歴史的雑談4〜6/13の天王山

既に日付は過ぎていますが、タイトルにあるように6/13と天王山という組み合わせから連想した話を、せっかくなので以下で書き留めておきます。なお、きちんと確認したわけではないですが、以下の日付は全て旧暦のはずで、つまり実際の季節は今から一月ほど後になると思われます。しかし、ここ数日の真夏のような気候を考えると、一月のずれなど考慮する必要は無いのかもしれません。。(苦笑)


■山崎の合戦

時は1582(天正10)年6月13日。本能寺の変によって畿内の情勢が一変した中で、いち早く軍を返した羽柴秀吉は亡き信長の三男・信孝らを名目上の総大将に据えて、明智光秀(正確には、この時の苗字は惟任ですが、ややこしい話になるので略)に決戦を挑みます。

かつての講談などでは、両軍が天王山の占拠を目指して競い合い、先に頂上に至った秀吉軍が山頂から射撃を加えた事が勝利の要因になったと語られていました。しかしながら、天王山から激戦地となった西国街道と円明寺川(現在の小泉川)の交差地点までは距離があり、とても戦いの帰趨を決するような場所ではなかったと、現在では考えられています。

西国街道と淀川の間には当時、広い沼があって軍が通過できず、明智軍は街道沿いの狭い場所を塞ぐように布陣していて、両軍は膠着状態に陥ります。しかし、沼と淀川との間のより狭い道を池田隊が抜いて明智軍を横から攻撃した事が決定打となって、戦は秀吉軍の勝利に終わりました。


ちなみに以下は蛇足ですが、山崎+砲撃から連想するのは1868(慶応4)年1月6日。戊辰戦争の初戦となった鳥羽・伏見の戦いで、旧幕府軍は敗退を重ねこの地まで撤退します。淀川の合流地点の両岸には、西洋列強が大阪湾から軍艦を京に向けて進撃させた際に防ぐべく、二つの砲台が築かれていました。西岸が高島砲台、東岸が樟葉砲台で、皮肉な事にその建造の理由とは全く逆に、北から迫る錦の御旗を持った新政府軍を防ぐ事になります。しかし高島砲台の藤堂隊が寝返り、両軍は川を挟んだ砲撃戦を展開した後に、支えきれなくなった旧幕府軍は主君・慶喜の居る大坂城に向けて、秩序なき撤退に至るのでした。橋本の戦いです。なお、慶喜が僅かな近臣と共に密かに城を抜け出し、海路江戸へと撤退したのは、この日の深夜の事でした。


■ジョーン・モドの戦い

時は下って1696(元禄9)年6月13日。在位35年目のこの年、清の康煕帝は宿敵ガルダンを叩くべく、親征を決意します。軍を三隊に分け中軍を率いてゴビ砂漠を北上した康煕帝は、東軍の撤退、西軍の遅延、食料の不足といった状況の悪化に苦しみながらもガルダンに迫り、皇帝自らの出陣を知ってパニックに陥ったガルダン軍は、西へ向けて逃走しました。ガルダンに大打撃を与えるこの絶好の機会を、清軍は逃す事になるのか?食糧不足ゆえの撤退を覚悟した康煕帝のもとに、ついに西軍到着の報が届きます。

ガルダン軍を、テレルジ川とトール川の合流地点に誘導する事に成功した清の西軍は、既に日暮れ近くなったので布陣だけで戦闘は翌日に延ばす予定だったそうです。しかし、付近にある小山の重要性に気付いた将軍が総大将に具申して、一刻も早い占領を目指した作戦が始まります。彼らが頂上に着いた時、敵軍もさるもの山の中腹まで到達していて、この迅速な決断と行動がなければ戦いはどうなっていたか分かりません。

翌日を待たず山の取り合いで激戦となったこの日、山頂からの砲撃で優位に立つ清軍に対し、死に物狂いのガルダン軍も一歩も引かず、勝負は膠着状態のまま負傷者だけが増えていきます。勝負を決したのは、ガルダン軍の後方に配置していた家畜や家族を、清軍の伏兵が攻撃して相手を混乱に陥れた事でした。ガルダン自身は后の身代わりなどで何とか逃れたものの昔日の勢力には程遠く、翌年にこの世を去ります。


蛇足ながら、小山からの砲撃でまず連想するのは、かの203高地でしょうね。結果的には、この丘陵をめぐる戦いの中でロシア軍の人的・物質的な戦力が枯渇し、当初の目的であったこの場所からの砲撃の効果は微少だったそうですが、この辺りは結果論なので深入りは避けたいと思います。

また、ジョーン・モドでは高地を占領するのは兵法の基本と言って指揮官を説得したそうですが、地形によっては味方との連携を断たれて孤立する可能性もあるわけで、そのケースで有名なのが三国時代の馬謖でしょうね。彼の行動が蜀全軍の撤退に繋がり、敗戦の責任を問われた彼は死罪、総大将たる諸葛亮も丞相からの降格という形で責任を示したのでした。


■おしまい

後半の文章を書くにあたって参考にしたのは、岡田英弘「康煕帝の手紙」(中公新書)です。先日「個人的中公新書ベスト5」というまとめを教えて貰って、自分でも少し考えていました。その際に本書を、ベストと言うと少し違う気がするものの自分にとって懐かしい一冊だったなと思い出したので、そして日付としても偶然いいタイミングだったので、こうした文章を書いてみたのでした。なお、最終的に自分が選んだのは、高坂正尭「国際政治」(108)、河合隼雄「無意識の構造」(481)、岡田英弘「康煕帝の手紙」(559)、源了円「徳川思想小史」(312)、北島正元「徳川家康」(17)、の5冊です。

残念ながら本書の新書版は新刊で入手できず、今年になって内容を大幅にリニューアルして発売されたものはお値段¥3,990と気軽に手に取れるものではありませんが、戦闘に向かう康煕帝の心情に寄り添いながら読み進める本書は歴史好きの中高生男子などに是非お勧めしたい作品で、今後の文庫化あるいは新書化に期待して、この文章を捧げたいと思います。


