松井起用法

さて、時間がないのにそんなテーマで果たして書き切れるのか?という心の叫びはうっちゃって。せっかく代表の試合を観たのだし、フランス・リーグの試合も何度か観ていたわけなので、松井大輔選手に注目した立場から日本代表について考えてみます。

さて、コートジボワール戦は最初から観る事ができたのですが、パラグアイ戦は前半は観られず。とはいえ、都合よく松井選手が後半から出場したみたいなのでまぁ良かったな、と。前半の方がいいサッカーだったみたいなのがちょいと切ないところですが。


システムで言えば、松井選手を活かす第一候補はやはり4-1-4-1でしょうね。要するにウイング。ただ、1トップを任せられるFWがなかなか思い付かないのが辛いところです。

また、この場合、中村俊輔選手をどこで使うべきか?松井を左、中村を右のウイングで使って、とすると右サイドバックには攻撃に加われる選手が欲しいし(加地選手は引退するし)、となると左サイドバックも攻撃優先だと怖いから、でも守備重視となったら松井の魅力も半減するし・・・などと堂々巡り。

二人を共存させるとなると、やはり守備を考えないといけないわけで。巷で言われているほど二人に守備の意識がないとは思いませんが、どうせ使うなら二人には得点に繋がるプレイに専念、とまでは行かなくとも、できるだけ多くの時間を攻撃に費やして欲しいわけで。難しいところであります。


サンテティエンヌに移籍が決まって、何故かいきなりメディアに取り上げられる事が多くなって。少し不安だったのが、松井は決して単独で2人3人と抜いて行ける選手ではなく。というか、そんな選手は世界でもほんの一握りで、彼らですら調子が良くない時は1対1でも止められる場面が多かったりするわけで。

だから、松井がよくYouTubeなどで取り上げられている様な見栄えの良いスーパープレイを発揮して自らハードルを上げる事にならずにホッとしている部分もあるのですが。改めて起用が難しいな、と思ったのも確かであります。


起用法が難しい理由は松井以外にも理由があるわけですが。例えば、システムは同じ4-1-4-1でも、やはり個人の能力によって有効性は異なるわけで。今の日本代表でシステムを組んだ場合に、自分の職分をきちんと理解できる選手がどれほどいるか?というと、ちょっと難しい気がしました。試合を観ていて、国内組と海外組の差を一番感じる部分だったりします。

つまり、戦術的な発展性というか、場面場面で求められる仕事を自分で判断する、という点で選手たちに頼りなさを感じてしまうのです。監督というよりは選手の問題。もちろん、そうした面での教育という事も含めて監督は責任を求められるのでしょうけれど・・・。外部からは何とでも言えますが、指導というのは難しいものですね。


興味深かったのは、周囲と噛み合っていない場面が多かった松井の意図を、長谷部選手が案外汲み取っていたように見えたところ。例えば、前方のスペースを視野に入れてボールを落ち着けている松井を見て前方に走り出したりとか。松井がボールを持った時の動き出しにイメージの共有が感じられたような。で、長谷部が上がったスペースを埋める為に松井は下がり目に移動したりとか。

とはいえ、この辺りが本人に由来する松井の起用が難しい理由で。ジーコ時代のウクライナ戦などもそうでしたが、周りに合わせた無難なプレイに終始する松井では、代表で起用してもちょっと物足りなかったりして。五輪代表時代の韓国戦(だったか?田中達也選手へのパスから最後にゴールを決めた試合)とか、気持ちがこもったプレイをもっと見せて欲しいものであります。具体的には、組み立てよりも、より決定的なチャンスメイクを希望する感じで。


相手が引き篭もっているとか、味方が多すぎたりとかでスペースが殆どない状況ならば別ですが、松井を活かすには、スペースのある状況で1対1を挑める環境をいかに作れるか、に掛かっていると思います。この辺りは、中村選手には理解されているみたいですが、もっと他の選手にも自分の持ち味をアピールして欲しいところ。少なくとも、「中盤ならどこでもやれる」とか言ってる場合ではないような。微妙なクレバーさがたまに惜しく感じられます。

とにかく、この選手はボールに触れたり良いプレイをしたりする事で自ら乗ってくる選手なので、まずは他の選手に上手く使って貰って気持ちよくプレイする事を目指して。周りのフォローは調子に乗って来てから、という感じで自分の中で順位付けをハッキリさせて、代表の為に頑張って欲しいものであります。

「何かを起こせる」選手である事は間違いないと思うので、何とかその能力をしっかり発揮できるような形で試合に出て欲しいものだと思うのでありました。


最後に蛇足ながら、代表についての印象をいくつか。

・個人の能力を発揮しきれない組織。問題は選手?監督?
・むやみに走り回るだけで評価されるのか?
・↑大久保は好きな選手ですし頑張りは認めますが、ちょっと疑問。
・守備の開始位置について意見の統一は?
・スタミナ不足。無駄走り、他の選手へのフォローが多すぎる?
・五輪代表が代が変わるたびにますます頼りなく思えるのは、自分が年を取ったから?



