流れる星は生きている

去る今月15日に藤原ていさんが亡くなられたとの事で、彼女の代名詞とも言える作品「流れる星は生きている」について、以下で雑談のようなものを書き残しておこうと思います。


読んだのは随分前の事なので描写はうろ覚えですが、今も私の記憶に残っているのは、朝鮮人の青年と再会した時に「どうしてあなたはまだ生きているのですか」と尋ねられた場面です。

最初に読んだ時には「日本人だからだ」「日本人は強い」という子供っぽい感想を持ちました。藤原ていさんと同じ日本人であるという理由で、自分まで強くなったかのような事を思っていた記憶がありますが、子供ならそんな感じですよね。

同時に、その誇らしげな気持ちの中に朝鮮や韓国の人を見下す気持ちがあったかというと答えはノーで、今のように経済が停滞している状況とは全く違う上り調子の時代だったからこそ、「日本人は偉い」とは大人でも言っていましたが、それで別の国の人々を必要以上に見下すようなことは無かったと思います。

逆に当時の教養のある大人たちは、「朝鮮の人も凄い」という認識も持っていたように思います。今にして思えば、彼らは朝鮮のかなり上層の人達を指して言っていただけで、中流以下の人達の事は歯牙にも掛けていなかったと思うのですが。どこの国でも民族でも優秀な人はやっぱり優秀なのだと彼らは考えていたように思いますし、そうした人々を育んだ秘訣を学ぶ事に貪欲だったと思います。


何故か話が変な方向に進んでいますが、ついでなので最近は巷で話し難くなったこの話題を少しだけ続けます。経済成長によって韓国が豊かになった事と、ネットの発達で情報の行き来が飛躍的に増大した事、そして日韓W杯を経て交流が一段と進んだ事で、我々は彼の国の一般大衆の言説に惑わされる機会が激増して、すっかり関係が拗れてしまっていると思います。

私も最近は半島に関する話題を外で持ち出そうとは思いませんし、むしろ可能な限り避けているのが正直なところです。言い方は良くないですが、現状はあちらの中流以下の方々の暴論が行き過ぎた結果だと思いますし、しかしそれは先進国が等しく経験してきた事でもあります。

我が国においても、田中角栄と福田赳夫が総理を争った頃に岸信介が田中を「幹事長としてはピカイチだが総理になるには教養が足りない」と評したそうですが、その田中が総理の座を射止めた辺りが「大衆の反逆」の時期と考えて良いように思います。もちろん角栄の功績はそれとは別にあり、そしてオルテガが想定しているように、大衆か否かエリートか否かは、生まれではなく個人の内面によって判断されるべき事ですが。

こうした傾向は近年、世界の各地で以前よりも更に悪化している印象があります。それに対処し備えるには、やはり個人として培った強さというものが求められるように思いますね。


話を作品に戻します。その後は再読の機会がなかったのですが、上記の場面は時間を置いて時折私の頭の中に蘇ってきて、色々と考えさせられたものでした。

作品では確か、青年の顔つきが以前とは違うと作者が受け取っていたように思います。過酷な戦争の体験が一人の青年の精神を蝕んだ結果だと思いますが、彼の様相を変えてしまった背後にあったものについて考えさせられました。それは、作者が故郷の長野に戻るまでの道中が克明に記されているからこそ余計に、暗い印象を抱かせるものでした。

時間は万人に平等なようでいて実は不平等なもので、ある人が決定的に「時を重ねてしまった」状態に至るのに、長い場合は数十年かかりますが、それが一瞬で終わってしまう場合もあります。そんな人達の事を考え、そしてそうした方々と対峙した場合のことを考えた事は、自分の中での財産になっていると思います。


子供の頃に受けた印象についても、その後に何度か再考しました。日本人が偉いか偉くないかという議論とは別に、ただ単純に藤原ていさんが偉かったという事を受け止めたり。その上で、自分が何をこの作品から得るべきなのかを考えたり。

結局のところ話は単純で、それは個人の価値というものに行き着くのだと思います。作者は正彦ちゃん(作中では2歳なので何となくこう呼んでしまいます)が結婚された時だったか、義理の娘に「もし徴兵が復活したら、正彦の腕を斬ればいい」と告げたといいます。そう迷いなく言い切れる強さと狂気は彼女の中でずっと生き続けて、そして我々に何かを教えてくれているように思います。


ある意味では残念なことに、現在は冷戦期とは違って、日本に生まれたというだけで恵まれているとは言い切れない時代になっています。GDPの規模こそ大きいものの時間当たりの労働価値は以前からすれば考えられないほど低くなり、もはや日本人は偉いなどと言い出し難い状況になっています。

上述したように、藤原ていさんが凄い人だった事と、彼女が日本人だった事とは、我々が凄い事の何らの証左にもなりません。

しかし、彼女が書き残したこの作品を日本語で読める事は我々にとって何よりの恵みであり、個人の精神を涵養する際に我々を大いに手助けしてくれる作品だと私は思います。

この作品がこれからも若い世代に読み継がれて行く事を願いつつ、故人の逝去を悼み謹んでお悔やみを申し上げます。


以上、今日はこれにて。

テーマ : 読書 - ジャンル : 小説・文学

"What I believe" by ALBERT EINSTEIN

先週の重力波観測成功というニュースを受けて、いつか訳したいと思っていたアインシュタインのエッセイに取り組んでみました。至らぬ点や気になる点などがあれば、お気軽に指摘して頂けると嬉しいです。なお、英文はこちらから拝借しました。



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"What I believe" by ALBERT EINSTEIN

「我が信念」アルベルト・アインシュタイン


STRANGE is our situation here upon earth. Each of us comes for a short visit, not knowing why, yet sometimes seeming to divine a purpose.

この地球上における我々の状況は奇妙なものだ。ここで我らは各々短い生涯を送る。それが何故とは知らぬまま。しかし時に、その目的を見抜いているかのように。


From the standpoint of daily life, however, there is one thing we do know: that man is here for the sake of other men — above all for those upon whose smile and well-being our own happiness depends, and also for the countless unknown souls with whose fate we are connected by a bond of sympathy. Many times a day I realize how much my own outer and inner life is built upon the labors of my fellow men, both living and dead, and how earnestly I must exert myself in order to give in return as much as I have received. My peace of mind is often troubled by the depressing sense that I have borrowed too heavily from the work of other men.

とはいえ、日常生活の観点から、我々がよく知っている事が一つある。すなわち、人は他者の為にここに存在しているのだと。とりわけ、その人の笑顔や安寧によって自分まで幸せな気持ちになれる人達の為に。そして同じく、共感という絆によって運命的に結びつけられた無数の名もなき人達の為に。一日に何度も私が思い知らされるのは、私自身の生活が物心ともに我が同胞達の多大な仕事によって成り立っていて、現存している同胞のみならず既に鬼籍に入った先人の業績からも莫大な恩恵を受けているという現実であり。更に、私が受け取っただけのものをお返しする為には本気で努力しなければならないという実感である。そして我が精神の平穏はしばしば乱れる。私が借り受けた他の人の労があまりに膨大で、とてもお返しできないのではないかと落ち込んでしまうのである。


I do not believe we can have any freedom at all in the philosophical sense, for we act not only under external compulsion but also by inner necessity. Schopenhauer's saying — "A man can surely do what he wills to do, but he cannot determine what he wills" — impressed itself upon me in youth and has always consoled me when I have witnessed or suffered life's hardships. This conviction is a perpetual breeder of tolerance, for it does not allow us to take ourselves or others too seriously; it makes rather for a sense of humor.

哲学的な意味では、我々はいかなる自主性も有しえないと私は思う。というのも、我々の行動は外部からの強制のみならず内的な要求にも左右されるからである。「確かに人は自身が望むことを行い得るが、自分が何を望むかを決めることはできない」というショーペンハウエルの言葉に、若き頃の私は感銘を受けた。以来その言葉は、私が人生の過酷さを目の当たりにして悩んでいる時に、いつも私を慰めてくれた。「自主性を持ち得ない」というこの確信のお陰で、私は終身に亘って機能する耐性を得たのである。というのも、自分自身や他人の存在を必要以上に深刻に捉えずとも済むように、むしろある種のユーモアとして捉えられるようになったからである。


To ponder interminably over the reason for one's own existence or the meaning of life in general seems to me, from an objective point of view, to be sheer folly. And yet everyone holds certain ideals by which he guides his aspiration and his judgment. The ideals which have always shone before me and filled me with the joy of living are goodness, beauty, and truth. To make a goal of comfort or happiness has never appealed to me; a system of ethics built on this basis would be sufficient only for a herd of cattle.

自身の存在理由について、或いは人生の意味について延々と熟考することは、客観的に見て全くの愚行であると私は思う。然れども人は皆ある種の理想を抱いていて、それが各々の願望や判断を導く基準となっている。私が抱く理想、いつも我が人生を輝かせ生きる喜びを与えてくれた理想とは、善、美、そして真である。私は決して快適さや幸福を目標にしようとは思わなかった。こうした快適・幸福を基準に構築された倫理体系は、家畜の群れになら充分なのだろうが。


Without the sense of collaborating with like-minded beings in the pursuit of the ever unattainable in art and scientific research, my life would have been empty. Ever since childhood I have scorned the commonplace limits so often set upon human ambition. Possessions, outward success, publicity, luxury — to me these have always been contemptible. I believe that a simple and unassuming manner of life is best for everyone, best both for the body and the mind.

