監督考

今夜はまたCLがありますが、例年通りスカパー登録は決勝トーナメントからの予定なので観られません。という事で、昨日はあっさりスルーした「チェルシー×ボルドー」について、ちょっと試合を観ながら考えていた事を書き記しておきます。


試合の結果はこのようにチェルシーの圧勝だったわけですが、解説の方がボルドーについて、「あまりに素直に挑みすぎた」といった発言をしておられました。

これは確かにその通りで、チェルシーが嫌がるプレイを選択する方が、結果を出す可能性は高かったと思われます。ただ、これはあくまでも可能性の問題で、結果的に惜敗という展開も大いにありえるわけで。長いシーズンを考え、今年のチームの目標を考えると、ホームのチェルシーから勝ち点をもぎ取る事を最優先に考えるのではなく、真っ向から玉砕するのも悪くはないのではないかと。そんな事を考えていたのでした。



・監督の評価

ボルドーのローラン・ブラン監督について一試合で評価するのは難しいですが、何となく「長期的にチームの形を整える」事に秀でているような印象を受けました。これはバルセロナのグアルディオラ監督などもそれっぽい気配ですが、その反面「試合中に効果的に流れを変える手を打つ」事は少し苦手っぽいような。で、前者と後者ではどちらがいいのやら?といった辺りが思考の始まりでした。

監督に求められる能力は多岐にわたるはずで。何もかもを持っている人はまず存在しない以上、チームの目的に沿って能力を発揮できる事が重要だと思われます。しかし、世界的な試合中継の拡大やらで、目の前の試合で結果を出す事の意味が大きくなりすぎているのかな、と。その結果、後者の勝負師的な能力が重視されるようになったのかな?なんて事を思い付きました。


視聴者の側からすれば、試合以外の情報はなかなか得られないわけで。怪我の情報などは得られるものの、練習中の動きやら当日の体調やら、監督が判断の基準にしているはずの情報の大部分は分からないだけに、結果から試合中の采配を検証して評価に繋げるのは仕方のない部分はあると思います。というか、自分もそんな感じですしね。

ただ、「試合中に動く事で勝利を引き寄せる」のも名監督なのでしょうが、「試合の前に優位を確立する」というか。「優位な状態で試合に臨んでそのまま押し切る」のも名監督なのではないかと。本来はファーガソンやベンゲルもこのタイプなのではないかと思ったりして。


問題は、今の欧州トップレベルでは「事前の準備」だけでは勝ち切れない事で。何年か前のCLでポルト時代のモウリーニョに足元をすくわれたファーガソンをふと思い出しましたが、「試合の流れを変えられる」事も多少は求められるだけに、何とも監督とは大変な仕事であります。

逆に言うと、いくら勝負師でも「事前の準備」が少しはできてもらわないと困るわけで。そしてそれは国やクラブや選手など環境によっては今までのやり方が通じないケースも多いわけで。何やら話が大きくなりすぎたので元に戻すと、試合には負けたけれども、ローラン・ブランのやり方は今のクラブには合っているのではないかと。そんな結論に至ったのでありました。



ついでに、ボルドーの選手たちについて。

個人能力という点ではそれほど劣っているとは思えず。ただ、やはり判断のスピードなどでは見劣りしてしまうわけで。リーグの違いがリズムの違いになっている部分はありますが、「相手のリズムに対応する」のではなく「相手のリズムに無理に合わせようとして」自滅している感じを受けたりして。

「いかにして自分のリズムに引き込むか」という点も含め、経験によって会得していくしかないわけですが、やはり、こうした別のリーグのチームと対戦できる機会は重要だなぁと。日本人選手たちも頑張って欲しいなぁと。そんな事を考えていたのでした。


以上、そんな感じで今日はこれにて。
読んでいただいてありがとうございました。


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工作活動

28日の未明に記事を書いた際に、ブログの自動保存の影響で記事の番号がまた飛んだみたいなので(「下書き」としてデータが残る)、軽いものでも書いておきます。

というか、一度「下書き」状態になったものは、再編集の際には自動保存は効かないみたいで。実はブラウザの操作を誤ってしまい、殆ど書き終えていた記事を再び書いているのは秘密です(涙)。



・工作その1~狙っているもの

今月はこつこつと部屋の整理などをしていたわけですが。収納の限界はいかんともしがたく、何か買わない事には・・・なんて悩んでおりました。で、こんなものを狙っています。