以上、今日はこれにて。
読んで頂いてありがとうございました。





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李志清作品

さて、毎月最低10ぐらいの記事は書きたいものだと思って始めたこのブログ。この密かな思いを表明するのはおそらく初めてですが、サボりまくった今月は果たして間に合うのか?とドキドキしながら本日4つ目の記事です。日付的には5つ目。ちなみに一つ前の記事は途中でうっかり「前に戻る」マウスジェスチャを起動してしまい、二度書きしたものです。時間がない時に限って弱り目に祟り目。


で、エントリーを増やしたいという思いとは裏腹に、まとめてレビューをしようと。李志清さんの漫画「三国志完結編」と「孫子の兵法」(いずれもMF文庫)について。


そもそもは、例によって本屋さんをうろついている時に「麻生太朗外務大臣創設、第一回国際漫画賞受賞作!」というあおり文句を見付けて何だかな~と思いつつ、孫子個人の知識が自分には乏しいと思い直して購入したものです。で、ついでに五丈原以降の知識も心もとないなと思って、「三国志完結編」も購入。


どちらにも言える事ですが、登場人物の描き分けが露骨でちょっと面白い。やたら格好良く描かれている人たちと、いかにもお坊ちゃん的な人とか。秦を説得して楚の再建に大きく貢献した申包胥辺りは、あんなに優柔不断で青白い文官風に描かなくても・・・なんて勝手に贔屓しながら読みました。


漫画は小説と比べて一コマで多くの情報を伝えられる反面、取り上げるエピソードをかなり厳選しないと分量が多くなりすぎる傾向があります。で、特に「三国志完結編」の方はそのマイナス面がそのまま出ていたかな、と。

諸葛亮が亡くなった後の三国については、ずっと昔に「完訳三国志」(だったか?)で読んだ程度で。それほど知識はないはずですが、さすがに知った話ばかりで残念でした。それから、ちょっと蜀に偏りすぎで、自分が知っている話の中でもせめて陸抗と羊祜のエピソードぐらいは加えて欲しかったような。

最近、小説に関して「編集」という点で疑問を覚える時があるのですが、漫画は小説以上に「編集」という要素が大事だな、なんて考えたり。昨今の漫画について、かつてジャンプの黄金期を支えた編集さん達にこっそり本音を伺ってみたいものであります。


「孫子の兵法」には巻末に「孫子の兵法、現代的活用法」が解説として加えられています。日本語訳と解説という形式で、具体例が分かりやす過ぎるきらいはありますが、漫画ともども入門という点では癖もないし良いのではないかと。ただ、漫画は揃えると結構な出費になるわけで、コスト・パフォーマンスという点ではどうなのかな?なんて思ったりする今日この頃であります。図書館などにあるのならば、それで読むのがベストなのかもしれませんね。


そんな感じで、今日はこれにて。果たしてあと一つ、間に合うのか?乞うご期待という事で。
読んで頂いてありがとうございました。




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理屈

最近、理屈について少し考えていました。


人に何かを伝える時。阿吽の呼吸とか、或いは身振りや感情などで言葉にせずとも伝わっているという状況が一番の理想なのでしょうけれど。より正確に詳しく伝えようと思えば、やはり言葉に頼らざるを得ないわけです。

で、言葉で伝えるためには理屈こそが必要で。脱線ばかりで焦点がぼやけた物言いや、話が飛び過ぎて相手に理解しにくい表現などはできる限り避けて、丁寧に理屈を並べるのが確実性では一番勝るわけですが。


とはいえ、理屈は使い勝手が良いかといえばそんな事は全くなくて。むしろ、話の途中で「理屈っぽい」と敬遠される可能性が高かったりするわけです。また、いくら理屈を並べたところで、相手に理解されなければ仕様がないという部分もあります。国語や小論文のテストでは満点の答案でも、相手が丁寧に読んでくれなければどうしようもないわけで。

更に、人間関係を考えれば(特に我が国では)物事を曖昧に処理する方が都合が良い事が多く。だから、理屈を並べつつも結論を断定しにくい傾向があります。これが更に書き手を悩ませ相手の理解を難しくするわけで。なかなか難しいものであります。


成長したい、という言葉をよく耳にします。が、自分を顧みると、高校を卒業した18の時から欠点というか悪い部分はあまり変わってなかったりして。頻度を減らす事はできても、完全に撲滅する事は難しいのだな、なんて同じ失敗をするたびに思ったりするのですが。

何か意見の対立があったり、意思の疎通がはかれていない時。やはり最初は言葉を交わして改善を図ります。しかし、どう客観的に考えてもこちらの意見が誤解されるばかりで、何度説明しても理解して貰えない時。しかも、間に入ってくれそうな人がいない時。

自分は、これでもそれなりに我慢強い方だと思っているので、すぐに怒りをあらわにせず、何とか自力で解決を試みます。そうした妙な責任感がもしかしたら問題なのかもしれませんが、上手くしこりのない形で事を収めようという思いとは裏腹に、相手に伝える言葉、或いは文章は複雑化の一途を辿り。ついには、英語で言うと関係代名詞やら条件節やら仮定法やらが大盤振る舞いという文章が出来上がって見事な失敗を迎えるわけです。そこに至るまでにさじを投げる(投げられる)事も最近は多く、そうなれば(それができれば)逆に助かったりするわけですが。

相手の事を考えて、この場合はこう、あの場合はこう、そうなったらこう、などと色んなパターンを考慮しつつ、一度で話が済むような文章(言い方)を志す事。それが逆に相手に更なる誤解をもたらし、余計に話がこじれる可能性が増えたりして。そんな時には、自分が積み上げてきた事(言語表現やら知識やら)が全て無駄だったような気すら覚えるわけで。なかなか辛いものであります。