以上、今日はこれにて。

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歴史的雑談3〜読史余論

年内に何か書こうかと考えた時に、今年亡くなられた方の話とか読んだ本の話とか、久しく放置している音楽の話とかスポーツの話とか、色々な選択肢を考えていると、ふと今回は読んだ本の中で毛色の違うものについて書いてみるかと思い立ったので、表題の件について。なお、毛色の違いとは、今年発売でも話題になったわけでもなく、自分としてもまさか読むとは思わなかった…という意外感が一番大きな作品という意味です。


さて、新井白石の「読史余論」(岩波文庫)をなぜ読む事になったのかというと全くの偶然からなのですが、読み始めの数ページは後悔が先に立っていました。何しろ、旧かな旧漢字は勿論ですが、2〜3行にわたって漢文が続く事も珍しくない状態でございまして。しかも、我が貧弱な漢文知識を思い出す限り、返り点の付け方が間違っているように思える箇所もちらほら散見され。。。果たして読了までにどれくらい時間が掛かるのやら?と、早々に投げ出しても不思議ではなかったのですが、案外に慣れるものだなぁというのがまた不思議な事でした。

その辺りの要因として考えられるのは、なんと言っても同じ日本語だという事、そして歴史に関する基礎知識がそれなりにあった事も読み進む上では手助けになりました。とはいえ、一番大きいのは解らない箇所はさっさと飛ばすという手抜き大好きの性格だったような気もしますが、その省エネ主義をあざ笑うかのように、講談社学術文庫から先月、現代語訳が出たのは哀しかったです。。。

ただ、件の現代語訳は第一巻の総論以外を収録しておらず、これはもともとの構成的に二巻と重なる部分がある故の決断だと思うのですが、そのカットされた部分にも面白い描写が幾つかあったので、以下で二点ほど取り上げてみたいと思います。


■頼朝の弟とか、やってられんよねという話

文中で白石は義経の赤心を繰り返し取り上げ、頼朝がいかに小心者で野心家だったかを訴えていました。そして、「頼朝がごときものの弟たらむ事、最難しとこそいふべけれ。」(p.73)という結論に至るわけですが。面白いのは、延々と義経を語っていたのに、その結論の直前に配された一文が義経の話ではない事。唐突に、「範頼ですら殺されちゃったんだから」という話になっているのが楽しいところ。案外これが本音なんだろうな、と。

この他にも、本書は歴代天皇の即位や摂関の就任を時系列に紹介しているのですが、鎌倉時代に入って「この先は摂関をいちいち書く意味もないよね」とぼそっと書かれていたり、白石の根が真面目な苦労人という性格がそのまま出ている記述が幾つかあって面白いです。

で、話を戻して義経について。例えば、孔子が尊敬した周公旦は兄の死後その遺児を助け、自らが簒奪する事は無かったという話ですが、一方で周囲の警戒感も半端ではなかったらしく。つまり、結果が確定している現在から遡って礼賛する事も、それを現実に当てはめる事も違うのではないかと思うわけで。義経の真心は…という話は小説や講談のネタとしては良いですが、実際のところは難しい気がします。

現実的に考えると、三種の神器を揃って奪還できなかった事は政治的に致命傷ですし、そもそも政治的な資質としては頼朝はもちろん後の足利尊氏にも遙かに及ばないわけで。仮に頼朝が早死にする事態になったとしても義経に我が子を託せるかというと疑問で、しかし武功はとてつもなく大きいと来ると、頼朝でなくても抹殺を考えるだろうなと。白石は頼朝が弟・叔父・従兄弟など一族8人を殺害したと書いていますしそれは事実ですが、人数の多さは頼朝の権力の大きさ故とも考えられますし、所領争いなどが原因で一族で殺し合う事が珍しくなかった当時では、範頼はともかく義経が寿命を全うするのは難しいだろうなぁと。

また、北条政子が仮名で貞観政要を発行させた事を考えると、古代中国諸王朝の歴史は武家の間でも基礎教養となっていたはずで。つまり、唐の太宗が兄の皇太子を殺害して即位した事、太宗を皇太子と競えるほどの地位に押し上げたのは彼の武功によるところが大きい事、そもそも父の高祖李淵が挙兵した当時は兄弟仲はいたって円満だった事、などはよく知られていただろうなと。更に、隋の煬帝も同様に、武功抜群で兄の皇太子を追い落として即位した事。その隋に取って代わられた北周でも事実上の王朝創始者である宇文泰の死後、遺児が即位はしたものの現実には甥の宇文護の独裁状態で、従兄弟達の廃位・殺害を繰り返した事を考えると、田舎の武士が教養に接して、果たして同族間の争いを自重しただろうか?といった疑問が出て来て興味深いですね。

で、話が散漫になりつつあるので、次。


■以仁親王という表記とその高評価の話

こちらは少し解らなかった点。確かに頼朝の挙兵に正当性を与えたのは以仁王の令旨ですし、挙兵後しばらくは王が存命で頼朝が匿っているかのようなはったりもありましたが、三善康信など中央とのパイプは挙兵当初から維持されていて、最終的には寿永二(1183)年十月宣旨で後白河院との手打ちが確定していますし。将門の二の舞を避けつつ半独立を公式に認めさせたい頼朝と、おそらくは安史の乱後に唐朝が河朔三鎮に対したのと同じ意識だったろう後白河が手打ちをしたこの時点で、一応は義仲が健在とはいえ以仁王の立場はほぼ謀反人として確定したと言って良いような気がするのですが。。

そもそも中央における以仁王挙兵の受け止め方は後白河〜高倉院政に対する明確な簒奪者という理解だったのでしょうし、それ以前に親王宣下すら得られていないわけで。王の挙兵を受けて皇籍剥奪が決定されましたが、九条兼実は「玉葉」の中でごく普通に、彼らしい見下しぶりが透けて見える書き方で、以仁王を源某と呼んでいますし。