芸術や科学の研究において未到の事柄を追求する際に、目的を同じくする人達と共同で取り組むという意識がなかったならば、私の人生は空虚なもので在り続けただろう。幼少の頃からずっと、人の願望をあれこれと制限する陳腐な事どもを私は軽蔑していた。財産や、外見上の成功や、名声や、贅沢品といったものを私は常に下劣なものだと見なしてきた。私が思うに、簡素で控えめな生活様式こそが万人にとって最上のものであり、肉体と精神の両者にとっても最良のものであろう。


My passionate interest in social justice and social responsibility has always stood in curious contrast to a marked lack of desire for direct association with men and women. I am a horse for single harness, not cut out for tandem or team work. I have never belonged wholeheartedly to country or state, to my circle of friends, or even to my own family. These ties have always been accompanied by a vague aloofness, and the wish to withdraw into myself increases with the years.

社会における正義や責任に対して私が強い関心を抱いている事は、他者との直接の付き合いを望む気持ちが際立って欠けている事といつも奇妙な対照をなしている。私はいわば一頭用の馬具を身に纏った馬であり、二頭あるいは複数での共同作業には向いていないのだ。私は国家や政府に心から帰属していると思った事は一度も無いし、私を取り巻く友人達や、自分自身の家族に対してすら同様であった。こうした紐帯は曖昧で超然的な事由により生じたもので、自分自身の中に引き籠もりたいという願いは年を経るごとに大きくなった。


Such isolation is sometimes bitter, but I do not regret being cut off from the understanding and sympathy of other men. I lose something by it, to be sure, but I am compensated for it in being rendered independent of the customs, opinions, and prejudices of others, and am not tempted to rest my peace of mind upon such shifting foundations.

この手の孤立は時に苦く辛いものであるが、他者からの理解や同情を絶った事を私は後悔していない。それによって私が何かを失ったのは確かだが、その代わりに私は他人の慣習や評価や偏見から無関係でいられた。私は、その手の移ろいやすい根拠で心の平穏を得ようとは思わなかったのだ。


My political ideal is democracy. Everyone should be respected as an individual, but no one idolized. It is an irony of fate that I should have been showered with so much uncalled-for and unmerited admiration and esteem. Perhaps this adulation springs from the unfulfilled wish of the multitude to comprehend the few ideas which I, with my weak powers, have advanced.

私が理想とする政治とは民主政である。全ての人は個人として尊重されるべきだし、誰であれ崇拝されるべきではない。だが運命の悪戯と言うべきか、私は自分にとても釣り合わない身に余るほどの賞賛と評価を浴びたのだ。この手のお世辞はおそらく、微力ながらも(*1)私が提唱した少数の概念を、理解したいという人々の満たされぬ願いから出たものであろう。


Full well do I know that in order to attain any definite goal it is imperative that one person should do the thinking and commanding and carry most of the responsibility. But those who are led should not be driven, and they should be allowed to choose their leader. It seems to me that the distinctions separating the social classes are false; in the last analysis they rest on force. I am convinced that degeneracy follows every autocratic system of violence, for violence inevitably attracts moral inferiors. Time has proved that illustrious tyrants are succeeded by scoundrels.

私がつくづく思い知らされたのは、明確に目標を成し遂げる為に必須なのは自分で考えて自分で指示を出す事であり、それは責任の大半が伴うという事である。とはいえ誰かに導かれる立場であってもそれを強いられるべきではなく、自らの指導者を選択できる事が肝要であろう。社会において階級別に差別する事は間違っているように私は思う。というのも最終的には力が物を言う社会になるからである。暴力に基づく独裁制は全て堕落を生じさせると私は確信している。何故なら暴力は必然的にモラルに欠ける人々を引きつけるからである。歴史が証明しているように、傑出した専制君主の後を継ぐのは悪党なのである。


For this reason I have always been passionately opposed to such regimes as exist in Russia and Italy to-day. The thing which has discredited the European forms of democracy is not the basic theory of democracy itself, which some say is at fault, but the instability of our political leadership, as well as the impersonal character of party alignments.

こうした理由から、今日ロシアやイタリアに存在する類いの政権に対し、私は常に強く反対して来た。欧州における民主制の信用を傷つけている要因は、それこそが元凶だと言う人も中には居るが民主主義の基礎理論そのものではなく、我々の政治的な指導力が不安定であるからである。提携する政党同士が冷めた関係にある事も同様に大きな要因なのだが(*2)。


I believe that you in the United States have hit upon the right idea. You choose a President for a reasonable length of time and give him enough power to acquit himself properly of his responsibilities. In the German Government, on the other hand, I like the state's more extensive care of the individual when he is ill or unemployed. What is truly valuable in our bustle of life is not the nation, I should say, but the creative and impressionable individuality, the personality — he who produces the noble and sublime while the common herd remains dull in thought and insensible in feeling.

アメリカ合衆国の人々は正しい思い付きをしたものだと私は思う。相応の任期を定めて大統領を選び、適切に責任を遂行できるだけの充分な権力を与えている。他方でドイツ政府について私が好ましく思っているのは、病人や失業者に対する個人保障がより幅広く実施されている点である(*3)。我々の忙しない人生において真に価値があるのは国家ではなく、独創的で感受性に優れた個性であり、為人であると。思考が冴えず感受性も鈍い愚劣な群衆を尻目に、気高く卓越したものを生み出す人であると。私はそれを声を大にして言いたい。


This subject brings me to that vilest offspring of the herd mind — the odious militia. The man who enjoys marching in line and file to the strains of music falls below my contempt; he received his great brain by mistake — the spinal cord would have been amply sufficient. This heroism at command, this senseless violence, this accursed bombast of patriotism — how intensely I despise them! War is low and despicable, and I had rather be smitten to shreds than participate in such doings.

この手の議題を語る際に私の頭に浮かんでくるのは、あの不愉快極まる家畜精神の申し子、唾棄すべき義勇軍(*4)の事である。列を組み縦隊で音楽の旋律に合わせて楽しげに行進する彼奴には、軽蔑すらも生ぬるい。脊髄ばかりは十二分かもしれないが大脳が伴っていない輩。命令下にあって英雄気取り、無分別な暴力、忌まわしくも大袈裟な愛国発言。それらの事どもを私がどれほど嫌悪している事か!戦争は下劣で卑しむべきもので、そんなものに関与するくらいなら自分がずたずたにやられる方がましだ。


Such a stain on humanity should be erased without delay. I think well enough of human nature to believe that it would have been wiped out long ago had not the common sense of nations been systematically corrupted through school and press for business and political reasons.

その手の人道上の汚点は即座に消し去るべきである。私は人間性についてよくよく考えた末に以下の結論に至った。もし仮に国家としての良識が、営利的な理由や政治的な理由によって、学校や報道を通して組織的に堕落していなければ、そうした汚らわしい事はとうの昔に一掃できていただろうにと。


The most beautiful thing we can experience is the mysterious. It is the source of all true art and science. He to whom this emotion is a stranger, who can no longer pause to wonder and stand rapt in awe, is as good as dead: his eyes are closed. This insight into the mystery of life, coupled though it be with fear, has also given rise to religion. To know that what is impenetrable to us really exists, manifesting itself as the highest wisdom and the most radiant beauty which our dull faculties can comprehend only in their most primitive forms — this knowledge, this feeling, is at the center of true religiousness. In this sense, and in this sense only, I belong in the ranks of devoutly religious men.

我々に可能な最も美しい体験とは、謎めいた神秘に触れる事である。それは真の芸術や科学の真髄など全ての源である。神秘を前にして心を動かされた事のない人、もはや感嘆する事もなく畏敬の念に打たれる事もない人など、死んでいるのも同然だ。目を閉じてしまっているのだ。人生の神秘に対するこうした洞察は、畏怖の念も伴うのだが、宗教心を引き起こす事にもなる。我々にとって不可解な事が現実に存在するのだと認知する事。我らの鈍い能力では初歩的な形で理解するのが精一杯ではあるものの、それが至高の知として、そして燦然と輝く美の極致として顕現するのだと認識する事。この知識、この感覚こそが真に信仰心に篤い人々の根源を成しているのである。この意味で、そしてこの意味においてのみ、私は敬虔で信心深い人々の階層に属しているのである。


I cannot imagine a God who rewards and punishes the objects of his creation, whose purposes are modeled after our own — a God, in short, who is but a reflection of human frailty. Neither can I believe that the individual survives the death of his body, although feeble souls harbor such thoughts through fear or ridiculous egotism. It is enough for me to contemplate the mystery of conscious life perpetuating itself through all eternity, to reflect upon the marvelous structure of the universe which we can dimly perceive, and to try humbly to comprehend even an infinitesimal part of the intelligence manifested in nature.

