事を考えると、この社会に生きる大人としては心の片隅に記憶しておくべき事柄なのかもしれません。あるいは不謹慎な喩えかもしれませんが、事故の確率はさほど差はなくとも、命に到る率が高いが故に自動車や電車よりも飛行機を怖れる人の心理に近い、何かしらの理不尽さがそこには感じられる気がします。


御巣鷹山での日航機墜落事故やら、台湾での遠東航空機墜落事故などを連想して、更に書き継いでもいいのですが、長くなったのでこの辺で。



■まとめ

自分は、幸いにして、と言っていいのか分かりませんが、地下鉄の事件にしろ須磨での事件にしろ、自分はもちろん直接の友人を含めても、それに関係した人はいませんでした。つまりは完全に第三者の立場なのですが、リアルタイムでの事件の報道などはあまり見る気がしなかったとはいえ、同時代に起きた身近な事件として記憶に残っています。

とはいえ、自分にしても普段からこれらの事件について気に留めて生活しているわけでは全くなく、それゆえに偉そうな事を言えるわけでもないですが。ただとにかく、事件自体が風化して、関係者の方々(特に被害者の方々)が過去に生きる事のない状況になって欲しいと願いつつ、事件の意味については風化させるべきではないと考えています。社会では多く逆の傾向が見受けられますが、この事件は更に10年が経過した時にはどう扱われるのか、それを検証するためにも、今思い出した時に書き記しておいた次第であります。


何やら重い内容になりましたが、今日はこれにて。
読んで頂いてありがとうございました。


テーマ : 読んだ本。 - ジャンル : 本・雑誌

酔って歩きながら犬のおまわりさんについて考える。

何となく、埋め草の様な感じで軽いものを書いておきます。
で、酔いながら考えていた事。


そもそもの始まりは、国によって動物の鳴き声が違うという話だったのですが、歩きながら思い出したのが「犬のおまわりさん」の歌。で、既に多分ちゃんとした英訳があるとは思いますが、歩きながら適当に英語にしようとあれこれ考えておりました。


まいごの
getting lost and
まいごの
getting lost a
こねこちゃん
little cat girl

あなたの
Don't cry baby
おうちは
I can help you
どこですか
Where is your home


・・・で、力尽きました(笑)。

ということで、どなたか続きを考えて下さる方、及び上記の私案を添削して下さる方がおられましたら、どんな些細なアイディアでも結構ですので、コメントにてご教授下さいませ。



さて、行き詰ってしまったので、今度はなんちゃって漢文調を考えてみました。平仄などチンプンカンプンですので、その辺りはお目こぼし下さいませ。

啼声有り暗中より聞こゆ
道に迷いし小さき猫娘か


・・・で、やっぱり壁にぶち当たりました(苦笑)。こちらも、続きを考えて下さる方を募集しております。



それはそうと、迷子の小猫娘って、何だか萌え系あたりでそれなりに需要が出そうな気もするのですが、イラストを描いて応募したら、小規模でもヒット・・・は、しないでしょうかね。。。

もしもどなたか募集して版権をゲットしたら、うるさい事は言いませんので、ラーメンの一杯でも奢って下さいませ(笑)。って、版権を得て一儲けするよりも、このマイナーなブログにたどり着く事の方が難しいかもしれませんが(苦笑)。



以上、今日は最後までゆるい感じでこれにて。
読んで頂いてありがとうございました。


テーマ : ひとりごとのようなもの - ジャンル : 日記

駆け引き(BlogPet)

JFKがBKOは主導権に駆け引きされた!

*このエントリは、ブログペットの「JFK」が書きました。

阪神・赤星選手の引退

昨夜の12時少し前、フジテレビ系「すぽると」を見るように言われてテレビをつけて、阪神タイガース赤星選手の引退を知りました。実は夕方からニュースでばんばんやっていたとの事ですが、昨日はそれから、ぼんやりと寂しい気分を引きずりつつ過ごしておりました。

こうして書き始めてもなお、何を書けばいいのか分からない部分が残りますが、ともかく思いつくままに書き残しておきます。



■成績についての整理

新人から5年連続盗塁王、そして3年連続60盗塁は他に元阪急の福本選手しかなしえていない数字。通算381盗塁は史上9位タイの記録。吉田義男さんの盗塁数を抜いた時のニュースが記憶に残っています。

通算打率.2947は、4000打数以上の選手としては、33歳での引退と聞いて連想した掛布さんの.2919を上回り、藤村富美男さんの.2999には及ばないものの堂々たる数字です。ちなみに2000打数以上だと、通算で.3365というカーネル人形似のおじさんが阪神の選手としてはトップ(その上には、海を渡った天才打者が.3531で控えるのみ)。また、田淵さんは打率はさほどでもないです(ただし、本塁打率=本塁打数/打数は、王さんとカブレラ選手に次ぐ歴代3位)。



■プレイのイメージ

赤星選手といえばやはり走塁ですが、持ち前の俊足をいかに活かすかという技術面での追求が、あの盗塁の数字に繋がったのでしょう。また、数字に残らない部分として、状況に応じて一つでも次の塁を目指そうとする姿勢が素晴らしく、それは盗塁を試みる際の相手バッテリーとの駆け引きの場面でも顕著に確認できました。

打者としては、通算で本塁打が3本という腕力の無さはたびたび指摘されましたが、コンスタントに三割を維持して、かつ大事な場面では四死球を選んで塁に出る事も多く、00年代の阪神の攻撃には「塁に出た赤星選手を帰す」という強固な型がありました。