これに絞り込んだ理由は、こんな感じ。
・作りがいがありそう:工作したい病↑
・ガラス扉あり:埃キライ病↑
・キャスター付き:動かして遊びたい病↑
・両面収納:奥行き2倍で見た目不安定恐怖症↓


欲を言えば、横幅と高さが5割増し(当社比)だとスペース的にもピッタリだし、収納枚数も4桁越えで万々歳だったのですが・・・。映画DVDも整理したいところですし、洋楽で本棚一つが占拠されている状況も変わらないものの、国内ものを一纏めにできそうなので惹かれています。

迷っているのは、ワイド型(横幅530)ではなくスリム型(横幅430)を2つ買うのはどうだろう?なんてよこしまな事を考えているからで。ただ、お値段の事もありますし、大人しくワイド型を購入する事になりそうです。

もしも上記の条件を満たす別のCDラックをご存知の方がおられましたら、是非ご教授下さいませ。って、んなもん買わずに聴かないCDをブックオフに持って行け、なんて言われそうですが。。。工作活動が楽しみ!



・工作その2~原因はマウス

以前にMacの事を書きましたが、最近どうやらマウスの調子が思わしくなくて。クリックすれども反応しないという厳しい状況に陥っております。

んで、今更ADBポート接続マウスをオークションなどで入手するのも・・・って感じですし、USB増設もやっぱり今更だし(でもちょっとだけ惹かれてたりして)、これを機に退役願っても罰は当たらないと思うのでありますが。問題は、その前にデータをしっかり消去しておきたいという事で。

データの保存&移動はもう5年ぐらい前に完了していて、特に見られて困るような変なものもありませんが、それでもメールなりをそのまま読める状態で業者さんに引き渡すのは気が進まないわけで。とはいえ、手動にしろ専用ソフトを使うにしろ、マウスのクリックが効かない事には何もできないわけで。。。

幸い、気分転換がてら手が空いている時にマウスを16連射していたら少し反応が戻ってきた感じなので、時期を見計らってMac内の工作活動を実行に移そうと考えている今日この頃であります。



・工作その3~食べ物で遊んではいけません

って、特に遊んでいるつもりはないのですが。先日に続いて今度は「麻婆豆腐カレー」を作ってみました。


<作り方>
1.普通にひき肉、ネギ、生姜、ニンニク、玉ネギなどをごま油で炒める。
2.豆腐、ニラなどを加えて軽く炒め、味付けは下味程度で。豆板醤はお好みの量を。
3.水を加えて一煮立ちさせ、火を止めてカレーのルーを加えて少し煮込んで完成。

例によってルーを投入する際に「普通に作った方が良いのでは?」なんて不安が胸をよぎったわけですが。やはりカレーは(よほど酷い合わせ方をしない限り)何にでも合うわけで、美味しくいただく事ができました。


何ゆえ普通に作らないのか?と問われれば、それはバリエーションの為だと答える。んな暇があったら森生明さんのMBAバリュエーションでも読んで勉強しろ!なんて言われそうですが、どちらも噛むほどに味のある一品なわけで(笑)。問題は、印象には残っていても中身がさっぱり思い出せない事ですが、幸いカレーのスパイスにはターメリックなど記憶力増強に役立つものもたくさん含まれているわけで。方向性としては間違っていないと断言できるのではないかと・・・なんて脱線してますが、まぁそんな感じで。



以上、今日はこれにて。
読んで頂いてありがとうございました。


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海外サッカー

久しぶりにサッカーについて雑談でも。とはいえ、各国リーグが開催して早一ヶ月が過ぎましたが、どうも今年は例年ほど海外サッカーに身が入らない状態です。


原因の一つは放送の問題で、フランス・リーグの放送が無くなり、新たに放送が始まったバイエルンTVにはいまいち興味が惹かれず、バルサTVでリーガや国王杯の放送が始まるとはいえWOWOWで充分だし、イングランドのカップ戦も決定打に欠ける感じで、年を経るごとに選択肢が少なくなっている印象です。ポルトガル辺りが電撃的に放送復活して欲しいところですが・・・。