自らの創造物を賞したり罰したり、行動の目的が我々自身を基に作られているような神。要するに人間の弱さを反映しているだけの神。そうした神の存在を私は思い浮かべる事が出来ない。同様に私は、恐怖や馬鹿げた自己愛から虚弱な精神にはそうした発想が宿るものだとはいえ、人が肉体の死を克服できるとも思えない。意識ある人生という永遠に不滅の神秘を鑑賞する事、我々がほのかに感知できている驚くべき宇宙の構造について熟考する事、そして自然界にて明示されている知性のほんの一欠片でも理解しようと謙虚に努める事。私としてはそれで充分に満足なのである。


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(*1)いわゆる「弱い力」を意識した言い回しかと思ったのですが、フェルミのβ崩壊の理論は独伊語で1933年投稿・1934年出版、英語で1939年出版との事なので普通に訳しました。

(*2)ドイツでは世界大恐慌への対策が議会の反対勢力や与党内の足並みの乱れなどで遅々として進まず、状況打破を目指してこの文章のわずか一ヶ月前に(1930年9月)行われた総選挙は、左右両極の躍進という期待とは正反対の結果に終わりました。この選挙で第二党に躍進したナチ党は存在感を高め、そして1933年1月、遂にヒトラーは首相となりワイマール共和国は事実上崩壊しました。アインシュタインがこれほど嫌っていた独裁者が、彼の母国で誕生してしまったのです。

(*3)1924年から疾病保険の強制加入者の範囲が拡大され、1927年には失業保険法が制定されました。しかしこれらは恐慌の際に大変な重荷となりました。1928年に65万人だった失業者は(失業率5%)、1930年末には400万人を越えました。

(*4)ドイツ義勇軍(フライコール)は第一次世界大戦後の混乱の中で出現し、治安や軍事面で重要な役割を果たしたのですが異常な残虐行為など問題も多く、混乱の種になっていました。後のナチ党の指導者や党員には義勇軍出身者が多数存在します。文脈からは義勇軍よりもナチ党の突撃隊(SA)を念頭に置いているようにも思いました。


参考:林健太郎「ワイマル共和国」(中公新書)、入江隆則「敗者の戦後」(文春学藝ライブラリー)

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猪木正道「日本の運命を変えた七つの決断」について。

今回は、人様にお薦めした割には細部を全然覚えていないという情けない事実に直面して再読した猪木正道「日本の運命を変えた七つの決断」(文春学藝ライブラリー)について、感想と考えた事を以下で書き留めておきます。


■作品の印象

解説で奈良岡先生も指摘されているように、明快で解り易く断定的な筆致で描写されている反面、その内容は決して浅くはないです。各々の人物や歴史の流れについて、著者が思考を重ねた末の結論が語られているのだと伝わって来るのが良いですね。巻末でご子息の武徳先生が紹介されている「客に対して一方的に話し続ける独壇場」に相席しているかのような気分になります。

本文は160ページ程度の短いものですし、これだけで第一次世界大戦後からポツダム宣言受諾までの歴史を把握するには少々頼りないようにも思います。少々言い訳がましくなりますが、細部を覚えていないのは、特にこの作品でのみ指摘されているような重要な描写が無いからだと思いました。逆に言うと、描写されてしかるべき歴史的に重大な事柄も概ね押さえられていると思います。それ故に「あれが書いていなかった」というマイナスの印象も残っていないのかなと。

自分が猪木正道・高坂正堯の両氏とそれに連なる方々の著作を好むのは、彼らの明快で深みのある分析や人柄の伝わる文章という要素ももちろんですが、現在直面する諸問題に応用できる事が大きいのだなと今回改めて思いました。言い換えると、いつ読んでも古臭さを感じないという美点があると思います。それについて、以下で少し詳しく書いてみましょう。


■第一の決断:ワシントン会議と加藤友三郎

限りなく上手い結果に終わったこの決断について、後世の我々が参考にできる点は正直あまり無いのではないかと思います。一点だけ気になったのは「何よりも加藤友三郎は、日本海海戦の栄光を背にしており、わが全海軍を統制する力量を備えていた」(p.158)という描写でした。作中で述べられているロンドン条約との比較だけでなく、武勲を政治的に利用された東郷平八郎の晩年を思うと色々と考え込みたくなります。同時に、第一次世界大戦に本格参戦しなかった=近代戦を経験しなかった事の影響は本書でも触れていますが、武勲を立てる機会という点からも考察しておくべきかなと思ったのでした。


■第二の決断:ロンドン会議と浜口雄幸

決断は正しかったのに将来へ悪い影響を残したこの決断の責任を浜口雄幸に求めるのは、酷ではあるが仕方がないとも思いました。著者が指摘した三つの要因(p.159)のうち、海軍大臣の統制力不足、および統帥権干犯という政治問題に発展した事の二点は、それぞれの当事者を責めるべきだと思います。しかし、残りの一点である経済対策の失敗はまさに現在にも繋がる問題で、これに足を引っ張られて外交上の正しい決断が後の政治に悪影響を及ぼすのだから難しいものです。

井上寿一「政友会と民政党」(中公新書)はタイトル通りに戦前の二大政党を扱った作品ですが、その中で石橋湛山が浜口内閣に対し概ね「外交賛成、経済反対」という姿勢だった事が紹介されています。そして石橋は外交・経済いずれの場合でも、浜口が充分な論議を経ずに決断した事を問題視していました。果たして議論を重ねたところで反対者が納得するかというと確かに疑問ですが、少なくとも同時代に浜口の決断が拙速ではなかったかと指摘する言論があった事は現在にも参考になると思います。


■第三の決断:満州某重大事件と田中義一

端的にまとめるなら「身内を庇い自国の恥を隠蔽しようとして嘘を重ねても碌な事にはならない」という間違った決断ですが、現在でも国内外を問わず多々見られるのが困ったものですね。特に、社会的に重い立場の方々がとるべき行動ではない事は自覚して頂きたいものです。。


■第四の決断:二・二六事件と昭和天皇

これも上手くいった事例ですが、正しい決断をした先帝ではなく、同時に顕わになった陸軍の「動機さえよければ何をしてもよいという危険な発想法」(p.65)に注目すべきでしょうね。「国を思う精神から出たもので」などという弁明は現在でもよく耳にする事ですが、その危険性を再度認識しておくべきだと思います。


■第五の決断:「国民政府を対手とせず」と近衛文麿

章のタイトルとして名前が挙げられているのは近衛ですが、広田弘毅もかなり酷いんですよね。p.72で紹介されている日英両国で蒋介石政権の幣制改革の援助をする案を政府が拒絶したのも外相だった広田の関与が大きいですし、総理として作った「国策の基準」はp.76で詳説されているような問題点を抱えていました。とはいえ自国の能力を超えた目標を掲げたり、敢えて敵を増やすような事を言い出すのは現在もよくある事なので、重大な危機に繋がらぬよう願いたいものです。ちなみに、本書で指摘はないですが、「国策の基準」にも参加している馬場蔵相の経済政策の拙さは、倉山満「検証 財務省の近現代史 政治との闘い150年を読む」(光文社新書)などが参考になるかと思います。

近衛の声明は戦争を終わらせるという視点を欠いたこの上なく愚かなもので、間違いなく我が国の外交史のトップに君臨する汚点だと思いますが、これは逆に酷すぎて参考にならない気もします。むしろ、防共を呼び掛けていた我が国が蒋介石を屈服させる為に彼の支配地域を破壊して回った事で、その地域において中国共産党の勢力が浸透していったという歴史の皮肉(p.92)にこそ学ぶべき点が多々あるように思えました。


■第六の決断:三国同盟・南仏印進駐と近衛文麿

この辺りも同様に参考にならないほど酷いと思います。「あれだけミソをつけた人物が、なぜ、これほど信頼されるのか」(p.100)「外国の政府や国民の考え方や行動様式について希望的観測にふけるのは、わが国民性の欠陥というか、日本歴史の業というか、わが国のたいへんな弱点だと思う」(p.109)という指摘や、「期待可能性の理論」(p.110)などは、現下の問題を考える上でも役に立つと思いました。本書では後者の理論により、近衛が総辞職をした時点で誰が後継になっても常人には戦争回避は不可能だったという状況判断から、東条に開戦の責を問わない(決定的に近衛に責がある)としています。


■第七の決断:ポツダム宣言受諾という聖断

この章だけは、決断に至るまでの経緯を丁寧に紹介している事もあり、過去のドラマを手に汗を握りながら見ているような心持ちになりました。強いて言えば、阿南陸軍大臣に対する考察において立場の違いという視点から彼を評価し、一方で彼の主張を思考実験の材料とした上で退けた描写(p.139)には、人物評価の一つの方法として参考になるのではないかと思いました。


■最後に

著者のあとがきを引用して、この文章を締めくくろうと思います。
「大衆が政治的決断に直接間接参加している現代においては、政治家ばかりでなく、一人一人の国民が正しい決断を行う能力を身につけなければなるまい」(p.166)
敢えて言えば、政治家なり誰か有名な人なりの決断をそのまま我が事として語るのではなく、自分で決断した事を自分の言葉で語れるような「一人の国民」でありたいものですね。

以上、今日はこれにて。


*「期待可能性の理論」の本書での援用例といくつか参照ページを追記し、細かな表現を一部修正しました(10/1深夜)。

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岩明均「ヒストリエvol.1」

*作品の評価としては☆4ですが、これは物語の長さからして完結の見通しが立たない故に☆1つを減じたもので、それ以外に目立って減点するような要素は無いと思います。まさに作者のライフワークと呼んで良い作品になっていると思います。

*以下の文章は、この作品のレビューと言うよりは、注釈と個人的なメモと簡単な考察が混ざり合ったものだと説明した方が、より正確かと思います。

*先の巻の内容にはできる限り触れないように気を付けていますが、本巻で描かれた内容には遠慮なく言及しますので、ネタバレを避けたい方は読後にまたお越し下さい。

*歴史的な事実に関しては高校生レベルの知識は既知のものとして、それ以上に細かい内容についても折を見て触れたいと思っていますので、そうした方面からのネタバレを見たくないという方はここでブラウザを閉じて下さい。解説の中で「これは書き過ぎ(ばらし過ぎ)」と思われる箇所があれば、ご指摘頂けると嬉しいです。


以下、話の順に。。


■第1話
・「ヘビ」が全ての始まりか?