にもかかわらず、白石は以仁王を正統と考え、後鳥羽践祚の時点で王の遺児をこそ即位させるべきだったと書いています。その後の展開を考えても、こうした朝廷の姿勢が変化しているとは思えず、いかに武家政権を開いた頼朝挙兵の発端だったとはいえ、以仁王を正統とする白石の評価は不思議な気がしました。もしかすると、愚管抄や神皇正統記との一番の違いはこの点なのかもしれず、もう少し考えてみたい疑問なのでした。


■おしまい

歴史はやっぱり楽しいものですね。という結論で、今日はこれにて。

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教育について、補足

昨日は途中で凄まじい眠気にやる気を根こそぎ奪われて、少し言い足りない部分もあったので、軽く補足でも書いておきます。



■上の世代からの反論

「上がしっかりして欲しい」という意見に対してよく言われるのは、例えばこんな感じでしょうか。
・下の世代の基礎がなっていないから、あるいは教えを請う態度とは思えないから、詳しく話をしてあげたいという気持ちにならない。
・教養(社会に出た後でも専門以外の勉強を続ける、ぐらいの意味で)を磨いても周囲で話の種にならず、仕事の上でも役に立つ事がない。
・教養が深い方々ほど、現在の有識者層に参入するインセンティブが無い。あるいは参加をしても程なく絶望して海外に旅立つ事が多い。

これらは一々その通りなので頭が痛いところですが、根本的な問題として、社会が大卒後の教養レベルを維持できるような空気になっていないのは確かですよね。例えば院卒は勿論大卒でも、自身が専攻した専門分野に関するテレビ番組(民放除く)や雑誌(比較的高級な)の特集を見て憤慨する方々は日常茶飯事ですし。これはつまり、一般向けの平易な解説と内容の深さは矛盾しないはずなのに、一般向け=内容は浅く→専門家が見れば不適当な説明が続々登場…というパターンになりがちで、助言能力に欠ける専門家・理解の足りない作成側・そのまま消費する一般層で三すくみとなって改善しようのない状況が出来上がっているので如何ともし難い現状ですが。。底の深い問題ほど、ある日突然あっさり解決するものでもあるので、それを気長に待つ事にして次の話題へ。



■高等教育の目標

昨日の文中で「見本となる先人+刺激し合える同窓が全て」といった事を書いたのですが、上位構造に言及するのを忘れていたのでそれについて。つまり高等教育の目標ですが、「卒業後も必要を認めた時には独学ができるだけの自発的な意志と、それを実行できる能力を培う事」で必要充分だと個人的には思っています。それさえ身につければ、専門知識ゼロでも卒業させて構わないのではないかとさえ思っていたりして。もちろん実際には全ての専門領域において習得すべき知識が年々増え続けており、それらをマスターするだけで手一杯という事が多いのがまた難しいところですが、それは見なかった事にして…(笑)。

前半の意思を育むのが、昨日書いた先人と同窓ではないかなと思います。学び続ける意思というと何だか大層に聞こえますが、結局は学びの楽しさを体験する事なんですよね。で、その対象は高尚なものに限らず、別にお下劣なものであっても良いと思うわけで。ただ、そうした楽しさを多く体験している他者と接する事でのみ意思を保てるのがおそらく大多数で、その手の外的刺激が無くても意思を継続できる天才には一切の対策は不要ですが、特に隙あらばサボりたい自分のような連中にとっては必須だろうなと。

また、後半の能力=教えるべき内容となりますが、例えば辞書の調べ方やノートのまとめ方などでしょうか。つまり大学受験にしろ各種資格試験にしろ、それらの勉強の秘訣は「過去問をひたすら解く」になるわけですが、それとは違った勉強法を身につける事というか。具体的な到達点としては、勉強をしながら自分で問題を見出す事が出来る程度で良いと思っていますが、案外にこのレベルをクリアできている卒業生って少ない気がするんですよね。。



■おしまい

何となく二夜に亘って書き殴ってみましたが、おそらく書き忘れているテーマも沢山あり、話は尽きないですね。

結局、教育についてはそれを受ける個々人の差が大きく影響するだけに、一様な方法を見出しにくい傾向があります。ゆえに個人的には全国一律の教育よりは、地域ごと・住民ごとに各々の状況に応じて立案・選択できる方が望ましい気がするのですが、地域にしろ家庭にしろそれを引き受けられるだけの余裕がなかなか持てないのが残念なところで。。

かつての寺子屋教育や藩校などはどうやっていたのだろう?なんて思ったりもしますが、まぁ広い範囲の話をしても八方塞がりに陥りやすい上に世の中を変えられるわけでもないのでさて置いて。とりあえずは、自身と身の回りの教育環境を考えて、何かの勘違いからそれに良い風に影響される方々が出て来るのであれば、名もなき一個人としては上出来だろうなぁ…といった結論でしょうかね。

いまいち締まりませんが、そんな感じで今日はこれにて。

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教育関連の雑記

教養って結局、何なんだろう?という話を昨日していて面白かったので、今日は何となく教育絡みの話を殴り書きしてみます。取り上げるテーマとしては、寄付金とか学力とか秋入学とか大学の生き残りとか英語とか、その辺り。ただ、深く考えて書くというよりは、今年に入ってちらほらと話題になっていた事について、とりあえずまとめておく感じですので、興味を惹かれた方はお気軽に反応を頂けると嬉しいです。

では、スタート。



■寄付金の話

先週だったか、iPS細胞で有名な京大の山中教授が、京都マラソン完走を宣言して研究への寄付を呼びかけているというニュースがありました。政権交代による事業仕分けで研究費が削減された影響もあり、大学では2009年から年間5億円を目標に寄付を募っていたそうですが、現在のところ3年で3億円にすぎないのだとか。

とりあえず思うのは、国内トップクラスの研究で一般にも広く知られているという恵まれた状況の山中先生でも資金集めが難しいという現状は厳しいなぁ…と。国立大学が独立行政法人になって以来、地方大学が厳しいのは勿論、有名大学ですら文系や一部理系の研究費が雀の涙なのは周知の事実ですが、せめて最高峰の研究室ぐらいは末端が心底から羨むほどの環境を誇って欲しいものですが。。