それから、今や最高峰の名を恣にしているイングランドのプレミア・リーグが個人的にはやや食傷気味で、今年も4強の優位は揺るがなさそうですし、特定のクラブに限らずお金の使い方が気に喰わないケースが多かったりとか。

野心的なクラブが大金を叩いて選手を集める事に否定的なのではなく、今更ビジネスという側面を問題にする気はないものの、どうもデジタルに過ぎるというか。上手く説明できませんが、お金の額とかよりもサッカー界を取り巻く雰囲気が嫌な感じで定着してしまった感があって、それが気になってしまうという感じでしょうか。


そんなわけで、毎週末に結果を確認する程度で、あまり試合を観ていません。個別の事を言えば、密かに応援しているアストン・ヴィラの調子が良さそうなのが少し嬉しかったり(書いた事で勢いが落ちません様に)。松井選手の調子が上がらない事や、中村選手がJリーグ復帰に言及した事が気掛かりだったり。


そういえば、今年もCLの初戦1日目は初回放送が無料で視聴できたので、「PSV×アトレティコ・マドリード」「チェルシー×ボルドー」「マルセイユ×リバプール」を録画してみました。とはいえフランス勢は結果が出なかったし、一番楽しみだった試合はPSVが悪すぎる印象で。

アトレティコは快勝だったものの、決勝トーナメントできっちりスペースを消した守備で手堅く戦うチームが相手になると、守備面での甘さも目に付いただけに不安が残る感じです。大一番での勝負弱さはインテル以上に信用できない印象ですが、リバプールと同組なのでRound16では当たらないのは地味に大きいかも?ユベントスとチェルシーさえ避けられれば、どんな相手でもそこそこ戦えそうな。

後はアグエロの勤続疲労次第でしょうか。PSV戦での2点目の動きは鳥肌ものでしたが、今朝方のセビリアとの一戦では疲れが目立ちました。それは彼に限った事ではなく、チームが厳しい日程に慣れていない事が大きいような。CLという舞台を意識し過ぎて発奮した影響が今になって出て来たのかな、なんて考えていたのでありました。

ついでにセビリアについては、アウベスがいなくなって普通のチームになったな、という感じで。よく組織されて選手たちが労を厭わない普通に良いチームという意味で、特に他意は無いのですが。アウベスとヘスース・ナバスで右サイドを男前に切り裂いていた、特徴的なチームは魅力的だったな、と。ディエゴ・カペルの無茶な突破に磨きがかかる事を期待しております。


というわけで、今年はリーガを中心に、お気に入りのチームや有名チーム同士の一戦をピンポイントで楽しむ感じになりそうです。イングランドの4強対決はJスポーツ2での再放送が土曜日まで無い雰囲気で、ハイライトで済ませるという意欲の低さであります。囲い込んでもJスポーツPlusの契約数には影響しないと思うのですけれど・・・なんて軽口を叩いてみたり。


以上、まとまりませんがそんな感じで今日はこれにて。
読んで頂いてありがとうございました。



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ヒット曲の基準

先ほどふとテレビをつけたらCDTVが15周年とかで、この15年間のCDシングルTOP100を放送していました。で、何となく見入ってしまったのですが、ほとんどの曲を知っているのは凄いなぁ・・・とか自分で思いつつ。

考えてみれば、自分たちの世代はCDバブルの時期を経験しているわけで。単にブームに乗っただけのどうしようもない曲も沢山ありましたが、今となっては懐かしさの方が先に出る辺り、自分も年を取ったという事なのかもしれません。


こうしたランキング番組については、売り上げが唯一のヒットの基準になるのではないかと危惧した時期もあったりして。その心配は、少なくともレコード会社において概ね現実になった印象を受けますが、利益を出す事を求められる企業の性質柄、それは仕方のない事だったのでしょう。

一方で、リスナーの意識を探ってみると。ヒット曲を人工的に作るという意図が透けて見える事への反発とか、ランキング上位の曲を良いと思えない事とか。ネット時代で購入の形が多様化した事もあって、店頭での売り上げのみを基準にできなくなっていたり。そもそも今の曲とミリオン連発のバブル期の曲とを、数字で比較してもいいのか?とか。