・ヘルミアス;
 小アジア西岸の町アタルネウスの僭主。アリストテレスと共にプラトンに学び、生まれ故郷に帰って後、アッソスの町まで勢力圏を拡大していた。ペルシアから離反しマケドニアと同盟してこれを討とうと画策。小アジア全域を再びアケメネス朝の支配下に置く事と、フィリッポス二世の侵攻計画の詳細を得る事を目的としたメムノン指揮下の軍に攻められ、囚われの身となる。しかし彼は拷問を受けながらもアリストテレスを庇い、マケドニアの情報を漏らさず、その発言は最期まで哲学を志す者のそれであった(が、余人には理解しがたい振る舞いかもしれない)。

・メムノン;
 バルシネの夫。兄のメントルと共にアケメネス朝に反旗を翻すが失敗し、マケドニアに亡命する。ペルシア王に敗れたメントルが罪を許され、それと引き替えに派遣されたエジプトで大いに戦功をあげた事で恩赦となり帰国。兄の死後はその職を継承し、小アジア西方の指揮官として反乱の絶えないギリシア植民市の対応に当たっていた。アリストテレスの身柄を捕獲できず。

・アリストテレス;
 父はマケドニア王(フィリッポス二世の父)の侍医。アテネでプラトンに学ぶ。師の死後、反マケドニアの気風が強くなったアテネを離れ、フィリッポス二世の勧めもあってヘルミアスの招きに応じる。数年後レスボス島に移り、テオフラストスと共に生物学の研究に勤しむ。同時期ヘルミアスの姪(もしくは娘)を娶る。フィリッポス二世の要請を受けマケドニアに学問所を創設し彼の後継者(後のアレクサンドロス大王)を教育する為に、小アジア脱出を決意。この作品の冒頭ではスパイ容疑でペルシア帝国から追われている。後にデルフォイにヘルミアスを讃える記念碑を建立する。

・カリステネス;
 アリストテレスの甥にして弟子。共にマケドニアに向かう。後に大王の東征に従い従軍記を執筆する。

・エウメネス;
 主人公。「多分、異民族(バルバロイ)」とは作中の本人の談。フィリッポス二世とアレクサンドロス大王の二代に書記官として仕え、東征時には軍の指揮も任される。大王の死後、ディアドコイ(後継者)の一人として同輩達と戦う。なお、後にスーサの合同結婚式で娶るアルトニスはバルシネの妹である。

・バルシネ;
 アケメネス朝のサトラップ(総督)アルタバゾスの娘。祖母はペルシア王アルタクセルクセス二世の娘である。父が義理の兄弟の間柄であるメントルとメムノンの協力を得てペルシアに反抗するも失敗し、その結果バルシネは父や兄弟そしてメムノンと一緒にフィリッポス二世に保護される。恩赦により帰国して後、叔父であるメントルに嫁ぎ、メントルの死後メムノンの妻となる。メムノンの死後に大王の側妾となる運命にある。


■第2話
・全軍の指揮官;
 第5話にて、「マケドニア王その人ではないか」とエウメネスは推察する。


■第3話
・アンティゴノス;
 高校の世界史で習うであろうアンティゴノス朝マケドニアは、ディアドコイの一人である隻眼のアンティゴノスの子孫が開いた王朝である。彼はフィリッポス二世と同年の生まれとされるが、史上に登場するのは大王の対ペルシア戦以降である。ディアドコイ戦争を通してエウメネスの人生に深く関わる事になる人物であるが、とりあえず作中の現時点では見るからに怪しいおっさんである。


■第4話
・少し気にしすぎな騎馬の人;
 現時点で名前は明かされていないが、エウメネスとの今後の絡みが注目される。


■第5話
・主人公と老婆の別れ;
 「寄生獣」をふと思い出したりして。

・全ての始まりは、「図書室」であった。

・剣を振るう女の夢。


■第6話
・少年エウメネスの家族構成;
 父ヒエロニュモス、兄ヒエロニュモス、母、奴隷カロン。

・馬上の光景。

・クセノフォンのアナバシス;
 クセノフォンはソクラテスの弟子でプラトンと同世代。ペルシアの王位を巡る兄弟の争いに傭兵として参加したものの、兄王アルタクセルクセス二世があっさりと勝利した為に、弟陣営に属した彼は遠い異国から苦労して帰還する事になる。その道中を書き記したのが「アナバシス」で、著者の平易明快な文章はギリシア〜ローマ時代にギリシア語文体の模範とされた。このアナバシスの最中に師ソクラテスが刑死している。ちなみに、五賢帝時代のローマの歴史家アリアノスの代表作に「アレクサンドロス東征記」があるが、その原題は"Anabasis Alexandri"である。

・最後のキュロス王のセリフ;
 ヘロドトスの「歴史」第1巻(クレイオ)の最後に記されているキュロス二世のセリフの概略は以下の通りである。

 キュロス二世は「自分は神の恩寵を受けており、身に迫る危険は夢のお告げの形で全て事前に知る事ができる」と豪語した。戦場に在った王がこの時に見たのは、一族のダレイオスがアジアとヨーロッパに大きく翼を広げる夢だった。王はダレイオスが叛逆を企てていると解釈し、「目の前の戦争に勝ち首都に凱旋してから処分を検討する」とダレイオスの父に告げた。しかし。その夢の真意は「キュロス二世がこの地で命を落とし、その結果ダレイオスがアジアとヨーロッパに君臨する王となる」だったのである。


■第7話
・夢の続き。自分を見る女の眼。女の死。

・夢はその人の「記憶」だけを材料に組み立てられてゆく。


■第8話
・悲惨な扱いを受けるスキタイ人奴隷トラクス。

・ハルパゴスとペルシア帝国の建国;
 以下も上記ヘロドトスの書の要約である。

 メディア王は娘に王位を脅かされると解釈できる夢を見たので、彼女を辺境の大人しいペルシア人貴族に押しつけた。娘が妊娠すると、今度は娘の子供が王としてアジアを統べる夢を見たので、信頼する部下ハルパゴスに赤子を殺すよう命じる。しかし王には男の後継者がなく、万が一の場合には王女が即位する可能性も高い。ハルパゴスは恨みを買いたくないと考え、王に仕える牛飼いに全てを押しつけた。牛飼いの妻は死産直後だったので、その児の死骸をハルパゴスに渡し、赤子を自分の子として育てた。

 十年の時が過ぎ、その子が友達と「王様ゲーム」で遊んでいると、偶然の経緯からメディア王に面会する事になった。一目見てその子が自身の外孫だと悟った王はハルパゴスを呼ぶ。問われるより先にハルパゴスが罪を正直に告白したのでその場は許したが、腹の虫が治まらない王は残忍な仕返しを企む。つまり、外孫の無事を祝う宴で、ハルパゴスの息子の屍肉を彼に供したのである。ハルパゴスは王の「褒美」を平伏して受け取った。また、夢占い師にかつての夢を相談すると「子供の遊びとはいえ王に選ばれた事で夢は成就した」という解釈だったので、王は心配を忘れた。

 更に十数年が過ぎた。立派に成長した運命の子は父方の祖父キュロスの名を継ぎ、ペルシア人の大部分をまとめてメディアに反旗を翻す。王の仕打ちを恨みキュロス二世を影ながら支援していたハルパゴスが公に裏切った事もあり、メディア王は囚われの身となる。かつての宴の件で王を罵るハルパゴス。王は、彼の恨みそのものに対しては反論しなかった。ただ、「個人的な怨恨によって行動し、自らは王になろうとせず、メディアの民をペルシア人の奴隷にしたお前は、愚かな悪人だ」と断じた。ハルパゴスの反応は記されていない。


■第9話
・少年エウメネスの友人関係;
 体格の良いニコゲネス、飄々としたトルミデス、ひ弱そうな子、彼女ペリアラ。

・エウメネスは足が早い。

・拳闘の勝負を眺めながら、夢の女の動きを重ねるエウメネス。



■1巻のまとめと考察。
・表紙は地球儀を手にするエウメネス(年齢は物語冒頭時)。裏表紙は背中を向けて歩いて行く少年エウメネス。

・アリストテレスのスパイ容疑について。;
 アリストテレスは生まれながらにマケドニアと関係が深く、小アジアに赴くという決断にもフィリッポス二世の意向が少なからず反映されている。現地でもヘルミアスとの軍事衝突を思い止まるようメムノンに手紙を出すなど両者の調停を何度か行っていた為、我が国における哲学者のイメージ(=政治などの下世話な世界にはあまり関わらない)からすると意外な印象を持つかもしれない。

 作者の「なんとスパイ容疑である」という語りはそうした読者の心情を前提としたものと思われるが、当時のこの地域においてアリストテレスがマケドニアの後援を受けている事、ペルシアの情勢を探っていた事、外交上の役割を担っていた事、哲学者として名を成していた事、研究に勤しんでいた事などは一個人の中に矛盾なく並立できるものであった(イメージとしては、戦国時代の毛利の外交僧・安国寺恵瓊に近いかもしれない)。

 エウメネスがアリストテレスの政治的な側面に無知だったのは、彼がリアルタイムで諸国間の外交交渉を知りうる立場になかった事や、彼が読んだ書物がアリストテレスの学術的な側面を扱ったものばかりだった事が原因ではないかと思われる。

・夢の話について。;
 物語の中では直接描写されていないものの、上記の注釈で紹介したように、キュロス二世の誕生と最期には夢が深く関わっている。誕生の話からはソフォクレス「オイディプス王」を連想した方も多いと思うが、夢の警告を誤解して調子に乗った瞬間に、あるいは上手く対処できたと安堵した瞬間にその人の運命が暗転するという考え方は、ヘロドトスだけでなく当時のギリシア人に広く受け入れられたものだったのだろう。

 エウメネスは、夢は自身の記憶にのみ由来すると考えている。つまりスキタイの記憶である。現時点では拳闘に活かせそうな描写もあり、夢はエウメネスに味方しているように見える。エウメネスは、夢や記憶を通して提示されるスキタイ流の行動で、難局を乗り越えて行くのだろう。しかし、それは永遠には続かない。彼が思い上がった時、スキタイ流の運用方法を間違えているにもかかわらずそれに気付けなかった時、彼の命運は尽きるのかもしれない。


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大人向けの漫画とは?