これに対する反応として、例えば研究者なら自分で費用を獲得しろよという意見もあると思いますが、特に米国を念頭において考えると彼我の寄付を巡る環境の違いがあるわけで。特に企業やOBとの関係性という点では我が国に独特な伝統もあって、当事者はお互いに言いたい事があるとは思いますが、いずれにせよ状況が劇的に変化するとは思えず。特に、現在のような不況ではお上からの分配金の影響がどうしても大きくなるわけで、しかし今の政権では期待を寄せるだけ無駄なのはこの2年で充分に判りきっている話ですし、困った事だなぁと。

一応の希望としては、かつてオバマ大統領誕生の際にネットでの資金集めが話題になりましたが、個人による寄付の習慣が根付きにくい我が国でもITなどインフラの発達によって敷居が低くなりつつある現状を利用する事ぐらいでしょうか。上記の話がまさにそれですが、しかし手軽さという点でまだまだ改善の余地があり、有名な研究にお金が集まるだけで多くの無名の研究が潤わないのも自明なので、その辺りを何とか出来ないものかなぁ…と思いつつ。袋小路に陥って出られなさそうなので次の話題に行きましょう。



■学力の話

これも最近だったか、大学生の学力テストの結果が云々というニュースがありました。聞くところによると、任意の偶数と奇数を足すと必ず奇数になるという証明→「(2m)+(2n+1)=2(m+n)+1」が三割しかできなかったという話ですが、これも難しい話だなぁ…と。ちなみにこの問題ですが、実質的には数学の解法を問う問題というよりは暗記問題ですよね、というのも微妙に気になるところだったり。

さて、大学生という存在を社会でどう定義するかは時代によって変わって来ると思いますが、例えば戦前生まれの方々が大学生だった頃の学力と比べると、我々の大多数は大学生の頃そのレベルに及んでいなかった気がします。(そういえば蛇足ながら数年前の事、とある団体の名簿を見る機会があって、最古参の方々の経歴が「○○帝国大学卒」となっていたのですが、あれは重みが違ったなぁ…とか思い出したり。)まあ、低レベルの手前と一緒にすんなと言われれば謝りますが(苦笑)、豊かになって大学進学率が増えるほどに平均のレベルが低下するのは当たり前だと思うわけで。

そこで社会が大学生に求める学力水準が問題になるわけですが、等しく全員に高等教育(これの定義も問題ですが、差し当たっては大卒レベル)を修めさせるのは無謀でしょう。例えば、世界でもトップレベルの専門家を育てるための教育と、国民の平均的な知的水準を底上げする為の教育ぐらいは分離して考えるべきかなと思うわけで。そして問題は、前者は上記の寄付の話でも分かるように育った人材が国内で報われる未来を提示できていない事。後者については、それを目標とした教育プログラムが、特に6・3・3・4全体を俯瞰した上での教育方針が議論されていない事ではないかなと。ついでにもう少し厳しい事を言うと、こうした議論をリードする有識者の方々が自身の大学在学中の成績や昨今の発言から推察される現状の知的レベルを棚に上げて、下の世代に多くを求め過ぎる議論はどうなのかな?とも。

いわゆる勉強ができない生徒たちに対する案としては、現場に介入するような細かな意見や、やればできる的な空論を除けば、さっさと働かせろという類の暴論しか出ていない気がします。性急に結果を求めて近視眼的に無駄を排除しようとする議論が昨今の流行りですが、個人的には。結果的に単なるモラトリアム期間の延長にしかならないとしても、若い世代が社会に出るまでの年月は長い方が良いと思っていますので、大学進学率や成人年齢は下がって欲しくないなと考えています。

この流れで教育論などに発展させると話が広がり過ぎるので自粛しますが、自分は教育の要諦=見本となる先人+刺激し合える同窓が全てだと思っているので余計に、下らない議論しか出来ていないのに偉そうに教育を語る方々は…などと、自覚があるのと世間への影響力が皆無という違いを除けば(苦笑)自分と同じ穴の狢であるところの方々を責めたくなる今日この頃なのでした。と強引にまとめて、次。



■秋入学の話

秋入学についてはどちらでも良いというか、何とでも対処できそうな話で。マイナーチェンジで対応できる話を、何故に大事にしてシステム全体を変更しようとするのかなぁ?というのが正直なところだったりして。少なくとも「みんなでやろうぜ」という話ではなく、秋入学を売りにして海外志向の学生を集める大学もあれば、小中高からの流れのまま春入学で大学生活に入れる点を売りにする国内重視の大学もあって良いのではないかなぁ…と。

国内外の他大学と変わらない教育システムで一律に勝負をするよりは、大学ごとに独自性を維持した方が学生&社会への効果が高いのではないかなと個人的には思います。特に海外の大学を意識した改革については、「日本の大学を選ぶ必然性」が更に低下するリスクが馬鹿にならないだろうと。一方で、自分と同様に海外の基準に全てを合わせる必要はないと主張して反対する方々の中には、単に楽をしたいだけではないかと邪推したくなるような方々もおられまして、この辺りが難しいところ。何もせず今のままでという意見には自分は反対で、何らかの改善がなされるべきという点では秋入学導入賛成派と意見が一致するんですよね。。その上で、改善の方向性や手段などは多様化した方が良いと思っているわけで。

なお、多様性の話については、すっかりブームが下火になった感のあるサンデル教授も話題にしていたので省略(参考)。ちなみに先日NHKで放送していたものを途中から観たのですが、ゲストの方々の発言が酷くて哀しくなりまして。衛星中継で番組に参加していた日米中の学生たちは普通に考えると幾つかの課題図書を読了した上で議論に臨んでいるはずですが、それをゲストにも課すべきだよなぁ…といった感想を書くのはいい加減に脱線が過ぎるのでこの程度で。



■大学の生き残りの話

例えば、地方の大学など学生の学力レベルも低く研究でもろくなものが無い大学はどんどん潰してしまえという意見があります。これには半ば同意したい気持ちもあるのは確かですが、上記の教育の底上げという話や多様性の話を考えると、単に潰してしまうよりは存在を利用する方が良いのではないかなと思います。