そうした理由から、むしろ基準としては一段低く扱っている印象すら窺えます。ま、単なる願望だったり、自分の周囲だけという落ちもありそうですが(笑)。


さて、カラオケやら着うたやら、売り上げ以外の基準も考慮して、より実態に沿ったヒット・チャートを作ろうという動きは昔からありますが、ふと思ったのは、ここ10年ほどですっかり定着した野外フェスの影響は案外大きかったりするのかな?と。売り上げやらの数字には表れないけれども、「フェスの会場で観客が沸く曲」という基準は、自分がその場に立ち会っているだけに、実に分かりやすい基準になっているのかな、と。

こうした「売り上げは目立たないけれどもライブでは定番」「少し聴いただけではピンと来ないけれどもライブで映える」という曲はファンの間では有名だったのでしょうけれど、フェスを通して、その存在をファン以外の層にまで広めやすくなっているのだとしたら、それはいい事だろ?(@傘がない)などと考えていたのでした。


もう一つ考えていた事は、少なくとも90年代から世紀が変わる頃までは、自分の好みを追うのは勿論として、好みではないヒット曲も聴く事を心掛けていたんだなぁ・・・と。その意図は、実際にちゃんと聴いてから批評をすべきだという事が一点。それと、自分が世間一般から遊離しない為に、という点も重要だったりして。で、その視点がすっかり抜けていたのが問題だったなぁ・・・と。


という事で、最近多い気もする反省タイム。前回に携帯メールの事を書きましたが、やはり今の自分の感覚は少しずれている感じで。そうなると傾向として、三振かホームランか、という両極端になりやすいんですよね。で、とんでもない空振りをして他人に誤解を与えてしまう、と。分かっていても治らない、というか、少し大人しくしていれば自然に元通りになるので、あまり深刻に捉えていなかったりするのですが。


そんなわけで、最近ブログも開店休業状態だったわけですが。一対一にならざるを得ない(携帯含め)メールでのやり取りよりは、不特定多数を意識して書くブログの方がマイナス面は少ないかな?と思ったので、リハビリがてら記事を書いてみたのでありました。


時間が経ってから読み返してみて、感覚が戻って来ているな、と感じられる文章になっていますように、なんて願いつつ(笑)。今日はこれにて。
以上、読んで頂いてありがとうございました。



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携帯メモリー

昔の携帯は容量の関係からメールを保存できる数が限られていたので、頻繁に整理して削除していたものです。が、最近は余裕があるので整理を怠っていたところ・・・。

受信メールは無事でしたが、送信メールは今年5月の連休以前のものは削除されていた事に気付いた今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか?


そんなわけで約4か月分の送信メールを読んでは削除し、ついでに受信メールも大幅にリストラしていたのですが、思った事。


一気に読んだから余計に目に付いた、という事はあるにせよ、やはりここ最近の自分が書くメールはバランスが全く取れていないな、と。
端的に言うと、詰め込みすぎ、なんですよね。

これは携帯メールだけでなく、ブログなどで書くものについても感じていた事ですが。携帯メールの場合は文字数が少ないだけに余計に酷い印象を受けるなぁ、なんて思っていたのでありました。



ここ数年を振り返ってみると。

05-07シーズンぐらいまで、自分のテーマは「単純化」でありました。話し言葉でもそういう傾向がありますが、何かというと長くなりがちな文章を、できるだけ内容を変えず文字数を少なくする事を目標としていました。

で、一応の結果を出せたと思った事と、それ以上に、より深い内容と発展性を求める気持ちが強くなった事で、ここ一年ほどは、自分の頭にある事を少しでも多く表現に加えたいという、いわば「複雑化」をテーマにしていました。「内容→、文字数↓」から「内容↑、文字数→」にシフトしたという感じでしょうか。


しかしながら、携帯メールを見る限り、その試みは失敗しています。余計な可能性を考えて文章全体の意図を曖昧にしてしまったり、複数の要素を詰め込んだものの整理ができていないのでまとまりのない内容になったり。。。

厳しい事を言うと、複雑化に耐えうるだけの表現能力が、まだ足りない。なんて断言するのは哀しい事ですが、その事実を受け入れるところから始めるべきなんだろうな、と。内容の深化なり「上を目指す」意欲はさておき、あまりに高く遠い目標をいきなり掲げてしまったのかな、と。


自分の思考は割に混沌の度合いが多く、それは意識的に仕向けた事ではあるのですが。故に、優先順位を明確にするとか、全体像を把握するとか、アウトプットの際に必要な諸要素をなおざりにしていた部分があって。まずは発想なり自分の中での要素を、それなりのレベルにまで引き上げたかった、という感じでしょうか。