冷蔵庫の残り物を一気に消化してやるぜ!と色んな具材を入れて料理をしたら大量のカレーが残ってしまった今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。美味しいので三日連続だろうが朝からだろうがコツコツ食べますが、ちょっと調子に乗りすぎたかなと反省はしております。。

それはともかく。


本屋さんに行くと色んなキャンペーンがあって、本棚を一つ使って特定のテーマに沿った作品を集めていたりとか、そうして選ばれた作品群を見るのはとても楽しいものです。とはいえ取り上げられるテーマは無限にあるわけではなく、大抵はどこか別の書店でも見たようなテーマがほとんどです。

ふらっと立ち寄ったお店のコミック売り場で「大人の漫画」というコーナーがありました。常設ではなく、かといって力を入れたイベントというわけでもなく、そしてそこには歴史に絡んだ作品が多く集められていました。以前にもどこか別の場所で同じようなセレクトを見た記憶があるのですが、さて、では「大人向けの漫画」って何だろう?というのがこの文章の発端であります。


まず、大人向けの漫画を考える前に、子供向けの作品について考えてみましょう。より正確には、いわゆる「子供騙しの作品」とは何か?を考えてみます。個人的な意見としては、
・子供にとって未知の領域の話であり、
・しかしその分野に詳しい人はもちろん、少し知っている程度の人にとっても物足りない内容である事
が子供騙しの作品に該当するのではないかと思います。

逆に言うと、子供にお薦めの作品とは、
・子供にとって身近なテーマを扱っていて、
・彼らの純粋な好奇心を満たせるだけの内容を伴っている事
なのかもしれません。子供を騙すには領域を広げるのが良く、一方で彼らに親しみのある分野の話で、もしくは特別な知識を必要としない話で楽しませる事は、相当に難しい事だったりします。

では、本日のテーマである、大人にオススメの漫画とは?
・広く多分野の話題を扱っていて、
・しかも各々の領域においても、さらにはそれらを組み合わせた作品全体としても深みを感じさせる事
というのが、一つの解になるのかなと思ったのでした。そして歴史漫画が大人向けとされるのは、作品を充分に楽しむ上での前提知識を多く求められ易い事が原因なのではないかと。


さて、ここに一つの作品があります。岩明均さんの「ヒストリエ」です。この作品が怖ろしいのは、おそらく歴史的な前提を知らなくとも楽しめる事=上記の話から言えば「子供にお薦めできる作品」である上に、歴史にまつわる詳しい知識を持っている人ほど「なるほど」と考えさせられる描写が随所にある事=上記の定義では「大人にオススメの漫画」でもある点です。

ここでサボり癖のある自分を戒める為に宣言しておくと、「ヒストリエ」の各巻を再読して、歴史上の結末も含め気になった点を書き記していこうと思っています。普通のレビューとは違う形になるでしょうし、何より先の巻のネタバレを避けつつ歴史的なネタバレはやる気満々という変な条件付きなので匙加減が難しそうですが、まずは今出ている9巻分を楽しみながら完成させられたら良いなと思っております。


そんな感じで、最後は余計な話になりましたが、本日はこれにて。

今年の反省と読んだ本について。

時の流れは早いもので気付いたらもう年の瀬どころか大晦日でございますが、皆さま新年を迎える支度は万全でしょうか?来年も宜しくお願いします。

という事で、今年の反省と例年通り読んだ本について適当に書いてみます。まずは前者から。


■今年の反省

何かと時間に追われて、去年までならできていた事が余裕が無くて断念…というケースがちらほら見られた年でした。年内にできれば書いておきたいと思ったネタをつらつらと挙げると、STAP関連の雑感、80年代の音楽ネタ、訃報を聞いて読み返した本の話、サッカーの話などがあります。どの話も突き詰めて考えると難しく、興味があって詳しく考えるが故に逆に文章としてまとめ辛くなるという、哀しい隘路に迷い込む事が多かったと思います。

また、ニュース等を見ていると20〜30年前の出来事が歴史の中の話のような扱いになりつつあり、話者にとって実体験ではないが故に見過ごしていると思われる事柄が少し気になっていました。当時の感覚としてはこうだったとか、通説として成立する過程で捨象されたものを補足する文章を幾つか書いてみたかったのですが、それも手が出せずじまいでした。

そして今年に限らずここ数年の傾向ですが、ユーモアが少なく文章が必要以上に複雑になる悪癖が解消できなかったのも残念でした。来年は頑張ってエロい話なども書いてみたいと思います(笑)。


■読んだ本の中から:中公文庫の「日本の歴史」シリーズについて

確か秋の読書週間前だったと思うのですが、Twitterの「初学者向け歴史本まとめ」的なリストをたまたま目にして、その中にあった本シリーズ9巻「南北朝の動乱」が気になったのが切っ掛けでした。

さっそく本屋さんに向かったところ、シリーズ26冊(+別巻1)の中で見事に本書だけ在庫切れで。。自分以外にもあのリストを見て買いに来た人がいたんだと何だか嬉しくなって、別の書店で全巻を大人買いしました(笑)。

歴史関連の書籍は新書中心に読んでいる方だと思うのですが、日本の歴史をシリーズで通して読むのはおそらく小中学生以来になります(世界史は何度か機会があったのですが)。購入に踏み切る前に不安だったのは、半世紀近く前に刊行されたシリーズを今読む意味があるのか?という事。そして読み切れるのか?という事でしたが、結果的には二点とも杞憂でした。

本を読む事は、究極には著者と直接対峙する形に至ります。半世紀前に当時一流の方々を集めて構成された本シリーズは、作品ごとに質の違いはあれども、密度の濃い対話の機会を多く与えてくれました。そして一冊読了ごとに著者とゲストの対談を別巻で読んだのですが(別巻にシリーズ全著者の対談がまとめられています)、ゲストのお歴々も実に興味深い人選で、対談を早く読みたくて本編の読破が進むという相乗効果(?)が得られました。

また、シリーズを通して読む事で普段は見過ごしがちな時代や地域を知れた事も、大きな収穫の一つでした。例えば上記の作品だと、南北朝時代の南九州の動向などは全く知識のない状態だったので、概略を知れて良かったです。

もちろん、科学分野の発展と同様に歴史分野の研究も半世紀の間に随分と進歩があり、そうした新しい通説が反映されていないのは確かに残念でした。同じく室町期を例に出すと、将軍義政の時代に「三魔」と呼ばれた一人である今参局は、現代では義政の乳母で確定しています。それが本シリーズでは愛妾と説明され注釈もなく。。そうした既に否定された事柄を目にすると、仕方のない事とはいえ興醒めするので、再販の機会などに出版社として何らかの対応をして頂けないものかと思う次第であります。


■今年もおしまい

そんな感じで日も暮れて参りましたので、今年はこれで書き納めとします。
では皆様、良いお年を。

推薦図書の憂鬱

何となく最近考えていた事で、ネタっぽい要素もありつつそれなりに真剣なお話。


まずは近頃の体験談から。自分は基本的に雑食なので勧められれば何でも読んでみる傾向がありまして、世間一般と比較しても先入観や偏見などは持っていないつもりです。だから漫画やライトノベル、2ちゃんねるまとめなども、「面白かった」と言う人があれば時間の許す限り読んでみるのですが。。

それらは確かに面白いものもあればイマイチなものもあり、そうした感想を(相手の感情を損なわない範囲で)報告したり、時には議論めいた事をする時もあります。他人が熱中しているものを必要以上に貶したり、そもそも内容の深さよりもエンタメ要素が求められているジャンルの作品をあれこれ批評するのは違う気もするので踏み込んだ評価は避けますが、何であれ読んだものについて人と語り合うのは楽しいものです。


さて、物事には方向性というものがあります。この場合だと勧める側と勧められる側が居て、それらは適度に入れ替わるのが健全だと思うのですが。。。

哀しい事に、自分が読んで面白いと思った作品を人に勧めたとして、それを読了して貰える可能性が低いのが、最近の密かな悩み事だったりするのであります。悩み事と言うと大げさですが、少し寂しいなぁ〜という感じでしょうか。


例えば、既にバブルは弾けたとはいえ今でも各出版社が力を入れている新書について。スポーツや芸能関連の作品ならば少し反応は違いますが、普通に真面目そうなテーマの作品だと、そのジャンルが何であれ、以前と比べて反応が鈍いなと思うケースが増えた気がします。

ましてや、興味が高じてそうした新書の巻末に記されている参考図書にまで手を伸ばした場合。残念ながら「凄いね」的な感想で話は終わり、該当書を読んで貰える事は最近ではごく稀になった気がします。。