かつて。考え事をしている時に、いちいち頭の中で全てを言語化するのは時間が掛かりすぎる気がして。自分の中で抽象的に理解できるものは言語化せず、考えを進めたほうが合理的だと考えて、少し意識的に訓練とかして。お陰で、一度に考えられる要素はかなり増えた気がするし、思考スピードも速くなった気がするのですが。アウトプットが追い付かないというのは盲点でした。

自分の中では諸要素の優先順位は何とか付けられるものの。だから、切羽詰って自分が独裁的に振る舞える時は問題にならないのですが。人に伝える必要がある時に、自分の中では曖昧で済ませられた要素を口にする必要がある場合、はるか先に行っている思考を一旦戻す必要があるわけで。時々、上手く喋れなくなったり、どもったり、絶句してしまう時すらありました。


文章を書く時と、会話をする時と。今となってはそのプロセスは殆ど同じで。頭の中で既に大枠は固まっていて、それをどう出すかという違いだけ。だから、話をしている時ですら「大した事じゃないんだけど」なんて前置きをしてしまい、逆に身構えられることもちらほらあったり。問題発言がさして問題にならなかった小中学生の頃とは違うので、程度の差こそあれ多くの人は同じ様な感じなのかもしれませんが。素直に思った事を口に出す前に、頭の中ではあれこれと考え事がスタートしてしまうのは、我ながらちょっと哀しいですね。


極端な話はさておき、やはりコミュニケーションとは難しいもので。時折、利害がハッキリしていたり仕事などできっちりとした契約関係にある人との方が気楽で良いかもしれない、とまで思う時もありますが。それでも、人と交わる楽しさは格別なわけで。こうして反省をしながら、改善を試みるのでありました。



以上、今日はこれにて。今日は、と言いながら頑張って記事を書き続けていますが。ともあれ。
読んで頂いてありがとうございました。



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4-2-3-1

ジャンルをサッカーにすべきか読書にすべきか。今回は杉山茂樹氏の「4-2-3-1」(光文社新書)について。手っ取り早くエントリーを増やすために新書のレビューを書いている側面も無きにしも非ずですが(苦笑)、色々と言いたい事がある一冊ではあります。

書店で見かけた当初は華麗にスルーしたのですが、システムについてもう少し体系的にきちんと知識を付けたい気持ちもあったのでダメもとで購入しました。


結論から言うと、悔しい事にまずまず役に立ちました。それもこれも自分の知識の貧弱さがなせる業であります。が、良い部分もあるけれど、悪い部分もそれ以上にある、というのが正直なところ。


良い部分は、まずはシステムに脚光を当てて具体例を多数引きながら一冊を書き上げたところ。それから、ある意味で著者の姿勢が一貫しているところ。故に、足りない知識を補ってシステムへの理解を深め、本書の内容に反論ができるようになって卒業する、という道筋が描ける辺りでしょうか。この著者がそこまでを意識して上梓したのならば大したものですが・・・。


悪い部分は、まずは文章そのもの。読者を見下した感がありありで、確かに著者の観戦暦などこれまでの積み重ねには敬意を払ってしかるべきですし、気分の問題ならばまだ良いのですが。その姿勢ゆえに、内容に発展性が損なわれているのが残念なところ。

それから、メディアリテラシーの問題。つまり、自分に都合の良いデータを並べ過ぎているところ。それはまず、具体例として取り上げる試合そのもの。それから、試合を決める要素を単純化しすぎているところ。たとえ1つでも、「サイドこそが試合を決める」という主張が失敗に終わった例を挙げていたら、それだけで随分印象が変わっていたのではないかと思ったり。

個人的には、繰り返し述べられる「一般のサッカーファン」の反応について大いに疑問で。「オシムになって初めて3バックにも色々ある事に気付いた」(引用ではなく要約ですが)などは首を傾げざるを得ない部分でした。それまでは週刊誌やスポーツ新聞の論調を「サッカーファンの意見」として採用していたわけで、それ自体にも疑問を覚えますが、ちょっとオシム監督を持ち上げすぎ(蛇足ながら、ラストの部分でヴェンゲル監督も持ち上げすぎ)かと。


話のついでに、自分は、ヤフーなどにスポーツ新聞が記事を提供して、時には全くの憶測に過ぎない記事(と呼ぶ事すら抵抗を覚えるもの)がトップページの見出しにまでなる現状に疑問を抱いて早幾年。故に、興味のある分野でも、配信元で判断して見出しより先には進まない事が多いのですが。酒の席などではそうした記事に基づいた話題が出たりして、何とも困った事であります。

で、話を戻して、そうしたスポーツ新聞の論調を「ミーハーなファンはこれだから」と見下すのは勝手ですが、マニアックな要素こそを礼賛して偉ぶる傾向は何とかならないものかと。この著者はサッカーを野球と比較して「スポーツとしては優位にある」が「一般の理解は乏しいまま」と思っておられるようですが、野球でもスポーツ新聞の論調は特に変わらず。それどころか、政治や経済についても変わらないわけで、何ともご苦労な事であります。少なくとも、サッカーに興味を持って自分で詳しく調べる意欲のある方々はここ数年でもかなり増えていて、理解の程度も多様化していて凄いものだと自分などは思うのですけどね。