それを外部に、できる限り正確に表現したいという気持ちが、テーマの変更に繋がったのですが。やっぱり、いきなりは無理だったなぁ...と。少し落ち込んでいたのでありました。



結局まとめなかった北京オリンピック男子サッカー。タイトルは「地に足をつけて」だったのですが、女子と比較して感じたのは、「100%の力を出し切る」か「120%の力を出す」かの違いというか。前者の場合は、それを積み重ねる事で結果に繋がって行きますが、後者はそれ自体が目的化したり結果になったりしやすいわけで。局所では成功しても、全体としては逆に落ちる、といった感じでしょうか。

極端な事を言えば、チームよりも個々のプレイ優先、地味なプレイよりもスーパープレイ優先といった雰囲気を受けたのですが、自分の場合もちょっとそれに近いわけで。何もかもを一発でひっくり返すような仕上がりを求めるのではなく、まずは地道にできるところから。読み手の事を考えて、まずは全体として破綻がない事をもっと重視しないと・・・なんて事を考えていたのでありました。



そんな感じで、戒めの意味も含め、自己反省として書いてみました。といっても、普通に元気にしておりますのでご心配なく。ま、慰めていただけるのなら喜んで受けますが・・・(笑)。

以上、読んで頂いてありがとうございました。
今日はこれにて。


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男の料理

たまには軽いものでも...という事で、今日は男の料理について。
本日のメニューは・・・「豚キムチカレー」であります。


<作り方>
1.ごま油で豚肉を炒める。
2.肉に火が通ったら、キムチを投入して軽く炒める。
3.水を加えて沸騰させる。
4.火を止めてカレーのルーを入れ、一煮立ちさせて完成。


<特徴>
包丁を使わない、味付けの必要もない、という点をこの上なく重視した料理。
分量もお好みでOK。ちなみに自分は豚肉150~200g、キムチ同程度、ルーは半箱、水は箱書きで指定の量、を目安にしています。

多少の手間なら良いという方は、ニンニク、ショウガ、玉ねぎ、ニラなどを加えるとよろしいかと。
味を深めるために普通のカレー同様、ヨーグルト、ソース、チョコ、牛脂、その他スパイスなどもお好みでどうぞ。


なお、お口に合わなくても責任は取れませんので、自己責任でお願いします。
美味しいと思うんですけどね、自分は。。。


そんな感じで、今日はあっさりとこれにて。
読んで頂いてありがとうございました。



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ポーの一族

少女漫画に疎い自分でも名前だけは知っていた、萩尾望都さんの「ポーの一族」を週末に読みました。小学館文庫で全3巻です。


読後の印象は、3巻にエッセイを寄せておられる有吉さんと似た様な感じで。永遠の時を生きる彼らバンパネラ(吸血鬼)の孤独。そして、思いがけない事情から、14歳という中途半端な理由で時を止めることになった主人公エドガーらの苦悩。それらが実にリアルで、他人事とは思えないほどに真に迫って来るだけに、一度読み出したら止められない魅力がありました。

生き続けている彼らと違って、過去に、永遠に失われた人たち。それを、生き続けているが故に、何度も繰り返し意識し続けねばならない。残された者の孤独を、味わい続けねばならない悲劇。ましてや、その対象が同属ならば。積み重ねた年月は、あまりにも重い。
更に、それを和らげようにも、他の人間との交流には常に高いハードルがあり。心惹かれるほどに、愛するほどに、身を引くべきか、それとも他人と縁を切らせて自分たちの仲間に引きずり込むか、という極端な二択がいつも付きまといます。

そして、大人とも子供ともつかない微妙な年代で居続ける事による葛藤。一番不安定で、しかし人生で一番楽しいかもしれない時期が永遠になる事で、諦めを覚えた大人とはまた違った懊悩に悩まされ続ける日々。永遠であるが故に、生き続ける事に意味を見出す事がこの上なく難しくなり。しかしながら、思考を休止して、適当に食欲を満たしながら静かに毎日を送る事を良しと済ませる事もできない、中途半端なお年頃の登場人物たち。