そうした書籍の魅力を伝え切れていないのかもしれない、という個人に属する問題点はひとまず棚上げするとして。ここで問題提起をしたいのは、一般に読む事が推奨されるような書籍、いわゆる推薦図書の価値が、この数年で更に暴落しているのではないか?という問題です。

なお、話を散漫にしない為に、推薦図書という存在の是非についてはここでは問いません。以前に少し書いた気もしますが、ある人にとっては人生の糧となる作品が、別の人にとっては人生を誤らせる程の影響力を及ぼす事はままあります。故に(特に相手が成長途上である場合には)勧める側には慎重さと経験が求められるわけで、そうした可能性を思いやる事なく推薦図書のリストを押し付けて読書嫌いを増やす結果をもたらす方々は害悪と言っても言い過ぎではないとも思うのですが、それについては、これ以上は(笑)踏み込みません。


さて、この問題に対する反応として、例えば以下のようなものがあります。曰く「別に一般に読まれなくても、自分が面白いと思うものを読めば良いのでは?」と。しかし、面白いと思ったものを人と共有したくなるのは自然な感情だと思いますし、また、何かのテーマについてより詳しく知りたいと思う場合、その知りたい気持ちが真剣であればあるほど、他人の介在を求めるものだと思います。つまり、学びという行為における独学の危険性は、それなりの年齢の人にとってはその長所とともに十分に認識されている事だと思います。

あるいは別の意見として、「ブログや通販サイトの感想など、他者の意見を参照できる機会は以前より遥かに増えているのに、何故身近な人の感想を敢えて求めるのか?」というものもあります。しかしこれも、こちらの意見に対して何らかの指摘してくれるわけではない事、仮に自分がブログ等に感想を書いたとしても反応自体が稀な事、などを考えると、気の置けない人の率直な意見を求めたくなるのも道理ではないかと思うのです。

更には「そんなに誰かと語りたいなら、地域の読書会とか大学の専門の先生に渡りを付けるとかすれば?」という意見もあります。それは確かに魅力的な提案ではありますが、既に上級者の域に達するようなジャンルであればまだしも、初心者から中級者に脱皮しようかというレベルだと、やはり敷居が高いのではないかと思います。つまりここで問題にしたいのは、独学で読書を継続でき機会があれば上級者の仲間入りも果たせそうな人達ではなく、読書の習慣と熱意はあれどもそれが挫けてしまいそうな人達をどうすべきか?という事なのです。


昨今は趣味の多様化が進み、更にはデフレ傾向が長く続いた事もあってか「無理して真面目な本を読んでも得るものが少ない」→「気楽に読めて楽しいものが良い」という風潮が一般的なのかもしれません。真面目な本を色々と読んでいるはずなのに行動がアレな上の世代がニュースを賑わす昨今ゆえに、読んでも無意味と思われているのかもしれません(苦笑)。それで良い人はそれで良いと思いますし、無理強いをしようとは思わないのですが。。。

こうした傾向が続くようであれば、特定の分野に詳しい専門家と一般人の間を埋める人材が更に減り、両者の隔絶が更に顕著になるので、社会の諸問題を扱う際に対策を進めるのが難しくなるのではないかな?という大げさな心配事にまで至ってしまったのでした。


話を戻して、個人的に残念な気持ちと世間の傾向を危ぶむ気持ちとは、分けて考えるべきなのでしょう。前者については、残念ではあるけれども読みたいものを読むという姿勢を変えるつもりもないのでまぁ良いとして。後者ですが、一個人がどうこう案じたところで仕方のない事ではありますが、真面目な本を読もうと思えば読める方々が、世間の傾向ゆえに読まずに過ぎる傾向にあるのは、やはり長期的な問題点として認識しておくべきではないかな?などと思ったので、考察の経緯を含めて書き残してみた次第であります。


以上、今日はこれにて。

今年読んだ本について。

年々時間の余裕が無くなっている気がする年の瀬で忙しない昨今、皆さまいかがお過ごしでしょうか。今年もお世話になりました。2014年も宜しくお願いします。

という事で、毎年恒例だったようななかったような記憶があやふやですが、今年読んだ本についてざっくり書き残しておきます。


■全般的な傾向

個人的に、悩みながらの読書が多かった一年でした。それは大きく分けて二つの意味合いがあるのですが、一つは関連書が際限なく繋がって行く為に、そしてもう一つは自分が読みたい類の本を周りで読んでいる人が居ない為に、迷いながらの読書が多くなった年でした。

前者については、思い切りポジティブに考えれば自分の中の要求ラインが年々上がっている証左と言えなくもないのですが、一冊読み終えるたびに参照したい本が十倍に増え、その中の何冊かを何とか読み終えた頃には当初の切っ掛けであった書籍の内容を大半忘れているという、つまり自分の記憶力の貧弱さを示しているとも言えるわけで。残念だなぁという気持ちと、しかし何度読んでも面白いから結局自然に再読してしまうという前向きな気持ちと、両者が絡み合って全体としては楽しい日々であったと思います。

後者については、後で書きますがライトノベルに属する小説を読んでみたり、普段とは違った経験のあった一年でした。という事で、以下ざくっとジャンル別に思い出すまま書き記して行きます。


■江戸時代の思想から古典へ

昨年は岩波で「読史余論」を読んだところ、無情にも読了のすぐ後に講談社学術から現代語訳が出版されたわけですが。今年の初めに荻生徂徠の「政談」がやはり講談社学術から出たので読んでみました。この本はかつて立ち読みでざっと目を通した事がありましたが、印象がさほど変わらないのが面白かったです。つまり、読み始めは「さすがに古いし昔の話として読んでおくか」という程度だったのが、確かに江戸中期という時代ゆえの制約はあれども徂徠の筋の通った考察に次第に引き込まれて行く事になり、読了時には「やっぱり読んで良かったなぁ」という感想になったのでした。

で、そこから江戸時代の思想の概略について中公や岩波の新書を引っ張り出して復習して、そこから小林秀雄の「考えるヒント」や山本七平の「現人神の創作者たち」に寄り道しつつ中国の朱子学成立辺りから春秋戦国まで遡る形でいくつか新書を読んだりして、ついでに古代ギリシャと比較しながらいまいち身に付かないままこの歳になってしまった教養の底上げをしようとして、見事に失敗・破綻したのが夏頃の事でありました(苦笑)。


■先の大戦から戦後史へ

今年は残念ながら政治面で中韓との諍いが多かった一年でしたが、ようやく翻訳されたとネット界隈で話題になったヨーコ・カワシマ・ ワトキンズ「竹林はるか遠く」(ハート出版)を夏頃に読んでみました。戦争を伝えるという意味で広く読まれて欲しい作品なのは確かですが、一方で本書は既に政治的な意味合いを含む存在になっていて、作品の内容とは違った部分で批評が展開される事が多いのが残念だなと思いました。

なので気兼ねなしに読めるものという事から、藤原てい「流れる星は生きている」(中公文庫)を引っ張り出し、そしてハルバースタム「朝鮮戦争」(文春文庫)の圧倒的な叙述に埋没して、内外の戦後史を山川の参考書や幾つかの新書などで確認しながら堪能しました。できるなら、こうした作品を原文で読めるようになりたいものだなと。


■ライトノベル

世間的に盛り上がったのはアニメ化された昨年だったらしいのですが、川原礫「ソードアート・オンライン」(電撃文庫)という作品を読んでみました。もともと自分は、誰か他の人が好きなものについて語っているのを聴くのは好きな方で、それが自分にとって未経験のものでも特に支障はないのですが、やっぱり自分も読んでいる方が会話が楽しいかなと思ったもので。

で、アニメを半年分見るのは辛いし、小説一気読みが一番時間が掛らないという邪な理由で読んでみたのですが。。最近の漫画やライトノベル界隈はメタがメタを呼ぶ展開が流行りかなと勝手に思っていたところ、懐かしの普通にヒーローが活躍する形式だったので意外な印象でした。たとえが古いですが、かつて「ロードス島戦記」を評価していた意見と貶していた意見が、そのままこの作品でも使えそうだなと思いました。

もう一つ個人的な副次的な事として、この作品を一気読みできた事で時間の余裕を考えられるようになりました。つまり時間が無いから他の事にはなかなか手が出せないなぁ…と思っていたのが、他の事は維持したまま、そして気合いを入れて挑んだとはいえ本シリーズを一週間で読み終えられた事で、もう少しやりたい事を広げても大丈夫かなと思えたのが嬉しかったです。これは年末に洋書読み目当てでKindleを購入する事に繋がりました。


■理系本

今年はNHKの白熱教室でも取り上げられたルーウィン「これが物理学だ!」(文藝春秋)とソートイ「素数の音楽」(新潮文庫)が印象に残っています。録画をミスしてソートイの最終回を見逃して泣きそうになったのですが、それぐらい講義も著作も良かったです。両教授の素晴しさは物理と数学の楽しさをそのまま伝えてくれる点にあるのですが、欲を言えばそうしたワクワクする楽しさを満喫しつつも、もう少し内容について語れるように、つまり叙述をそのまま引用するに止まらない感想を述べられるようになりたいなと思ったのでした。

ちなみに年末年始は、既に読み始めているムカジー「病の皇帝「がん」に挑む」(早川書房)をじっくり堪能したいと思っています。


■おしまい

来年はもっとジャンルを広げて、関連本もより広くカバーできるように、そして何よりも楽しく本を読めたら良いなと思います。ここ数年は感想を外に出すよりインプット優先という傾向でしたが、もう少し読んだ本について書き残せたら良いなぁとも思いつつ。何かレビューなりを書けた時には、良かったら目を通してやって下さいまし。

