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清志郎について。

勢いを重視して、今日は全て敬称略で書きます。
先日、不十分な事しか書けなかった清志郎について。



・曲を通して

ジョン・レノンが亡くなった時、渋谷陽一は冒頭のコメント以外には解説をいっさい加えず、ただひたすらラジオを通して彼の曲を流し続けたという。清志郎のニュースを耳にした時に自分がすべきだと思った事もやはり、ひたすら彼の曲と戯れる事だった。

最近はヘッドホンで聴くのが殆どだったが、久しぶりに、それもギリギリ苦情が来ない程度の大音量で、CDを聴く。そして、アコギを強くかき鳴らしながら歌う。いい歳をして情けない話だけど、気を抜くと涙が出そうになるし、曲によっては気を張っていても目が潤む。そんな中で、ここ数日間、どう足掻いても涙を止められなかったのは、やはりこの曲だった。


スローバラード



この曲を聴いて、感じ方に答えなんてないんだから、感じたままの事を大切にして欲しいし、以下の意見なんて軽く流してくれたらいいんだけど。自分が改めて感じたのは、主に2つ。1つは「深い孤独」で、もう1つは「お伽噺を信じられる人だった」という事。本当に奇跡のようなそれらの両立を実感するだけで、どうにも涙腺が緩くなる。

ここで言う「孤独」は感覚的な、感性に関するような意味合いで、別に友達がいないとか社会的にどうだとかとは別の話。1st.アルバムに『初期のRCサクセション』なんてタイトルを付けてしまう清志郎の感性は、最後まで揺らがなかった。



風化が加速する

ジョン・レノンが亡くなった時、渋谷陽一はラジオ番組の冒頭で、彼の死を「利用する」マスコミを批難した。とはいえ、生き残った人たちがどれだけ真摯に振る舞おうとも、イメージは歪んだ形で固定される。本人が生きていることによってかろうじて成り立っていたバランスは、その死の直後に崩壊して、風化が始まる。

ことさら故人との仲をアピールして自分を売り込む芸能人には辟易するけれども、自分だってこんな文章を書いている時点でそう大差はない。だから、せめて最低限の節度として、これは故人の為ではなく自分の為に書いている文章で、自分が抱くイメージは故人の一部に過ぎないと自覚して、その上で可能な限り正確に自分の思いを描写したいと思う。


清志郎はもはや、歴史上の人物になってしまった。ロックを体現だの反体制だのといったまとめかたをされて、そして特徴的なMCでのセリフなどがキーワードとして語られるのだろう。型にはめられ矮小化された清志郎のイメージを、残された彼の音楽は、彼の映像は、打破できない。曲は、同時に複数の個人に訴える事はできても、全体に訴える事はできない。

かつての、例えば尾崎豊の時代と比べると、風化のスピードは桁違いに早い。しかしそれは情報伝達速度の問題で、処理の仕方は何も変わっていない。多分、田沼意次の時代からもさほど変化は無いのだろうし、もしかしたら蘇我入鹿の時代でも基本は同じだったのかもしれない。(彼らの一般的なイメージを覆したいとか、彼らを清志郎と同列に比較したいというわけではないです。思い付いた具体例が彼らだったというだけで。)


清志郎は「キング・オブ・ロック」だった。「反骨の人」でアナーキーな行動を取った。それは、自分の中の清志郎像とは合致しない。確かに、ロックという言葉が持つイメージの多くと共通する要素を清志郎は持っていた。しかし、「ロック」が清志郎を規定するのではなく。清志郎の気質を表現する際に、一番妥当だったのがロックという言葉だった。

同様に、彼のアナーキーな行動は「反骨」故のものではない。それでは、反対の為の反対に終始する野党などと同列になってしまう。行動をするという前提で考えた時に、彼が取り得る手段がほぼそれしかなかったが故のアナーキーであって、好き好んで反体制だったわけではない。少なくとも、目的はそれではなかった。