具体的には大学生世代の底上げに加えて、少なくとも社会人教育の役割ぐらいは取り入れた形での改善があると良いなぁと思いつつ。少し飽きて来たのでこの話はこれで(苦笑)。



■英語の話

英語教育も難しいテーマですが、どの程度までマスターするかという程度問題なのが現実でしょうし、個々人の必要に応じて、場合によっては英語の勉強を放棄する選択肢もありなのではないかなと思ったりもします。ただ、英語が苦手な研究者としては益川先生の例がありますが、とはいえ専門分野の論文などは普通に読めるレベルでしょうし、高等教育という点では必須なのも間違いないところ。要は教育目標を絞り込みにくいのが厄介なところで、単純な苦手意識や日本語が廃れる等の極論から反対する意見も問題ですし、小説の読解や流暢な日常会話を目標にするのは疑問だし、専門的な文章の読み書き能力を求めるならば従前の文法重視の教育を部分的に改善する程度で良い気もするし、教える側としては頭が痛いテーマだろうなぁ…と。

また、楽天が社内でのやり取りを英語にするという話が去年だったか出ていましたが、あれも会社の方向性を見据えての決定なのだから部外者がとやかく言う事でもないですし。会話は経験と度胸でそれなりに出来るようになるけれども、話の内容や思考力が伴わないと意味がない…というのは正論ですが、さりとて全員が全員、論理的思考や応用力などを高いレベルで獲得できるわけでもなく。結局は得意分野をそれぞれ磨いて補い合おうぜってな結論にしかなりそうにない気がしたりして。ええ、すみません、飽きて来ました(苦笑)。



■まとめ

という事で予想通りに乱雑な内容にしかなりませんでしたが、端的にまとめると、「上がしっかりして欲しい」に尽きるんですよね。教育の問題は大学生までを対象にして社会人は除外されている気がするのですが、卒業後も学び続けて後進に自ら範を示すという方々があまりにも少ない事が、根本的な問題なのではないかなと。

寄付金の話はトップが頑張ってくれよという意味では変わらないですし。学力の話はまさにそうだし。東大が主導する秋入学の話は、官僚育成という自身の役割を維持しながら世界を意識した教育方針をまず自ら出すべきで、他大学を巻き込んで制度改変に突き進むのは違和感を感じますし。そうした上位ランクの大学の方針が見えない事には地方大学が生き残りの方向性を打ち出すのは難しいでしょうし。英語が苦手でも何とかなっている様子の有識者が声高に英語の必要性を訴えても説得力は無いでしょうし。

まあ、居酒屋での放談レベルの話にしかなっていませんが、色々と考えるところはあるなぁ…という感じで書き残しておくものでありました。


以上、今日はこれにて。

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天体観測2

何となく、昨日の話に関連して。


かつて、沖縄よりも更に南へ、オーストラリアを訪れた時の事。南半球の夜空を堪能したいと思い立った自分は、ガイドさんの夜間外出禁止令を聞き流して、やはり海辺の方へと散歩に出かけました。

馴染みの無い星空を最初はただ無心で眺め、そして有名な南十字を探します。意外と簡単に見付かった、十字を描く明るい四つの星々。これがあの有名な…と感傷に浸りかけたその時、何か引っ掛かる記憶がありました。気のせいか、星の明るさがあまり変わらないような・・・?

偽十字!

本物の南十字は、一等星2つと二等星、三等星から成ります。つまり、これがあの偽十字なのかと何だか感動しつつ夜空を散策していると、先程よりも小振りな、そして明るさが不揃いな十字を見付けました。

南十字!

しかし油断は禁物です。目をゆっくりと左に転じて、明るい一等星が二つ並んでいるのを確認しました。リギル・ケンタウルスとハダル。ケンタウルス座のαとβです。やっと安心した自分は再び視線を南十字に戻して、この有名な星座を記憶に焼き付けたのでありました。

その後、フランス人カップル(たぶん、何か些細な事で喧嘩をしていた)に話し掛けられて適当な会話をしつつ、「日本からは観られない星座が四つある」という話をしたかったのにテーブルさん座などを英語でどう言えば良いのか分からず、帰国してちゃんと覚えようと思っていたのにラテン語に挫折したまま今に至るのが哀しいところですが、南天の星空も良いものでした。

以上、今日はこれにて。

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天体観測

最近日記を書いていないので、ニュースを見て思い出した事を何となく書いてみます。ちなみに、このニュース↓。

5惑星を一夜に、8年ぶりの天体ショー


かつて沖縄は石垣島に行った時の事。夜中にふと目が覚めて眠れなくなったので一人で散歩に出て、海の方まで歩いてみました。そして砂浜に腰を下ろして、ぼんやりと考え事をしながら夜空を眺めていたところ。

旅行の場合には大抵そうであるように、その時も自分の意識の中ではいつも暮らしている所から遠く離れているとは思っておらず、つまり夜空に浮かぶ星座もいつもと変わらないと思って油断していた部分がありました。

その時の夜空を彩っていたのは冬の星座で、ふと気付くと、見慣れない明るい星が、おおいぬ座の下の方で輝きを放っていました。

カノープス!

先程の考え事など今や遠い彼方に追いやってしまい、逸る心を抑えながらゆっくりと目を右に移動させて行きます。視線の先には、カノープスには及ばぬものの明るく輝く一等星がありました。

アケルナル!