では、今年はこれにて。

テーマ : 読んだ本。 - ジャンル : 本・雑誌

最近読んだ漫画、その2

前回の続きという事で、書く理由は既に述べているので、あっさり本題に入ります。
今夜のラインナップはこちら。


・中島三千恒「軍靴のバルツァー 5」580円
・荒川弘「銀の匙 8」440円
・あさりよしとお「アステロイド・マイナーズ 2」650円
・山本おさむ「今日もいい天気 田舎暮らし編」750円
・山本おさむ「今日もいい天気 原発事故編」750円

山本おさむさんの作品は今年初めの発売ですが、読んだのがこの時期なので。確か7月も残り1/3という辺りでしたが、ここで既に5000円越え。。。



・中島三千恒「軍靴のバルツァー 5」580円

三国志の登場人物の中で、歴史的な役割の割には人気がなく影も薄いと思われる魏の初代皇帝・曹丕さんを主人公に据えた「建安マエストロ」を何故か購入したのが、この作者を知った切っ掛けでした。購入時の事はあまり覚えていないのですが、敢えて曹丕を描くというテーマの面白さと、単に萌え系をターゲットにしただけの内容に乏しい作品かもしれないという危惧とで、迷った末に買った気がします。連載雑誌が廃刊になったらしく、続巻は難しそうだなと残念に思っていたら本作の存在を知って、こちらを読み始めたのでした。

本作は、仮にタグを付けるならば「空想戦記もの」という事になると思います。本作を通して窺える作者の知識と構成力ならば実際の歴史を舞台にした作品でも良かった気がしますが、19世紀末という大きな時代の変わり目と、そこで生きる登場人物たちを描き切るには、この形が最適だと判断されたのでしょう。そしてその選択は、この5巻の時点では成功していると思います。

本巻の特徴として、まず撤退戦が丁寧に表現されている点が目を引きますが、やはり一番印象的なのは主人公が明確に時代の変化を意識した事、正確に言うと戦場で自らの目の前でそれを認識させられた事だったと思います。一方で、来るべき未来の戦場の姿を容易に推察できるほどに、主人公の戦術がこの上なく綺麗な形で成功を収めた事は、人によってはリアリティという点で引っ掛かる部分かもしれません。それは先に述べた設定を架空にするか実際の歴史にするかの選択に関わって来る事で、その評価は今後の展開次第となるのでしょう。

興味深いのは、戦術や本巻で扱う撤退戦も含め作者が戦争の細部に詳しいからなのか、作品として設定を広げる時期とそれを活かして話を進める時期の切り替えがスムーズに思えるところ。あまり否定的な形で他作品を持ち出したくはないのですが、例えば本作と読者が重なりそうで自分も1巻を楽しく読んだ「狼の口 ヴォルフスムント」は、2巻で物語を動かすべき時期に更に話を広げにかかった事で、個人的には興醒めでした。考えてみると不思議な事ですが、適切でないタイミングで必要以上に話を大きくする事は逆に作品から深みを奪う事が多いだけに、その切り替えのタイミングを見失わずに連載を続けて欲しいものです。

大きな変化の節目となる時代にあって、その時代の空気を描くと同時に、国も個人も否応なく変化を迫られ苦闘する姿を何とか描き切るという、実に困難で壮大な課題でありますが、続巻でも引き続き挑んで欲しいものだなと思いました。


・荒川弘「銀の匙 8」440円

この作品もジャンルとしては少年漫画になると思うのですが、週刊少年ジャンプ系の作品との微妙な差に気を取られるからか、自分としては少年漫画と表現する事に躊躇する部分があります。それはジャンプとサンデーの対象年齢の僅かな差(後者が少しだけ上)に加え、というよりも以下の点こそが本質だと考えるわけですが、歴代のサンデー連載作の雰囲気を踏襲している事が大きいのではないかと思います。

サンデーに特徴的な要素とは何か?と考え出すと難しいですが、ここではそれを網羅するのではなく、特徴の一つのみを取り上げて考察してみると、あくまでもジャンプに比べてという事ですが、より都会的な雰囲気が出て来ます。詳しくは登場人物の年齢や設定が近い作品を比較する事で判断して頂くとして、その雰囲気が本作の舞台である農業高校の日々を一歩引いて観察する形に読者を導きます。

もしも本作をジャンプで連載していたなら?思考実験の類いですが、個人的にはより現場に近い泥臭さが漂う作品になっていた可能性が高いと思います。その場合、作中人物により近しい距離と視点から作品を味わう事になったと思いますが、一方で主人公とは違う一人の仲間としての立場が意識されたのではないかと。それが本作では、もちろん主人公と自己を同一視して読み進めるのは不可能ですが(対象年齢の影響)、しかし部外者として主人公の視線に寄り添うという形で(都会的な距離感の影響)、ある意味ではより感覚的に、登場人物たちが属する世界をより身近に味わえるのではないかと考えました。

正直に言うと、そろそろマンネリの雰囲気が出て来るかと身構えながら読み始めた本巻でしたが、作中の厳しい展開に主人公も人一倍巻き込まれる状況で、しかしそれを一定の距離を置いて読者に提示している事で、作者の描きたかった事をより上手く読者に訴える結果になったと思ったのでした。

最後に、本巻で一番印象に残った場面。それは巻末のおまけ漫画「三人のスーパーサイヤ人と農民」(タイトルうろ覚え。。)だったりするのですが(苦笑)。この漫画のコマの中で、作者は自身を卑屈に描くことも卑下することもなく、読む人を笑いに誘っています。これは本作の悩める主人公・八軒くんの描写とは好対照で、先のタイトルで言うと農民の部分が重すぎるのが現在の彼の立ち位置なのでしょう。ちなみに八軒兄は先のタイトルにおけるスーパーサイヤ人の部分が軽すぎるわけで、そうした対比が面白かったのでした。


・あさりよしとお「アステロイド・マイナーズ 2」650円

近未来SFもの、と言ってしまうとまたニュアンスが微妙ですが、この作者の特徴が良く出た作品でした。

作者の宇宙に対する姿勢は、理論や技術の進歩に心を惹かれる部分と、現実的にそれを運用する際の限界を強く意識する部分とが混ざり合った複雑なものですが、それは個人的には妥当なものに思えます。その二項の対比に加えて、理論や技術に限界までを正確に読者に伝えたい思いと、その一方で特に限界という点を極端に露悪的に、正確さには欠けても読者に強く印象付ける形で示したいという思いとが、作者の中ではせめぎ合っているのでしょう。そして後者の救済として、80年代的な可愛らしいキャラクターとコミカルな要素が現れる作品になっています。

本作で印象に残ったシーンは、勝手に計算を始めておいて数値の持つ意味に自分自身が動揺して逆ギレする場面でした(苦笑)。現在の宇宙ステーションも、地球からの補給なくては成り立たない巨大なゴミに近い存在だという事を改めて意識しつつ、それでもあの場所で敢えてやるべき事は何か?といった自問自答に読者を導く良い作品だったと思います。


・山本おさむ「今日もいい天気 田舎暮らし編」750円
・山本おさむ「今日もいい天気 原発事故編」750円

最後は二冊まとめて。作者の山本さんについては、将棋界の最高峰A級リーグに在籍したまま夭折した棋士・村山聖さんを描いた作品がある事、その村山さんと同じ病気を奥様が患っていて、くしくも連載中に亡くなった事など、ゴシップ的な話は知っていたものの、単行本をきちんと読むのは初めてです。友人のレビューを見て自分も読んでみたのですが、読む前から作者に寄り添う気持ちがあったので、客観性に欠ける感想になるかもしれません。

本作は共産党のしんぶん赤旗で連載され、2008年から09年に福島で始めた田舎暮らしを描いたものと、2012年に原発事故後の暮らしを描いたものと、計二冊になります。連載媒体による作品への影響は特に感じられず、地に足の着いた毎日を過ごしている作者の人柄が良く出ていると思います。

冷静に見ると、作中における作者の意見や行動は、おそらく誤解ではないかと思う部分もあります。しかし、ある事柄が正しいか間違いかではなく、福島に生きる個人が事態の推移をどのように受け止めたかという点で、本書の描写は価値があると思います。

個人的には、正直に言って一般的な反原発運動には殆ど共感を覚えません。80年代から面々にあまり変化がなく、当時ですら空論が目立った発言内容は更に劣化して、原発反対を神聖不可侵なまでに崇めて反論を許さず糾弾する方々を尊敬できないのは当然だと思うのですが。それ以上に、彼らの行動が原発を稼働も廃炉にもできない放置された状況に追い込んでいる事(後に言及する賛成派との間の落としどころがこの結論になる)。米の全量全袋検査など本作でも描写されている農家の努力を、根拠なく危険を煽る言説で台無しにしかねない事。同様に非現実的な感情論で、かつて結婚という問題に悩んだ被爆者と同じ苦しみを福島の若い人たちが背負う未来に誘導している事。これらを考えると、馬鹿らしい運動に関わるよりも、辛い思いをしている現地の人にせめて心情だけでも寄り添っていたいと思います。反原発と叫ぶのを躊躇する身が、果たして彼らに同情を寄せて良いものなのか?と自問しながら、それでも結論は変わりません。