外野手としては、守備範囲が非常に広い上にエラーが少なく、果敢なダイビングと的確な送球で、広い甲子園で投げる投手達を背中から支えました。

肉体的には他のプロ野球選手と比べて恵まれているとはいえない体でしたが、それを常に頭で補い、自分の長所を充分に理解して、自分がやれる範囲で最高のプレイを追及する真面目な姿勢が印象的でした。しかし、選手としての責任感の強さは度重なる怪我に繋がり、太く短い9年間の選手生活でした。



■以下、思いつくままに

2000年のシーズン終了後に大リーグに移籍する事になった新庄選手の穴を「自分が埋める」と宣言した入団会見。新人として迎えた2001年は、キャンプ時こそ野村監督命名「F1セブン」の一人としての扱いだったものの、特にシーズン後半は上坂・赤星・濱中の1~3番が固定されて将来が期待できる布陣でした。同じ時期には井川投手がローテーションの一角として起用され、負けが先行したものの防御率2点台の数字を残し、攻守ともに上向きの兆候が見られた年でした。

翌年は星野監督の就任により1番を任されたものの怪我に苦しみ、当初は2番だった今岡選手が好調を維持したので、復帰後は入れ替わりに2番として起用されました。今岡・赤星・濱中の並びは、個人的に非常に期待を持って応援していた記憶があります。また、前述の井川投手は開幕投手を務め、この年は白星先行で防御率も2点台前半に抑えたものの、復活した桑田投手に阻まれタイトル獲得はなりませんでした。



■そして2003年

前年のオフに獲得した金本選手を3番に据え、4番に濱中選手を置いた(怪我の後は檜山選手らを対戦相手に応じて起用した)ものの、1,2番の並びは変更なく迎えたシーズン。考えてみると、この18年ぶりの優勝を飾った年に、赤星選手の選手生活の多くが凝縮されていた、のかもしれません。

この年の開幕前、外野のレギュラー争いは金本・檜山・濱中に次ぐ4番手だと盛んに言われました。特に打者としての能力を問題にする論調が主流でしたが、オープン戦では弱点と指摘された長打力をアピールするなどして結果を残し、レギュラーを勝ち取りました。

少し話が逸れますが、実は赤星選手のレギュラーは確定していて、しかし更なる発奮を促すために厳しい事を言っていたと、後に星野さんは語っています。この辺りが、自分があまり星野さんを好きになれない部分なのですが、選手の頑張りを監督の手柄に移し変えるかのような態度と。それから選手にハッパをかけるというやり方は手法としてはアリとしても、マスコミを通す必要はあるのか?という点に疑問を感じますし、その点に限って言えば野村さんとよく似ているなぁと思います。亡くなられた島野さんが上手くフォローをしていたから結果として成り立っていた、という切ない事実は、後に北京での惨敗で実証される事になります。。

話を戻して、この年に加入した金本選手の影響は大きく、赤星選手が塁に出た時には打者として不利なカウントになるリスクを冒してでも盗塁を手助けして、結果として60の大台を超える盗塁数を記録しました。守備でも一年間エラーなしという数字を残しています。


開幕から独走状態を維持したまま、マジック2で迎えた9月15日。この年から施行された休日法改正によって敬老の日が9月第3月曜日に移りましたが、2003年はちょうど15日が第3月曜日で祝日となり、デーゲームが行われました。9回サヨナラの場面で登場した赤星選手は、開幕前に非力を問題視された故なのか否か、巡り合わせとは不思議なものですが、見事に外野の頭を越してランナーを帰し、この試合を勝利に導きます。そして約2時間後、他球場の結果により、このサヨナラヒットは結果的に18年ぶりの優勝を決めた一打になりました。


この年の日本シリーズの第一戦。果敢なダイビングキャッチを試みて負傷した赤星選手は以後の試合で精彩を欠き、チームも、当時評論家だった落合さんが事前に予想したとおり、互いの本拠地で譲らなかった結果、涙を呑みました。

結局この年は、選手としての飛躍、プレイスタイルの確立、そして、後の引退に繋がる怪我の予感を感じさせるプレイ、それら全てが見受けられたシーズンでした。。。



■まとめ

2004年以降は、新しく就任した岡田監督が金本・今岡の4,5番構想を持っていたために主として1番を任され、全イニング出場などチームに大きく貢献しましたが、常に潜在的に確率として存在する怪我との戦いの日々でもありました。しかし、それを怖れることなく、常に全力でのプレイを見せ続けてくれました。

引退の判断はもちろん余人がどうこう言える事ではなく、ご本人の決断を支持します。が、チームにとって大きな痛手である事はもちろん、あのプレイがもう見られないのは本当に寂しい事です。


考えてみると、ラッキーゾーンが撤廃されて以降、広い甲子園で堅実な守備と走塁を重視した野球が求められていたにもかかわらず、それを体現できるような選手がなかなか出て来ない時期が長く続きました。

赤星選手の価値は打率や出塁率や盗塁などの数字面でも窺い知る事はできますが、何よりも。本拠地である甲子園が長年求めていた選手像そのものである事が一番大きかったのではないかと、ここまで書いて思い至ったので、ここで締めとさせて頂きます。

阪神タイガースの歴史において一時代を築いた中心選手にして、お金を払って見に行く価値のある「プロの技」を持った名選手の引退に、心から一言、「お疲れ様でした」という言葉を最後に呟いて、今日はこれにて。


以上、読んで頂いてありがとうございました。


テーマ : 阪神タイガース - ジャンル : スポーツ

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