だらだらと書き過ぎたので強引にまとめると。

本書は、何の知識も持たずに読むのは少々危険です。何だか最近ネットでレビューなどを読んでいるとどうも素直な方が多いというか、メディアリテラシーに頓着のない方が案外多い気がするので。まずはサッカーの大まかな歴史について、クライフ登場辺りから始めてサッキ以降は少し詳しく、癖のない文章で読んで知識を仕入れた上で本書を読まれるのが無難かと。で、本書の内容に反論を試みながら読破されるのが良いかなと、そんな感じで。


以上、読んで頂いてありがとうございました。
今日はこれにて。



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生物と無生物のあいだ

福岡伸一氏の「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書)を、遅ればせながら読みました。


本書がとても評判が良いという事は知っていたので、実は随分前に購入してはいたのですが。書き出しの辺りを読んでいて、少し「読ませる」事を意識しすぎでは?なんて思ってしまって、今まで放り出しておいたのが残念です。


本書は著者の体験談を交えながら、時に歴史を遡って有名な科学者たちの業績やエピソードに迫り、概ね公平な立場で、現代的な評価に立った描写をされています。こうした著者の立脚点というか姿勢に好感が持てました。

それから、オズワルド・エイブリー(1930年代)、ワトソン&クリック(1950年代)、著者の研究員時代(1980年代)と時代を転々としながらも、いずれも今それが起こっているかのような臨場性を感じさせる点も評価したいところ。


ただ、難癖を付けるわけではないですが、文章としては懲りすぎて空回り気味という印象は最後まで拭えませんでした。構成についても疑問で、特に各章のタイトルの付け方などは、内容の焦点をぼかすのに一役買っている感があります。この辺りは、新書という一般向けの入門書的な役割を求められる作品としてはマイナスかと。

内容については、意地悪な言い方をすれば、先に述べた「概ね公平」という事はイコール評価がほぼ定まっている有名な話に終始している、とも取れるわけで。故に、この分野で大学の専門課程以上に進まれている方には、正直物足りない印象を持たれるかもしれません。新書の内容が年々低下している事は著者に責任はないのでしょうけれど、それだからこそ余計に、高校生にも読めて専門の方が読んでも内容のある作品を志して欲しいものであります。


サイエンス・ライターという職種にはとても期待をしているので、そんな応援の意味も込めて、少し辛口に書きました。読者のバックグラウンドによって評価が割れそうな作品ですが、中高生が凝った文章の辺りは流し読みするぐらいの感覚で読むのならば間違いなくお奨めですし、社会人になってこの分野に興味を覚えた方にもお奨めできるかと。

個人的には、欠けている知識を本書を切っ掛けに体系的に埋めて行こうと思えた点で、有意義な一冊でありました。


以上、今日はこれにて。
読んで頂いてありがとうございました。


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決勝

という事で、既に一週間前の話ですが、せっかく観たのでたまにはきちんと戦評でも。
UEFAチャンピオンズ・リーグ決勝、マンチェスター・ユナイテッド(以下マンU or ユナイテッド)対チェルシーの一戦であります。



・試合前

両チームの先発メンバーが整列してCLのアンセムが流れるのですが、決勝のみ少し長めのバージョンになるのだとか。

正直に言うと、この曲は通して聴くと飽きてしまう部分があります。戴冠式アンセムを流用して作りました、といった感じですが、さすがに装飾過多で冗長すぎる気がしたり。とはいえ、ここで1分弱流れるこの曲には、単なる視聴者たる自分をも緊張させ興奮させるものがあって。やはり、この舞台が与える心理的効果には凄まじいものがありますね。そんな中で、選手たちはいかに平常心で戦えるか?

ちなみに、先発22人の中で決勝の舞台を経験しているのは、ファン・デル・サール(1995アヤックス)、エブラ(2004モナコ)、ハーグリーブス(2001バイエルン)、アシュリー・コール(2006アーセナル)、リカルド・カルバーリョ(2004ポルト)、マケレレ(2002レアル・マドリード)、バラック(2002レバークーゼン)辺り。ブラウン(1999マンU)もベンチ入りは経験済みだそうで、結構いるものですね。ざっと確認したつもりですが、もしも間違っていたら、文句はこの試合の実況・解説の方あてにお願いします(笑)。



・序盤

チェルシーは予想通りの4-1-4-1。唯一予想が割れそうな左サイドにはマルダを起用。右サイドバックはエッシェン。ただ、序盤はラインがかなり低いという印象でした。まず前半は失点を避け、攻撃はロングボールでカウンターというゲームプランなのでしょうけれど、あまりに引き篭もりすぎるのは逆に危険な気もするのが難しいところです。

マンUはあえて言えば4-4-2。中盤は中央にキャリックとスコールズ、右にハーグリーブスで左にロナウド。2トップは縦の関係で、守備の時にはテベスが中盤に下りるので4-5-1っぽくなったり。自慢の堅い守備からボールを奪うと、ロングボールを前線に当てて中盤に戻し、その間に全体的にラインを上げる形が印象的。自陣に近い位置でチェルシーの守備網に掛かるリスクを嫌ったのか、まずは中盤を省略した組み立てが多かったような気がしました。

そんな両チームの狙いはともかく、中盤の選手が前を向いてボールを扱える状況が多く生まれた事で、試合はユナイテッドのペースで進みます。そして、前半から試合が動きました。



・1-0(前半26分)

ユナイテッドから見て右サイド、相手の陣地内深めの位置からスローインをブラウンが入れてスコールズへ。
再びブラウン、スコールズとパスを交換してボールをキープ。
そして弧を描くように中央に回り込んだブラウンがフリーでボールを受ける。
落ち着いて遠めサイドにボールを送ると、フリーのロナウドが頭で合わせてユナイテッド先制!