確かにこれらの星は、沖縄からなら観る事が出来ると知っていました。が、水平線の近くに少しだけ顔を出すだけで、時間的な制約もあり、実際に観測できるとは思っていませんでした。

この、偶然の導きによるとしか思えない印象的な体験は、今でも鮮明に記憶に残っています。と同時に、興奮してその後も眠れなくなった結果、翌日の島内観光の記憶は非常に薄いものとなってしまったのでありました。


以上、今日はこれにて。

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ビリヤードの話

図示すると解り易いのですが、まずはYの字を思い浮かべて下さい。画面下からビリヤードの手玉が向かって来て、少しだけ的球の中心から逸れた位置でぶつかった時に、二つの球が別々の方向に進んで行く光景を想像できるかと思います。

この時に、衝突後の手玉と的球の間の角度が、垂直になる事を証明します。

なお、手玉と的球の質量は等しく、以下ではそれをmとします(m≠0)。


・面倒なやり方

衝突前の手玉の速度をv、衝突後の二つの球の速度をそれぞれv1,v2とします。vの進行方向とv1の進行方向の間の角度をθ、vとv2のなす角度をφとします。
v,v1,v2は0ではなく、0<(θ,φ)<π/2としても一般性を失わないはず。

ここで速度を、vの進行方向と、それに垂直な方向に分けて考えます。

vの進行方向の運動量保存則から、mv=m(v1)cosθ+m(v2)cosφ
mは0ではないので、両辺をmで割ると、
v=(v1)cosθ+(v2)cosφ・・・1

vと垂直方向の運動量保存則から、m(v1)sinθ=m(v2)sinφ
mは0ではないので、両辺をmで割ると、
(v1)sinθ=(v2)sinφ
0<θ<π/2よりsinθ≠0なので、
v1=(v2)(sinφ)/sinθ・・・2

更に、運動エネルギー保存則から、(1/2)mv^2=(1/2)m(v1)^2+(1/2)m(v2)^2
mは0ではないので、両辺をm/2で割ると、
v^2=(v1)^2+(v2)^2・・・3


1を3に代入して、
{(v1)cosθ+(v2)cosφ}^2=(v1)^2+(v2)^2
⇔(v1)^2(cosθ)^2+2(v1)(v2)(cosθ)(cosφ)+(v2)^2(cosφ)^2=(v1)^2+(v2)^2

(v1)^2と(v2)^2の項を右辺へ移動して、
2(v1)(v2)(cosθ)(cosφ)=(V1)^2+(v2)^2-(v1)^2(cosθ)^2-(v2)^2(cosφ)^2
⇔2(v1)(v2)(cosθ)(cosφ)=(V1)^2{1-(cosθ)^2}+(v2)^2{1-(cosφ)^2}

三角関数の公式1-(cosθ)^2=(sinθ)^2、1-(cosφ)^2=(sinφ)^2より、
2(v1)(v2)(cosθ)(cosφ)=(V1)^2(sinθ)^2+(v2)^2(sinφ)^2


ここで2を代入して、
2{(v2)(sinφ)/sinθ}(v2)(cosθ)(cosφ)={(v2)(sinφ)/sinθ}^2(sinθ)^2+(v2)^2(sinφ)^2

v2≠0なので両辺を(v2)^2で割ると、
2{(sinφ)/sinθ}(cosθ)(cosφ)={(sinφ)/sinθ}^2(sinθ)^2+(sinφ)^2
⇔2{(sinφ)/sinθ}(cosθ)(cosφ)=2(sinφ)^2

0<(θ,φ)<π/2より(sinθ,sinφ)≠0なので、両辺に(sinθ)/2(sinφ)をかけると、
(cosθ)(cosφ)=(sinθ)(sinφ)
⇔(cosθ)(cosφ)-(sinθ)(sinφ)=0

三角関数の公式cos(θ+φ)=(cosθ)(cosφ)-(sinθ)(sinφ)より、
cos(θ+φ)=0

よって、0<(θ+φ)<πより、θ+φ=π/2



・こちらの方が簡単じゃないのかなぁというやり方

衝突前の手玉の運動を方向ベクトルVで、衝突後の二つの球も同様に方向ベクトルV1,V2で表現します。ベクトルV1,V2のなす角度をαとします。
V,V1,V2は0ベクトルではなく、0<α<πとしても一般性を失わないはず。

なお、上記の面倒なやり方との関連性は、|V|=v、|V1|=v1、|V2|=v2、θ+φ=αです。


まずは運動量保存則から、
mV=m(V1)+m(V2)
m≠0なので両辺をmで割って、
V=(V1)+(V2)・・・1'

運動エネルギー保存則から、
(1/2)m|V|^2=(1/2)m|V1|^2+(1/2)m|V2|^2
m≠0なので両辺をm/2で割って、
|V|^2=|V1|^2+|V2|^2・・・3'

1'を3'に代入して、
|(V1)+(V2)|^2=|V1|^2+|V2|^2
⇔|V1|^2+2(V1・V2)+|V2|^2=|V1|^2+|V2|^2
⇔2(V1・V2)=0

内積が0なので、ベクトルV1とV2のなす角度α=π/2



・おしまい

計算よりも、テキスト形式で数式を表現するのが何より辛いという感想だったりして。。。
証明の全ての過程を確認したぜ!という強者は、記念にコメントをどうぞ(笑)。

以上、今日はこれにて。


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歴史的雑談2~甲子の年

中途半端な時間に目が覚めて、何となく書きたくなったので、今日は歴史うんちく話を展開してみましょう。本日のテーマは「甲子の年」です。では、はじまりはじまり~。

*関連→「歴史的雑談



■基礎知識

十二支はともかく、最近では十干がどれほど知られているのか分かりませんが、かつては十干と十二支の組み合わせで年を表現していました。これを干支と言います。つまり、

十干:甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸
十二支:子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥

という順に年ごとに変わるわけですが、壬申の乱なり戊辰戦争なりの名称はこれに由来します。そして10と12の最小公倍数が60である事から、60年ごとに同じ年が繰り返される事になります。

今回のテーマとする甲子の年は干支の始まりの年であり、何かと変乱の起きやすい革令の年と言われています。今回は、実際に歴代の甲子の年にどんな事件が起きたのか?を、何となく振り返ってみようという趣旨であります。あくまでもお遊びですので、抜けなどについては気楽に指摘いただけると嬉しいです。

ちなみに、この3年前の辛酉、4年後の戊辰と合わせて、陰陽道では三革と総称されます。いずれも変事が多いとされ、辛酉の年は901年(辛酉の年)に三善清行の奏上により「延喜」(格式、荘園整理令、および延喜・天暦の治の一方として有名)に改元されて以来、甲子の年も藤原頼通の時代以来、わずかな例外を除いて改元が行われました。



■最近の甲子の年

オーウェルや昨年の村上春樹のベストセラーで特別な年と見做される事の多い1984年が最近の甲子の年に当たります。

で、最初に言ってしまうのも何ですが、甲子の年に変な事が生じ易いのは、「この年が革令の年ゆえに」という理由が大きい気がします。つまり、世の中に不満を持ち何か変化を望むような人にとって、この年は目標にしやすい故に、結果として事件が起きやすいのではないかと。11年後にテロ事件を引き起こした某宗教団体が活動を始めたのもこの年でした。

まぁ、今日はあまり重い話をする気はないので、一気に古代に遡ってみましょう。という事で、1800年前に、タイム・スリップ!