バンパネラの孤独、というだけでも充分に作品になるぐらいに深みのあるテーマなのに、そこに更に思春期的な要素をミックスさせ、かつ一層の深みに達するに至ったこの作者の構成の見事さ。そして、幕引きの上手さ。言葉でどう書いたところで、この興奮を伝え切れないのがもどかしいですが、作品の完成度をこの域にまで高めた事が、奇跡的とすら感じられます。しかも、今から30年も前に、既に。


また、作品を通して伝わって来る、作者の知識・教養の豊かさと確かさ。そして絵自体は勿論、コマ割りから絵の見せ方から言葉の使い方に至るまで、あらゆる面で高い水準を誇っている事。一体この30年間に、どれぐらいの数の人が模倣したのやら?などと思ってしまうほどに、何もかもが素晴らしかったです。

正直、名作とは言われていても、ここまでの作品だとは思っていませんでした。この作品をものにしてなお描き続け、しかも今でも現役で、更に作品の評価はいずれも高いそうですし。この作品を何度も繰り返し味わいたいのは勿論ですが、全作品を読んでみたいと思わせられる作家さんに出会えて。それが何よりも嬉しいと同時に、もっと早くに読みたかったという残念な気持ちも抱いてしまう辺り、人間とは欲深いものであります(笑)。


ところで、少し気になって各話の最後に書かれている日付を元に、年代の古い順に並べてみたのですが、収録順は案外バラバラなんですね。100ページを越える長編を各巻の冒頭に持って来る為、だけなのか?それとも、より深い意図があるのか?

少し意外だったのは、2巻の「メリーベルと銀のばら」(6)が3巻の「小鳥の巣」(5)よりも後の作品だった事(数字は各話を古い順に並べたもの)。「メリーベルと銀のばら」と「エヴァンズの遺書」(7)が「小鳥の巣」よりも先であれば、エドガー&メリーベルとエドガー&アランで奇麗に二分できるのですが、そんなに単純ではない、という事なのでしょう。「ポーの一族」(4)のラストからの繋がりを考えると、この順の方がスムーズですし。

で、書きながら気付いたのは、エドガー&アランが確立する「ポーの一族」以降が、語源から考えて、作者が描きたかった本編だったのかな?とか。

そんな事を考え出すと、また読み返したくなって来るわけで。本当に罪な作品であります。かつてOASISのNoel GallagherがBeatlesの"A Day in the Life"について、「何万回聴いても、そのたびに新しい発見があって飽きね~ぜ」とかのたまわっておられましたが、名作ってのはそういうものなのでしょうね。時代の違いも、そして既知である事も、たいした問題にはならないだけのクオリティを備えている、という感じでしょうか。


などと、だらだら蛇足を交えながら書いて来ましたが、そんな感じで。読んで頂いてありがとうございました。
今日はこれにて。




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安吾の信長

続いて、先週半ばに読んだ本作。

眠たくなるまで、寝る前にちょっとだけ・・・というつもりが、面白くて途中で止められず。一度は電気を消したものの続きが気になって眠れないという遠足前日の小学生の様な状態で、結局また起きて続きを読んでしまいました。で、翌日の電車の中やらで大爆睡だったのは言うまでもありません。。。期待の持てる本は、次の日に朝寝坊しても問題のない日を選んで読み始めるべきですね。ホント、子供じゃないんだから・・・という感じですが、まぁ終わった事だし良しとしましょう(笑)。

もともと読みたいとは思っていたものの、講談社文芸文庫はお値段が高いし、そもそも紀伊国屋など大きな書店でも見付けられなかったり。図書館で借りるのは書き込んだりできないので却下だし、ネットで買うしか無さそうだけど、できたら買う前に少し目を通したいし・・・などと引っ込み思案に過ごしていたところ。なんと宝島社から文庫が出たとの事で、書店で発見して嬉しさに舞い上がり、中身も見ぬままにレジに走ったのでありました。


会話文も含め文章は現代的かつ放埒で、しかしそれが全く嫌な感じではない辺りが、さすがに安吾。それどころか、文章のリズムといい語感といい、実は丁寧にしつらえている感さえうかがえて、興味深いです。表面的に意地悪に読めば「日本語が乱れている」なんて事も言えそうに思うのですが、実はその奥には読者を引き付けて離さない魅力が控えていて、下手な批評者は簡単に返り討ちにできそうな辺り、何とも素敵です。