スコールズが上手く相手をいなして絶妙のタイミングでボールを出したプレイが見事でした。

また、上からのアングルでリプレイがあったのですが、ゴール付近でのテベスの動きが面白かったです。
まずはボールのサイドに近付くものの、急に立ち止まって逆方向のエッシェンに向かうフェイクを入れる事で彼の動きを止め、その上で再びボール方向に走って中央のDFを自分に引き付ける。これで一瞬動きが遅れたエッシェンがロナウドに付き切れず、先制を許す事になりました。

エッシェンからすれば、一瞬の判断の遅れが致命傷になったわけですが、この辺りは本職のDFではない事(特に経験という点で)が影響したのかな、とか思ったり。



・前半その後

正確な時間は分かりませんが、低い位置取りだったチェルシー守備網が徐々にラインを上げて行ったような。ベンチからの指示があったのか、そもそも失点した事が原因なのか、その辺りを関係者に訊いてみたいところです。

目的としては、相手のポストプレイを邪魔する事と、中盤でのフィジカル勝負に持ち込む事でしょうか。とはいえ、前半の間は目立つほどの効果はなく、勝負は後半かと思ったロスタイム間近。試合が動きます。



・1-1(前半45分)

チェルシーの自陣内左サイドからのスローインをアシュリー・コールが入れてドログバに。
体を張ってキープしたボールをマルダに渡す。
マルダがドリブルで持ち込むも、少しボールが足元から離れたところでクリアされる。
しかし、こぼれ球をランパードが拾って横パス後に前線へ。
ボールを持ったエッシェンが遠目から思い切りよくシュート。
相手に当たって転々としたボールに素早く詰めたランパードが決めてチェルシー同点!


エッシェンの攻撃参加、ランパードの前への推進力などで、マンUの守備陣が背走させられる羽目になったのが致命的だったか。やはりシュートを打つのは大事だな、とか思ったり。打てば何かが起こるかもしれない、とはよく言われますが、その好例かと。そして勝負は後半へ。



・後半

もともとロナウドがあまり守備に戻らないので中盤で数的不利になりやすいユナイテッドですが、後半はエッシェンが頻繁に中盤中央に出て来たので、慢性的な人手不足に陥りました。ロナウドを放り出して攻撃に加わるその意欲に拍手。そしてエッシェンの動きを警戒すると右サイドが手薄になるわけで、ジョー・コール活躍の場面が到来。ルーニーがかなり低い位置まで下がって守備に加勢するものの、完全にチェルシーのペースになりました。

マンUとしては選手交替などで流れを変えたいところですが、延長の可能性もある以上は手札を残しておきたいわけで。とはいえ押し込まれる状況を打開すべく、後半30分頃にポジションを少し変更します。ハーグリーブスを中盤とディフェンスの間に置いて、右サイドにはルーニーを配した4-1-4-1。この変更の前からルーニーとテベスの縦関係は前半とは逆になる事が多かったのですが、完全にテベスの1トップという形にしました。

攻撃面では手詰まりなままでしたが、この変更で少し守備面での落ち着きを取り戻したユナイテッド。とはいえ、攻撃時にルーニーが中央へ→空いた右サイドにハーグリーブスが上がる→この時点でボールを奪われたら変更前と同じ形だったりするわけで。ついに抜本的な変更を決断しました。

後半42分、マンUは両チーム合わせて初めての交替を行います。鼻を打って血を流し呼吸が苦しい中で攻守に貢献していたスコールズを下げてギグスを投入。マンU史上最多出場記録を更新するベテランの投入で、改善を図ります。ギグスはトップ下の位置に入ってハーグリーブスは完全にセントラル・ハーフで固定。後半はかなり中央寄りだったロナウドに、左サイドで決定的な仕事をして欲しいというメッセージのような気もしつつ。勝負は延長戦に持ち越されました。



・延長~PK戦

怖れていた事がここで発生。要するに睡魔到来であります。試合が終わりかけた頃に出たレッドカードで、やっと目が覚めた感じでした。なので特に語れることはないのですが、両チームの足が止まる中でノーガードでの打ち合いっぽい展開だった模様です。しかし、開始60分で足を攣る選手が続出するとは、会場に問題があると言われても仕方がないような。。。

選手交替は、ユナイテッドが疲弊したルーニーに替えてナニ、チェルシーは運動量が求められる両サイドハーフを替えてカルーとアネルカを投入。最後に、PK戦に備えた交替を両チーム1名ずつ行いました。

PK戦については、運不運というかドラマというか。しかし、ベスト8の段階では優勝経験のないチームが5つもあったのに、ベスト4では1つに減り、そして結局チェルシーの初優勝はお預けとなりました。レバークーゼン、モナコ、アーセナル、そしてチェルシーと、1年おきに優勝経験のないチームが決勝に駒を進めていますが、結果はいずれも敗退。初優勝のためには相当な運というか勢いが必要なのだな、などと考えつつ。