■古代の中国

西暦184年に何があったのか?三国志好きには有名な黄巾の乱がこの年で、これ以降は後漢(東漢)の統治は崩壊して、群雄割拠の時代を迎えます。そして、この乱を引き起こしたのは、太平道という宗教団体でした(中国の歴史上初めての宗教反乱)。

当時は政情の不安定、頻発する天災、異民族の侵入など世情が暗い時代で、それゆえに太平道は急速に信者を増やし、甲子の年を契機に武装蜂起する事になります。この乱を平らげた武将達の中から、後の三国時代にかけて活躍する英雄たちが世に出る事になりました。


それから120年後、西暦304年と言えば、前趙の劉淵が自立を表明して、同時に四川でも成漢の李雄が独立を宣言。時代は西晋から五胡十六国へと進んで行きます。


その後の中国ですが、604年に煬帝の即位などがあるものの、これは父帝の死去が理由ですし(暗殺説もありますが)、甲子の年ゆえにという要素は少ない気がします。唐が滅びた907年など変化があった年とは微妙なズレが生じていて、むしろ以後は本朝において重視されたと考えるべきかもしれません。



■古代~中世の日本

604年は十七条憲法、664年は白村江の戦いの翌年。この辺りは甲子の年に対してどの程度の意識があったのか分かりません。やはり奈良時代に入って724年、生まれながら位を継ぐ事が定められていた聖武天皇の即位を重視すべきでしょう。


それから60年後の784年、1世紀に亘って続いた天武系の皇統が途絶え、天智系として位を継いだ桓武天皇は、未だ造営途中であった長岡京への遷都を実施します。これも明確に甲子の年を意識しての事ではないかと。


そして以後、いまいち大事件と繋がる年号が見つかりませんでした。例えば1204年は二代将軍源頼家が殺害されましたが、実朝は既に前年に将軍職を継いでいましたし、特に甲子の年ゆえにという事情は感じられません。ちなみに西洋ではこの年に第四回十字軍によってコンスタンティノープルが陥落。東ローマ帝国が一時的に滅亡しました。


1324年、大覚寺統において傍流として扱われ譲位を暗に促されていた後醍醐天皇は、両統迭立を定めた鎌倉幕府への反発もあって倒幕計画を密かに図ります。これが正中の変ですが、この年に父の後宇多院の崩御があり親政を開始した事も含め、甲子の年ゆえという意識はあったのではないかと思われます。

とはいえ、以後はさほど有名な事件との関連を思いつきませんでした。という事で、時代は再び近代に戻ります。



■1924年

第一次国共合作の年ですが、これは干支を意識しての動きでもあったのではないかと。つまり、大義名分が欲しい時には利用し易い年だという事が、ある程度は実証できるのではないかと思います。


この年に我が国では、後の兵庫県西宮市に巨大な野球場が建設されました。干支の一番目という縁起のいい年にあやかって名付けられたのが、阪神甲子園球場です。ちなみに、甲子園という地名は戦後になってから採用されたものだったと思います。

ワールドカップ中の阪神タイガースと言えば、変則日程になった8年前に開幕は好調だったにもかかわらず4連敗→引き分け→8連敗の悪夢があっただけに気になっていたのですが、今年は好位置につけているので一安心ですね。


なるほど、こういう落ちだったのかと、早合点するのはまだ甘い(笑)。まだまだ読みが足りません(って、読んでる人がどの程度おられるのか分かりませんが(苦笑))。妙なノリはさておいて、更にここから60年遡ってみます。



■1864年

時は元治元年六月五日(旧暦)、祇園祭は宵山の夜・・・と、文字では講談口調が伝わらないのが残念でありますが、この日は新撰組の名を高からしめた池田屋事件がありました(ただ、もしかしたら宵々山だったかも...)。

風の強い日を狙って京の町に火を放ち、その隙に天皇を拉し奉る計画を察知した新撰組は探索を続け、池田屋にてその会合が行われるという情報を入手します。ご公儀の反応が鈍い状況に業を煮やした近藤局長は単独での斬り込みを決意。一夜にして新撰組は名を天下に響かせました。

ちなみに蛇足ですが、この年に新撰組に加入した事を記念して改名したのが伊東甲子太郎です。

とはいえ、事件後の京都における反応は「謹んでお茶漬けを出すような」状態だったみたいで、無職のごろつき集団が剣呑で無粋な集団に印象を変えただけで、市民としては「敬して関わりを遠ざけたい」が本音だったという話だそうです。



■おしまい

以上、浴衣姿の人で溢れていた祇園祭の京の雑踏と無事に関連付けられたところで、今日はこれにて。


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はやぶさの帰還

以前にも触れた事がありますが、小惑星探査機「はやぶさ」が13日の22時51分ごろ、3億キロの彼方にある小惑星「イトカワ」から帰って来て、大気圏に突入しました。その燃え尽きる最期を和歌山大の中継で拝見していたのですが、とても綺麗な姿でした。それ以外に、形容の言葉がありません。分離したカプセルも目視で確認できたそうで、本当に、よく帰ってきたな、と。

「はやぶさ」大気圏突入、60億キロの旅帰還 : ニュース : 宇宙 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

「ヘリコプターでカプセル本体を捜索した結果、WPA内において、目視により確認しました。」
Hayabusa_JAXA
「光学班によって火球の観測を行いましたので、画像を送付します。」
http://twitpic.com/1whtjd