何というか、裏を読もうとすればするほど面白い・・・ってのは性格の悪い読み方ですが、マニアックな事を知っているほど笑える部分がありながら、知らない人には引っ掛かりを感じさせないように書かれているのが上手いなぁ、と。


作者の信長像については、初期の頃の清洲城下焼き討ちを「当てが外れた失敗」と見ていたり。よくある「若年から天才だった」「全ては布石だった」といった設定ではなく。確かに発想の非凡さは随所にあるものの、どうにも現実に結びつかない様子が描かれていたりして。個人的には、納得のいく設定でありました。

それから、有名な長篠の鉄砲三段打ちなども、初期の頃から試行錯誤があった風に描かれていたのが興味深かったです。「日本海海戦の真実」の、東郷長官がトウゴウ・ターンを繰り返し実戦で試みては修正を重ねていた、という話を思い出したり。

ちなみに、鉄砲隊を三列に並べる戦法や、桶狭間で敵軍を大きく迂回して義元本陣に攻め込んだ話などは、最近では否定的な雰囲気ですが。やはり小説としてはこうした従来の説の方が映えますね。


さて、作品は、桶狭間の時点で終わっています。痛快で面白かっただけに残念ですが、おそらく安吾は飽きたのでしょうね。弟の勘十郎信行との争いに勝った時点で筆を置きたかったのが、桶狭間まで書く羽目になった...という感じを受けました。何とも、正直なお方であります(笑)。


そんな感じで、今回も作品を通して感じられる安吾のキャラクターにやられてしまったので、客観的な評価にはほど遠いと思いますが、やっぱりこの人は面白いですね。「おもしろき こともなき世を おもしろく」と上の句だけの辞世を残したのは高杉晋作ですが、彼らは共に、無頼ながらも真摯というか。無頼ゆえに真摯とか、或いは無頼に真摯だったのかもしれませんが、ともあれその熱さが心地よかったという事で。


何だかまとまりませんが、そんな感じで。
読んで頂いてありがとうございました。




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迷走する帝国

先週は何かと生活が不規則でしたが、まずは前の週末に読んだ塩野七生作品について。

単行本を敢えて買うほど熱心ではないものの、文庫になったら読むことにしているローマ人の物語シリーズ(新潮社)。今回は「迷走する帝国」という事で、カラカラ帝から軍人皇帝時代を経て、それを収拾するディオクレティアヌス帝の即位までが語られています。


隆盛期と衰退期では、後者の方がより一般化しやすいとか。つまり、組織としての傾向というか共通点を見出しやすいとは良く言われる事ですが、にもかかわらず実際に自分が属する組織がそうなってみると、分かっていても対処できないというか。対策を試みても泥沼の状況を打破できない辺りが切ないところでありまして。

現実に応用できないのならば歴史を参考にしても無駄ではないのかと、自分の力のなさを棚に上げて悲嘆に暮れるのも、また違った意味で切ない話でありますが。それはさておき。


帝国の混乱期とあって様々な問題点が指摘されていますが、気になったのは「持てる力の無駄遣い」「政策の継続性がない」辺りでしょうか。昨今の我が国の状況を嫌でも連想させられるわけで。しかも、ちょうどこれを読み終えた翌月曜日に、首相が政権を無責任に投げ出すとの表明がなされ、個人的には何とも皮肉なタイミングでありました。

しかし、国の未来よりも何よりも政権維持こそが至上命題の今の自民党では(って、今に始まったわけでも、自民党に特有の傾向でもないのですが)、史上初の女性総理→秋の総選挙で議席減少を最小限に、という流れになりそうで、何とも不安であります。女性総理反対ではなく、あの方が総理になるのが反対なのですが、その辺りを上手く使う程度の小知恵はありそうなだけに・・・どうなる事やら?(嘆息)


閑話休題。軍人皇帝時代、多くの皇帝たちは、些細な原因で実にあっさりと部下の兵士たちに殺されてしまいます。しかし、彼らの仕事を見ていると、決して人材が払底したわけではなかった、と思えるわけで。理想を言えば「彼らを使いこなせて20年近い統治が可能な皇帝がいれば...」となりますが。

話がずれかけているので何が言いたいかというと、「千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず」という事で。まずは何よりも人の適正を見抜く能力。そして、それら人材を適所に配するセンスを持つ人が帝位に就いていれば...などと考えていたのであります。