・ポリバレント1

最後に選手について、少し気になった事を書いておきます。

最近は、複数のポジションをこなせるユーティリティな選手をポリバレントという表現で重宝する傾向があります。この2チームでも、本来は中盤の選手なのに場面に応じて右サイドバックに入るエッシェンやハーグリーブスはその典型でしょう。

とはいえ、ここで言いたいのは汎用性か専門性かという事ではなく。同じポジションでも場面やシステムに応じて複数の役割を求められる、という事を取り上げてみたいのであります。適当な用語を知らないので、狭い意味でのポリバレントという感じで捉えているのですが。「ポリバレント=ポジション移動」というシステム前提っぽい考え方へのアンチテーゼ、なんて大それた気持ちはないようなあるような。まぁ、結果が出てヒーローになれるのならばどちらでも良いのですけれど。


さて、キーパーのファン・デル・サールを見ていて、「やはり足元が上手いな」と思いました。現代サッカーではもはやキーパーといえどもゴールを防ぐだけで終わりではなく、リベロ的な動きを求められたり、或いは足元の技術を求められるわけで。特に、守備において相手選手に厳しい圧力を掛ける事が常態化している現状では、DFだけでなくキーパーが組み立てに参与できる事で得られるアドバンテージは大きいですね。

長い距離でも正確なパスを出したり、相手のFWがチェックに来る中でDF間でのボール回しに加わったり。この日のファン・デル・サールの足技は、書き留めておく価値のあるものでした。



・ポリバレント2

プチ・ポリバレントの2人目はルーニー。

実質1トップ状態のルーニーですが、そもそも1トップには求められる役割が多いわけで。楔のボールを受けたり、ボールをキープして味方の上がりを待ったり、時にはカウンターで得点を求められたり、スペースへの飛び出しを期待されたり。本当に挙げだせばキリがない状況で、これだけ巷で1トップ系のシステムが流行しているにも拘らず、それら全てを兼ね備えた選手は決して多くはありません。

しかし、ルーニーはそれらを高いレベルでこなせる上に、状況によってはサイドの守備に加勢したり、チャンスメイクまでやってのけるわけで。決して本格的なセンターフォワードとは言えない彼ですが(高いボールを競り合うのはやはり難しい)、その多くの事をこなせるセンスはやはり素晴らしいなと思ったのでした。



・勝手にMVP

120分では引き分けだったので、両チームから一人ずつ選ぶとして。

やはりそれは両チームのセンターバック、ヴィディッチとテリーを選びたいところです。テリーはPKを外したのは残念でしたが、そもそも彼がいなければ決められていた可能性が高い場面がいくつかあったわけで。それはヴィディッチも同じ事で、締まった試合の功労者として、勝手に表彰するものであります。



以上、長々と書いたので、今日はこれにて。
読んで頂いてありがとうございました。


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鹿男あをによし

今日は万城目学氏の「鹿男あをによし」(幻冬舎)について。


結論から言うと、評価としては5段階で☆2つぐらい。学生時代だったら文庫待ちで気が向けば買うかも、という程度で。ただ、個人的には色々と考えるきっかけにもなったし、決して嫌いではない作品です。でも、やっぱり、ぬるい。


1970年代後半の生まれで京都大学卒という森見登美彦氏と同じ様な経歴で、作品が京都や奈良を舞台にしている事。それに、何かの雑誌を立ち読みした時に、自分が読んで好印象だった作品と一緒に本書を推薦しておられる方がいた事。その他いくつかの要素があったので、書店で特に内容を確かめるでもなく一気に3冊購入。本書以外の「鴨川ホルモー」「ホルモー六景」については、また読んでから何か書くかもしれませんが。ちょっと早まったかな、とも思いつつ。


冒頭から大学内でのやり取り辺りでは、本書が実は青春ファンタジーだとは思わず。勝手に森見氏と比較しながら、体裁としてはこちらの方が一般受けしやすいのかも、などと思っていました(良くも悪くも、森見氏の方がオタク的ではあるので)。が、結局この辺りが作品で活かされる事はなく。逆に、肩入れをしたくない主人公、という印象を植え付けただけの様な。。。

主人公がダメ人間という設定はよく見掛けますが(昨日の舞姫も人間性としてはダメダメですし)、さすがに展開が都合良すぎる感じで。脇役の方がキャラが立つのも珍しくはないですが、もう少し主人公を何とかして欲しいとか。


ストーリー展開はほぼ予想通りでしたが、作者のロマンチストぶりが窺えるラスト・シーンも含め、嫌いではないです。ただ、それだったら巷に溢れているジュブナイル作品でも良いわけで。で、中学生向けのスニーカー文庫だとか、その辺りと比較して、ちょいと考えさせられました。

ジュブナイルを貶す意図は全くないのですが、やはり一般向けとなるとより一層の洗練を求めるわけです。ところが、作品の大枠はそれらとあまり変わらず。文体などについてもそこまで違いはなく。で、この作品では我が国の歴史やら言い伝えやらを設定として上手く取り込んでいるのですが、そうしたどちらかと言えば装飾的な部分が洗練されてもなぁ・・・なんて。

事前の期待が大きかっただけに評価が辛くなりがちですし、本書だけの問題ではないですが。作品の内容やら作品世界そのものではなく、より外面的な部分が重視されるのは、読者としてはちょっと残念です。しかも、それらの点でも本書が飛び抜けているわけではないのだし。。。