一方で積極的・消極的を問わず原発に賛成する層も、安全神話が崩壊してなお危機の際に妥当な対処を提示してくれる現実的な対策マニュアルを作る事もなく。今後の事故の可能性はゼロでは無いと言いつつも経済的な観点から、もしくは防衛的な観点からそれらしい説明を提示して(残念ながらそれらの説明は、間違いとは言わないまでも底の浅い極端に限定的な説明が大部分に思えます)。危険性には目を瞑れと暗に強要し、反論は内容が妥当であっても許さない空気を醸成して個人を責めようとする辺り、反対派と行動様式としては何ら変わりないと思えるわけで。何より国家であれ企業であれ専門家であれ、一般の国民から海外の識者に至る多数の信頼を著しく損ねた事は本当に頭の痛い事ですが。作者を始め当事者が彼らを責めるのは当然の事で、心情的には気の済むまで言わせてあげたいと思いつつ、被害に遭われた方々の未来に繋がる事を最優先に考えながら、微力でもできる範囲で力になりたいものだなと改めて思えた作品でした。


・おしまい

最後の方は作品の話というよりは個人的な怒りが先に立って、現実に苦労されている方々を思うと出過ぎた事になっていますが、、、読み流して頂ければ幸いです。

以上、今日はこれにて。


テーマ : 漫画 - ジャンル : アニメ・コミック

最近読んだ漫画

この二ヶ月ほど、漫画への出費が妙に増えている今日この頃なのでありますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか?という事で、いったい自分は何を読んだのだろう?という記録と、それから批評という点で特にマイナス面について過不足なく描写する練習をしたい気持ちもあったので、以下でつらつらと書きつくって行きます。とりあえず7月購入分から発売日順に、まずはこの4冊。

・和月伸宏「るろうに剣心 特筆版 下巻」460円
・松井優征「暗殺教室 5」420円
・宮下英樹「センゴク 一統記 4」590円
・吉田基已「夏の前日 4」630円

って、発売日に買ったわけではないにしても、7月4日と5日だけで既に2,000円オーバーでしたか。。。



・和月伸宏「るろうに剣心 特筆版 下巻」460円

映画化に合わせて出た、原作のパラレル的な内容の作品。何だか懐かしいな〜と思いながら軽く読み終えてしまったのですが、続編の期待に繋がるという事でまぁ良いのではないでしょうか。興味を惹かれた方は……原作を読んで下さい(苦笑)。

で、原作の話を思い付くまま。個人的には薫さんの見開き2ページに亘るインパクトあるお姿以降はあまり印象に残っていないのですが、そこまでは良作だったかなと。週刊少年ジャンプ600万部を支えた作品が次々に終わりを迎え、発行部数が右肩下がりになる状況で、看板作品としての重荷を背負うに値する作品だったと思います。

強く記憶に残っているのは、ジャンプ本誌で連載の最終回を迎えた時の事。雑誌の巻末に連載作家のコメントがありますが、その中で冨樫義博さんがねぎらいのコメントを載せていたのが印象的でした。自身も「幽☆遊☆白書」連載時にジャンプの全盛期を支える中核の一人だっただけに、そしてジャンプ黄金時代の連載陣の中でほぼ唯一その時連載を持っていた身として、90年代後半のジャンプを孤独に支えた和月氏に宛てたコメントには、表現としては通り一遍のものでしたが、表面的なものには止まらない重みを感じたものでした。

ついでに作品以外の外部的な話としては、作中に十本刀というキャラクターが出て来ますが、その中の「オカマの鎌使い」を提案したのが後のワンピースの人で、「ずる賢い小人の老人の相棒たる純朴な巨人」が後のシャーマンキングの人のアイデアで、いずれもこの作者のアシスタント出身だったりします。更に「ヒカルの碁」や「デスノート」がヒットする以前から小畑健さんへの敬意を各所で語る等、自身の作品を越えた漫画界への貢献があった方ですが、その要因を端的に述べるなら、作者の漫画への姿勢に由来するものではないかと思います。

最後に、作品の内容で一番記憶に残っている事について。それは主人公の奥義習得に至る展開なのですが、抜刀術において更に一歩踏み出すというネタは、ほぼ確実に藤沢周平さんを意識したものだと思います。この作者が件の短編を読んでいないわけはないと思うのですが、それをパクリだと言いたいわけではなく。むしろ、そのネタに至るまでの過程を少年漫画として描写できていた辺りに、作者の実力と人気の秘訣があったのではないかと思うのでした。

例によって初っ端から長々と書いてしまったので、長さを控え目にどんどん行きます。。。


・松井優征「暗殺教室 5」420円

年々ヒット作に疎くなる上に最近は長期連載が増えているので、名前は知っていても読んだ事のない作品が目白押しの昨今、上で話題にしたワンピースなども実はあまり詳しく知らないのですが。。本作は、珍しく自分が読んでいる最近の少年漫画になります。作者がネウロの人という事は知っていても、きちんと読んだ事がないのでそれ以上の情報はないまま、偶然表紙に惹かれて初巻を購入したのでした。

で、最近の少年漫画の流行りがいまいち掴めないので的外れかもしれませんが、真っ当な少年漫画だなぁというのが第一印象でした。

本作には救いようのない人たちが出て来たり、そもそも作中の中学生たちに与えられた課題が担任教師の暗殺というのだから、むしろ青年向けの作品ではないかという評価が聞こえて来ても不思議ではないと思います。ただ、「ハレンチ学園」から最近話題の「はだしのゲン」、「シティハンター」に「ジョジョの奇妙な冒険」など、これらジャンプ連載作品は当時の少年たちがリアルタイムに読んでいたわけで、作品のテーマのみで少年向けか青年向けかに分けるのは乱暴な話ではないかなと。

では、何をもって少年漫画と言うべきか?となるわけですが。単純に子供が読んで楽しいものと考えると、本作は展開を進める時のタイミングが良く、これは作者の天性なのかもしれませんが、どれほど奇妙な登場人物が出て来ても、そこから読者が守られているのが凄いものだなと思います(敢えて言うと、「はだしのゲン」はこの辺りが微妙なのは確かで、児童によって閲覧させない選択はありかなと思います。一律禁止はもちろん論外ですが。)。


・宮下英樹「センゴク 一統記 4」590円

本作も長いなぁ、、、と思いつつ購入を続けていますが、飽きが入っているのが正直なところ。。最近、日経新聞の土曜朝刊にてお勧め歴史漫画として挙げられていましたが、お勧め書籍ランキングにあった網野さんの作品共々、無条件では賛成し難いのが困ったところです。まぁ、あのランキングは以前からステマの疑いga…(自粛略)。

さて、この作者の問題点は女性が描けない事で、それがストーリーに絡むと、比叡山焼き討ち辺りを筆頭に物語が破綻しがちなのが残念なところ。そうした自身の欠点を意識して何度も挑もうとする姿勢には好感が持てますが、失敗続きだとさすがに評価も厳しくなるわけで。。一方で男は?というと、少なくとも一つの型はあります。ただ、パターンが一つだけなので、今川義元も山県昌景も今回の信長さんもとなると、さすがに飽きて来るのが辛いところ。

戦争から政治まで、従来とは違った視点からの描写を通して歴史を広げているのは文句なく作者の功績であり特徴でもありますが、娯楽漫画であるからには歴史の解説に止まらず物語とのバランスが求められるわけで。15巻ずつ完結とはいえ連載も長くなって来ましたし、興味を惹かれた方には本編ではなく外伝的な「桶狭間戦記」全5巻をまず読んでみるのが良いのではないかと思います。

最後に、最新巻の中で印象に残ったのは、本能寺を成し遂げた後に泥縄的に戦略を練り始める光秀を評価する下り。一般に、光秀の準備の稚拙さや秀吉の対応の機敏さから、前者を貶し後者も時には陰謀論的に扱う意見があります。しかし、イレギュラーな状況でいかに体勢を立て直せるかは、特に戦国の世では最も根源的に問われかねない資質だと思うわけで。その意味で、金ヶ崎を経験した光秀・秀吉・家康の三者(異説あり)がいずれも意図のある行動に素早く転じた事はもっと評価されるべきではないかと思っていたので、本巻の描写は腑に落ちました。


・吉田基已「夏の前日 4」630円

4冊分の感想を書くだけで今日は精一杯という気がして来ましたが、余計な事は考えずに次の作品。もともとは表紙買いだったのですが、時代設定を惑わせるような奇妙な雰囲気が気に入って読んでいます。

20代の学生と社会人が狭い人間関係の中でラブコメを演じるわけですが、その辺りのやり取りはあまり惹かれないのが正直なところ。それは主要人物の内面、特に悩みが描写し切れていない事に原因があると思うのですが。。とはいえ、仮に編集者の立場になったとして、本作にそうした深みを求めるべきかは難しい問題なのも理解できるので悩ましいですね。。

また、サービス・シーンが時々出て来るわけですが、絵そのものはともかく、流れに沿って読み進んだ時にさほどエロくは感じられないのが残念で。本巻でも、行為としては過激な事になっているものの、作中人物も描いている作者も無理が見えて興ざめしてしまうのは、あるいは自分の年齢のせいなのか。もしもそうだとすれば何だか寂しいものでありますが、もっと若い頃に読んでも同じ感想だった気がします。

話としては確実に波乱に向かっている最中ですが、どのようなカップリングに落ち着くかよりも、物語を上手くまとめて欲しいものだと期待しております。



・ひとまずお終い。

このペースだと7月だけであと2回ぐらい書かないと駄目そうですが。。。続けられるだけ書いて途中で放置する事になると思いますが、宜しければもう暫くお付き合い下さいませ。

以上、今日はこれにて。


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