タイマーズ



上の動画は、タイマーズとして音楽番組に生出演した時のもの。FM局の放送禁止処置に抗議する目的で、2曲目に予定とは違う曲を演奏している。



・支持の拡大がもたらす弊害

あくまでも個人的な印象だが、この頃まではファンを除くと彼の行動に理解を示す層はあまり多くなかった。それどころか、RCのファンの中にも、清志郎のこうした行動にはついて行けないと考える人が少なからずいて、彼らは次第にRCからも離れて行った。

転機は、FUJI ROCKだったのではないかと思う。「君が代」問題の頃には音楽リスナーの多くが清志郎支持だった印象で、その傾向は今世紀に入ると決定的になった。清志郎の行動は理由を問わず賞賛するという何か妙な雰囲気すら感じられ、それで清志郎がぶれる事はなかったものの、彼らと一緒に曲を聴く事を億劫に感じ始めるようになった。

極端に言うと、彼らにとっては(そして今、清志郎の死を受けて彼を積極的に規定しようとしている人たちにとっては)、清志郎の行動こそが目的だった。行動の理由が何であれ、(できれば出来るだけ派手な)行動に打って出て貰う事が、賞賛の理由になった。多数派はあくまでも清志郎の曲や人柄に魅せられた人たちだったが、ファン以外の世間一般への説明としては、その種の人たちの声が一番分かりやすいものだった。


我が侭な話だけど、今こそ清志郎のライブが聴きたいと思ってしまう。ここまで長々と書いたような事は過去にいくらでもあって、別に清志郎が特別というわけではないのだけど。そんな風に理性的に考えようとしても、どうしても感情的になってしまう。生きたライブさえ聴ければ、これらを簡単に吹き飛ばしてくれるのに。



帰れない二人について

前回、YouTubeを貼り付けただけで何の説明もできなかったけれど、陽水との共作である本作は色々とエピソードが豊富な曲である。ただ、曲自体について語り出すとどうしてもアルバム『氷の世界』に触れざるを得ず、それだけで文字数が更に倍になってしまうので、それは別の機会に。

さて、今ではwikipediaにも(RCサクセションの項目に)書いてあるけれども、70年代半ばのRCはレコード会社によって干された状態だった。これはかつては公然の秘密で、自分も複数のファンの方から教えてもらったのだけど、今では「干されて仕事が無い状況を、アルバム『氷の世界』シングル『心もよう』に収録された本作の印税で凌いだ」という話になっている。

かつては公には「売れなくて生活が苦しい時期、この曲の印税で糊口を凌いだ」という話で、売れなかったのは自己責任という論調だったし、二人の関係も「見かねた陽水が・・・」的な友情物語にしようとする気配があった。


前回の映像は、海の中道海浜公園野外劇場で行なわれたAcoustic Revolution Star Stock 91にハバロフスク&マフィア(井上陽水、忌野清志郎、高中正義、細野晴臣)として参加した時のもの。レコード会社からアルバム『COVERS』は「素晴らしすぎて」発売できないと言われたのが1988年、翌年にはタイマーズの活動を通してそれに異議を唱え、1990年末でRCも活動休止、そんな状況で参加したユニットだった。



・清志郎の日本語感覚

清志郎がカバーした作品を聴く事が、その特性に触れる近道だろう。ただ、これを書き出したら日本語ロックの話に触れざるを得ず、それですぐに10000字ぐらいになりそうなので、今日のところは曲の紹介だけ。有名なDay Dream BelieverやImaginも良いけれど、何となくこちらの曲を↓。


500マイル




しかし、これだけ書いて思ったのは、自分は曲以上に、清志郎の人物に魅せられていたのだなぁと。そんな事を自覚しつつ、書き足りませんが今日はこの辺りで。お陰様で、何とか一区切り付けられたという印象です。以上、読んで頂いてありがとうございました。


テーマ : ロック - ジャンル : 音楽

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