やはり、申し訳ないけれど、森見氏と比べると文章の上手さでもバックグラウンドの豊富さでも確実に劣ると言い切れてしまうのが哀しいところ。多分、実際にお会いすると普通にいい方なのでしょうし、だから余計に切ないのですが。


ともあれ、再三書いているように、決して嫌いではないです。それどころか、作者に共感を覚える部分すらあります。この作品の瑕疵について遠慮をするつもりは毛頭ないですが、今後この作者がどのように成長して行くのか、期待を込めて楽しみにしているという事で。


何だかまとまりませんが、今日はこんな感じで。
検索で辿り着かれた方には残念な感想でしょうが、読んで頂いてありがとうございました。


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舞姫

本屋さんに入って棚を眺めながらうろついていた時に、「現代語訳 舞姫」(ちくま文庫)がふと目に留まって。高校で習った方も多いでしょうから、原作が鴎外だとは言うまでもない事ですが、それを井上靖が訳したのだそうで。興味を惹かれて購入してみました。

しかし、自分が物を知らないだけなのかもしれませんが、本屋さんで散策していると色んな発見があるもので。吉行淳之介が好色一代男を訳していたり(中公文庫だったか?買っておけばよかったと今頃後悔)、どんな作品を選ぶか、という点には、作家の特質が赤裸々に出るだけに、興味深いものであります。


で、本作。

構成としては、まず最初に現代語訳があって、解説を挟んで原文があって、それから参考資料などがあるという形。作品を理解する上では親切な体裁になっています。

原文ではページの下に注釈などが載っていて、何だか国語の教科書を思い出すような懐かしい感じ。擬古文に慣れていない方でも、最初に現代語訳を読んでいるだけに、注釈付きなら読み切れるのではないでしょうか。

冒頭に位置する現代語訳は、原文の流れを極力損なわないように注意深く訳された感じ。それは、現代(平成20年)からすると少々芝居がかっているというか、違和感を感じる部分は確かにありますが、「原文の雰囲気を壊さず」「現代語として読みやすく訳されている」のだから、特に文句があるはずもなく。楽しく拝読いたしました。


以下、原文について。

自分はこの作品を読むのは三度目です。一度目は高校の授業で。二度目は数年後に確か岩波文庫で。そして今回です。

国語の授業は、当時は一つの作品を深く味わうよりは多読に惹かれるお年頃だった事もあって、全然覚えていません。おそらく、先生の話などそっちのけで教科書の別の作品を読んだりしていたのでしょう。今から思えば残念な上に失礼な事をしました。

二度目に読んだ時も、結局は自分の中で完結していて。特にそれ以上は解説なり他人の意見なりを求めたわけでもなく。

故に、今回初めて解説を読んで実感できたのですが、主人公の母親は「諫死」だったという指摘がとても興味深かったです。


解説でそれを拝見して、実は最初は違和感を覚えました。

主人公が免職され、帰国か否かを迫られる場面。猶予は一週間。その最中に、母からの手紙と母の死を伝える手紙が届きます。
ちなみに、青空文庫の森鴎外「舞姫」

諫死ならば主人公の名が官報に載った事が原因でしょうから、それから一週間でドイツまで自筆の手紙が届けられるものなのか?という常識的な疑問を感じたのであります。


当時の国際郵便事情を調べるほどの意欲はないので、事の真偽は判りません。が、その指摘を前提に原文を読んでいて思ったのは、「事の真相はどうであれ、たとえ自然死だったとしても、この主人公は諫死という実感を受けただろう」という事でした。「母の死は、決定的に自分に責任がある」と自覚したのだろうな、と。


そうした、当時のエリートを取り巻く厳しい環境に思いを馳せながら、原文も一気に読みました。

今更この作品について自分などが偉そうに言える事など何も無いわけですが、小説のストーリーとしては特に際立っているわけでもなく。多少の詰めの甘さすら感じる部分もあるわけですが、作品として重要なのはやはりそこではないのだな、などと考えていました。

つまり、ストーリーの奇抜さや斬新な構成なんてのは当時ですらとっくに出尽くしていて。書き手としてはそれ以外の部分で勝負を挑む事になるわけですが。作品自体について言えば、「深さ」。或いは「発展性」とでも表現すべき要素でしょうか。そして、作家としては「意志の強さ」になるのかな、と。


思っていたより長くなってしまったので、そろそろまとめます。現代語訳という敷居の低い入り口を作った事で、授業の場以外でも本作に親しむ方が増えてくれる事を願いつつ。今日はこれにて。

読んで頂いてありがとうございました。



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近況

さぼり癖がついてしまったというのもあるし、時間を作れないというのもあるけれど。今月になって更新が滞っているのは、どういう記事を書こうかと悩んでいる部分が大きかったりします。

つまり、ブログを始めて色々と試みて、やはり自分に合っているのは「それなりの内容の記事をこまめに更新する」よりも、「頻度は落ちても書く時には自分なりに納得のいく内容の記事を書く」事だと思うわけで。


その場合、問題点としては、
・読んで頂く方に優しくない小難しい記事が増える
・書くのに時間が掛かる
・自分の未熟さを露呈する事が多く、嫌になる
・自分のより内面的な部分をさらけ出す機会が増える
・個人的な過去の話などにも触れる機会が増えそう
辺りでしょうか。