塩野氏は「ジェネラリストではなく、(軍事の)スペシャリストが求められる時代に」と書いておられましたが、実は、まさにそのジェネラリストが求められていたのではないかな、とか。スペシャリストは確かにいないと困る情勢ではありましたが、必ずしも帝国のトップではなくても良かったのではないか、とか。そんな事をふと思ったのでした。


作品については、相変わらずというか。手っ取り早く言えば、司馬作品を少し劣化させた感じというか。特に他意があるわけではなく、長所も短所も似た部分があって、トータルの完成度は劣るけれども、長所が短所を上回っているのは確か、という感じでしょうか。

この作品だけを真に受けるのは危険なので、例年の様に「ローマ皇帝歴代誌」(こちらも微妙に信用の置けない部分がちらほらあるのですが)とwikipediaを読後に参照したり。その後、昨年出た「終わりの始まり」を読み返したり。そんなこんなで、紀元3世紀の昔に思いを馳せながら、週末を過ごしていたのでありました。


といった辺りで、ひとまずこれにて。
読んで頂いてありがとうございました。



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福田首相辞任

眠い。が、一応は有権者である以上、この話題について何か書かねばなるまい。なんて妙な責任感を発揮するのもなんですが。とにもかくにも、突然のニュースにビックリしました。

夕方の時点では、どうやら今日はプロ野球の実行委員会があるみたいで、監督の人事について何かニュースがあるかな?なんてお気楽な事を考えていたのですが。人事の重要性という点では桁違いですね。いやはや。


内閣改造の意味はあったのか?とか。これなら、サミットを機に辞任したら良かったのに、とか。色んな意見があってそれらは至極真っ当だとは思うのですが。少し茶々を入れるならば、それでも、居直られるよりは良かったのでは?と思えてしまうのが切なくも腹立たしいところであります。

が、一国を代表する首相が二人続けて中途半端に責任を投げ出す姿は、国民としては見たいものではないですね。前首相の場合は「病気だから」という意見があるそうですが、命の限り職を全うした小渕・大平元総理や、後継を定め責任感は感じさせる辞任だった石橋元総理の例を出すのは、彼らに失礼に当たるかもしれません。

ともかく、上がこうだから・・・という風潮にならぬ事を願いたいものであります。


そして、更に悩ましいのが後継人事で。政治への不信は昔からあったものの、かつては三角大福中とか、安竹宮とか、竹下派七奉行の方々とか。彼らの総理としての評価はさておき、こうした将来の首相候補として扱われて来た方々がいたものでしたが。

最近はどうも皆様小粒で、それは脚光を浴びるとすぐに候補の先頭に躍り出るから準備が足りないという事なのか(安倍前首相の場合)、反対派も含め「候補としては」党内に広く認められる、という状態にすら至る人が少ない(麻生氏などは、何となくそんな扱われ方をされている気が)という事なのか。ま、安倍氏の場合でも時間があってもどうにもならなかった気がしますし、人材不足という事なのでしょうけれど。。。

それにしても、人材が政界には集まりにくい時代ではありますが、国の命運を握るのはこの方々なわけで。と言って、一般の人々が名乗りを上げても、何よりも多くの人を納得させるだけの「資格」が無いですし。硬直化している現状を打開して、「人気者」ではなく「将来の首相候補」を積極的にスカウトするような流れになって欲しいものであります。


で、福田首相。「何をやったか印象にない」という手厳しい意見がありますが、現状を打破するヴィジョンも能力もなかった、という事なのでしょう。それ以上に、会見を見る限り「これだけ悪条件が重なっているのだから仕方がない。時代が悪かった。そんな中で自分は良くやったのでは?」なんて本音が窺える気がして。邪推だと思いたいですが、「責任感」って何でしょうね?と言いたくなる今日この頃であります。

しかし、自分にもっと能力があればなぁ・・・とか夢見事を言っている場合ではないですが。だからこそ、能力のある人たちがその能力に合った地位に就いて欲しいものだと。そんな事を思うのでありました。


率直に言って怒っていますので、特にまとめる気もありませんが。明るい未来を感じさせる政治家が出て欲しいものだと。そんな感じで今日はこれにて。

以上、読んでいただいてありがとうございました。


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