今日は吉田武「はやぶさ 不死身の探査機と宇宙研の物語」(幻冬舎新書)を読みながら帰還を待つ予定が、「はやぶさ」の今までの旅路を思うと、エピローグどころかプロローグで涙ぐむ体たらくで。。気を紛らわせようと動画を見てまた泣きそうになるなど、やたらと涙腺が緩い一日でありました。


探査機はやぶさにおける、日本技術者の変態力


半年前のこの動画はやはり良いですね。で、色々と検索していると、この時のトラブルを簡略化して解説したものがありました↓。しかし上手いこと作るなぁ。。。


A「あ、オレだめ」
BCD「早々にリタイヤしやがこのカスが!」
A「すまん」
ーしばらく後ー
B「オレ、ダメかもしれん」
CD「オレらでがんばるよ!」
A「ごくろうさま」
BCD「おまえは黙ってろ!」
ーしばらく後ー
D「もうダメ・・・」
C「うう、俺一人じゃムリだ」
B「もうあきらめるしかないな」
A「あのー・・」
BCD「おまえは黙ってろっての!」
A「いや、ひょっとしたらオレ動くかも」
BCD「えええええ!?」




[はやぶさ]今度いつ帰る ~はやぶさ探査機~ さだまさし・復刻動画版


「お父さん、足痛めました」
「他の手足で頑張れるか」
「大丈夫」

「お父さん、お使いできたよ」
「さっき転んでなかったか、返事がないから心配したよ」
「あれ…ちょっとボーっとするかも。でも、お使いしたよ」
「うん、うん、上手に出来たな。早く帰っておいで」

「…さん、おとう、さん」
「ああ、やっと返事をしてくれたな、待ってたよ」
「一人で頑張ったんだよ、教えられたとおり出来たよ」

「お父さん、血が出てる…」
「心配するな、止まったら落ち着いて前に進むんだ」
「おなか、いたい…」
「暖めれば楽になるから、頑張るんだぞ」

「お父さん、おはよう」
「体、動くか」
「足がちょっと。でも歩き方変えたらいけるよ。もうすぐうちに帰れるね」

「お父さん、お土産送った。中身、入ってなかったらごめんね」
「気にするな、お前が帰ってくるのが何よりの土産だよ」
「ぼくも、帰るね。帰り道教えてくれてありがとう」
「ああ」

 お父さん、さようなら。




このふたつは、切ない作品ですね。これらを通して、「はやぶさ」の魅力が、一人でも多くの人に伝わってくれる事を望みたいものです。


「親の世代が「アポロ」の熱狂を語ってくれたように、リアルタイムで「はやぶさ」を体験している我々は何を語れるのか、最近よく考えます。」
Hayabusa_JAXA




とはいえ、このつぶやきには考えさせられるものがありました。つまり、リアルタイムの体験者の一人として、「この動画を見て!」という伝え方ではなく。どんなに拙くとも、自分の言葉で伝えられるように、自分の中で整理して備えておかないとな、と思った次第でありました。


最後に。帰って来てくれて本当に嬉しいと、その想いが伝わる事を願いつつ。
今日はこれにて。


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暗算の問題を出される

なにやら春めいてきた今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか?今年は花見が早まりそうですね。

さて、ちょっと暗算の問題を出されてしまったので、今日はそれについて。一応、解答は得られたのですが、より綺麗な解法がないかなぁという事で、思い付いたら教えて頂けると幸いであります。



■問題

「10の二乗と11の二乗と12の二乗と13の二乗と14の二乗の総和を365で割った答えを暗算で計算して下さい。」

ちなみに、式にすると↓こうなります。なお、「^2」で二乗を表現しています。
(10^2+11^2+12^2+13^2+14^2)/365=???



■雑談

で、まずは自分で考えてみたいという方に解法が見えてしまわないように、軽く雑談でも書いてみましょう。

確か小学校4年生頃だったと思うのですが、知り合いが中学受験を終えて、親が参考書を貰って来た事がありました。確か国語・算数・理科の参考書が1冊ずつ。

で、結論から言うと3冊あわせて10ページほど読んだだけで終わってしまったのですが(苦笑)、あの時に真面目に勉強していたら未来は変わっていたのかもしれません。まぁ、今となってはどうでも良いのでそれはさておき。

その参考書で唯一面白かったのは算数の計算の話で、「二乗の数を覚えておくと計算が楽になる」という事でした。数年前にブームになったインド数学などに通じる話ですが、実用性以前に数字の持つ印象の不思議さが好きだったので、とりあえず30までの二乗の数を暗記しました。

ただ、やはり単純暗記というのは面白くないもので。なかなか覚えられない数などもあって、そんな時にぼ~っと数字の羅列を見ていて発見した事が幾つかあります。

一つは、1,4,9,16,25・・・という並びを見ていて、その差が3,5,7,9・・・と奇数の並びになっていること。これは分かり易いので、周りの人に話しても褒められる事が多かったです。肝心の参考書は全然読んでないのに(苦笑)。

もう一つは三平方の定理が絡むのですが、ちょっと雑談のつもりが長くなったのでこの話は省略。また機会があれば書く事にします。で、解法。



■解法

分かり易いように、12=aとします。すると問題の式はこうなります。

分子=(a-2)^2+(a-1)^2+a^2+(a+1)^2+(a+2)^2
aの係数が打ち消しあって0になる事を見越しています。展開して行きます。

分子=(a^2-4a+4)+(a^2-2a+1)+a^2+(a^2+2a+1)+(a^2+4a+4)
  =5a^2+(-4-1+1+4)a+(4+1+1+4)
  =5a^2+10
  =5(a^2+2)

残念ながら、ここからは力技になります。a=12を代入して。

分子=5(12^2+2)
  =5(144+2)
  =5×146
  =5×73×2
  =365×2

故に答えは「2」です。



■まとめ

一応、何とか暗算でできる解法ではあるのですが、よりエレガントな解法があるのかないのか?自分の能力ではこれが限界なので、面白い解法を見付けた方がおられましたら、教えて頂けるととても嬉しいです。


以上、今日はこれにて。


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