最初の点については何とか書き方を工夫するとして。2つ目と3つ目についても何とか工面するとして。結局は最後の2つが問題なのですが。

平たく言えば、「そこまで公開できるほどネット社会を信じていない」→「けれども、最近書きたい事は公開したくない事との関係性が強く、言及しないわけにはいかない」→「さて、どちらを取るか?」といった感じで。


根本的なところとしては、最近は少し考える事が多いのが原因でしょうか。例えば本を読んだり音楽を聴いたりテレビを見たりといった娯楽に属する事をしている時にも、それらを自分の考え事に結び付けてしまうわけで。となると、感想を書くとしても「自分」に関係するものが多くなってしまうと。なかなか難しいものであります。


そんな中で、前回のエントリーは200回記念という事もあってエンタメに走ってみたわけですが。

一応は、書き出す前にアイディアをどう活かすべきかと風呂場辺りで検討した上で書き始めたものの。検討なしでアイディアだけを手掛かりにPCの前でヨーイドンと書き始めるのと、さほど変わらないというか。逆に、悩む前にとにかく書いてみる、というやり方のほうが良さそうな気もして。そんな感じで、前提条件が揺らいでしまって更に悩みが深くなる昨今であります。


あとは、思い付いた時点で満足してしまって、それをわざわざ読める形にまとめるのが面倒になって来た、という生来のものぐさ体質もあるのですが。

ただ、過去のエントリーなどを読み返してみると、やはり面白かったりするわけで。訪問頂いている方がどのような感想を抱かれているかは分かりませんが、記録・継続の重要性を鑑みると、サボり過ぎは良くないなぁ、とか考えたり。


まぁ、結論としては。確かに書きにくい部分はあるものの。これまで1年弱続けてきた事を止めてしまうのも勿体ないので、何とか3日に1エントリーぐらいの頻度は保てるように。時には「書きたい事を書く」よりも「書くために書く」というか、「継続の為に書く」のも必要だと思うので。駄文をまた書き続けて行こうと思っております。

それと同時に、自分の実力というか理解度というか、そうしたものを測る為にも、普段よりは時間を掛けた記事も書いていきたいなと思っています。とりあえず、最初はCL決勝について、どこまで書けるか挑戦してみるつもり。(なので、未だにハイライトやらネット上の戦評やらを拝見できない身の上なのです。。)

ともあれ、不束者ですが、今度とも宜しくお願い致します。


最後に、ブログペットについて。日記はさすがにパターンを読み切れた気がするので、以後は記録する気はありませんが。叩くと面白い事を言ってくれるのは健在ですので、皆様宜しければかわいがって(相撲用語?)あげて下さいませ。



以上、読んで頂いてありがとうございました。
今日はこれにて。


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ペラペラ

某日、某所、夕暮れ時。。。


甲「さっきな、そこで外人さんと話しててんけど」
乙「ん」
甲「なんか、映画村に行きたいとか」
乙「はぁ」
甲「でも、行き方が分からん、と」
乙「ほぉ」
甲「で、どないしたもんかな、と」
乙「ふむ」

甲「・・・なんか、リアクション乏しいな」
乙「んなことないで」
甲「そうか?」
乙「そうそう、ある意味豊富やで」
甲「・・・ま、いいんやけどな」

乙「でも、もう閉まってるんちゃうの?」
甲「そやねん」
乙「こんな時間から行かんでもええのにな」
甲「そやねん!」
乙「てか、映画村ってここから行きにくいやん」
甲「そやねん!!」
乙「一本で行かれへんから、乗り換えとかメンドイし」
甲「そやねん!!!」

乙「・・・なんか、リアクションはええんやけど」
甲「そう?」
乙「いや、あまりに語彙が貧弱ちゃうか?」
甲「呉懿は貧弱ちゃうで」
乙「んな、マニアックな事を言わんでも」
甲「じゃあ、呉蘭とどっちが上やと思う?」
乙「んな、マニアックな事を訊かんでも」
甲「でも、通じてるやん」
乙「たまに、分かってまう自分が嫌になるわ」
甲「ま、そう言わんと、ご飯でも食べて機嫌を・・・って呉班か」
乙「・・・(無視)」

甲「ごほん」
乙「ん」
甲「んでな」
乙「ん?」
甲「外人さんに説明したってんけど」
乙「英語で?」
甲「オフコース」
乙「凄いやん」
甲「まあ、大した事は言うてないんやけど」
乙「いや、でも、無理やわ・・・なんて言うたん?」
甲「え?」
乙「いや、英語で・・・」
甲「うん」
乙「今から行っても閉まってるで、とか?」
甲「そうそう」
乙「どう言うたん?」
甲「いや・・・トゥー・レイト」
乙「・・・」
甲「・・・」
乙「間違ってはないな」
甲「必要十分やろ?」

乙「んじゃ、こっからやと乗り換えとか複雑で面倒なんやけど、って?」
甲「え?」
乙「それは言うてないん?」
甲「いや、ちゃんと言うたげたで」
乙「なんて?」
甲「いや、英語で」
乙「いや、だから、なんて?」
甲「・・・トゥー・ファー」
乙「・・・」
甲「・・・」
乙「ご飯行こか」


平和な雰囲気のままに、今日はこれにて。
読んで頂いてありがとうございました。



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