それで空白主張したいなぁ(BlogPet)

JFKは導入するはずだった。
それで空白主張したいなぁ。

*このエントリは、ブログペットの「JFK」が書きました。

充実から絶望へのルート

今月は、久しぶりに記事が20に達した先月の反動が来ているという話もありますが、書くよりも読む時間の方が多かったのと、ちょっとした燃えつき感みたいなものもあって、何とか10の大台に乗せるのが精一杯でした。で、ちょっとそれに関して。


結論としては、「1Q84雑感」と「1Q84考察」を書き上げたのが今月の成果でした。ワードカウントしてみたら後者は何と6,000字オーバーで、二つ合わせると約10,000字だったのは我ながらビックリ。で、書き終えた直後は自分としてはよく書けたという満足感があって、この2年ほど(特に去年は)色々と試行錯誤をしながら文章の幅を広げようと頑張っては失敗しての連続だった気もするのですが、ここに来てそれがちょっと報われている感じを受けていたのでした。

具体的には、考えている事をそれなりに過不足なく書ける様になって来たなぁという事で、2年前と比べると同じ分量で同じ様な内容ならば書く時間が2/3ぐらいで済んでいる様な印象も持っています。上記の記事は少し書き過ぎている部分はあるのですが、書いている時の勢いを重視してそのままアップしました。読み返してみると書き漏らしている事を幾つも思い当たりますが、それらも本筋には関係ないので良いとして。問題は、何とか文章に出来てしまう程度のことしか考えられていないという事。つまり、内容に改善の余地を感じてしまうところです。


かつてradioheadが名盤「ok computer」を完成させた時、Tom Yorkeはその一週間後にはとても深い絶望に陥っていたと聞いています。あまりにも手応えのあり過ぎる作品を作ってしまった為に、次に何をすればいいのか、全てが分からなくなったが故の事だったとか。このように、充実感と満足を感じたのも束の間、すぐに絶望感と不安に溢れた精神状態に移行するのはよくある事なのでしょうけれど、自分の場合もそれと似たような精神状態の変化があったのでありました。

まずは既に書いた内容への不満で、これは考えている事と書く事の差というか、そこに余裕があまり感じられない事に課題を見出してしまったり。それ以外にも、ある程度複雑に絡み合った状態の思考でも文章にできる自信の様なものができつつあるのですが、難しい事を難しく書けるだけではやっぱり駄目だろうと。もう少しすっきり明確な書き方で、かつ内容を落とさずに書ける様にならないと、と思ったり。そもそも、既に読み体験した事にも関わらず、考えの中に関連させられない事が多すぎるというか。読んだはずなのに内容を語れないとか、大事な場面を忘れていたりとか、そうならないように特に名作はまた読み返さねばと。そんな感じで、やるべき事が次々と浮かんで絶望失望↓な状態の月末なのでありました。


とはいえ、最終的には楽観的な血が物を言うというか。不満点を一度に解決させるような無理は考えても仕方がないし、少しずつやっていくしかないと思いながら、本を読んで作品に夢中になって自らの課題をそっちのけにして後で気付くという流れが多いのですが(笑)。上記の記事もそうですし、4〜5月辺りは記事を書くのが楽しくて仕方がないという状態で書き殴っていたわけですし、こうした楽しむ気持ちも疎かにしないように気を付けないといけないなぁと思いながら、書く能力の向上を志す今日この頃なのでした。


あと、話ついでにもう少し。文章の書き手は特定の単語について、辞書的な意味の他にもある特別な意味を含ませて使っている事がよくあります。ある作品で重要な意味を持っていた言葉を使う事で、単語にその作品全体の意味を付与してみたり。大抵の場合はそんな細かいところまで本文では明記されないので「分かる人にしか分からない」という感じになりますが、経験を積んで辿り着く先というのは、一つの単語の中に色んな作品の意味が加味されている、そんな言葉を駆使する状態なのかもしれません。それはまさに言霊と表現して良い様な感じで、つまり言葉に霊が宿るとはそういう事なのかも、とか。言霊とはまさしく言いえて妙だなぁ、とか。そんな事を考えていたので少し浮世離れしている部分もありそうな昨今ですが、とりあえず元気に楽しく過ごしておりますので、来月もまた宜しくお願い致します。


以上、今日はこれにて。
読んで頂いてありがとうございました。


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マイケル訃報

学生時代に、マイケル・ジャクソンにバイト代の全てを捧げていた同級生がいた。マイケルに対するゴシップ的な揶揄に、マイケルのアーティストとしての能力を主張して反論していた彼のような存在は、マイケルの心に届いていたのだろうか?

YouTubeのコメント欄に並ぶR.I.P(*)という言葉が涙を誘う。


Jackson 5 singing I want you back

この可愛らしい坊やが、才能にも恵まれていたのに、どうしてああいった人生を送らねばならなかったのか?


YouTube - Heal the world (live)

マイケルはそっと、夢の世界へと旅立って行った。今となっては、彼の存在そのものが、夢だったのか現だったのか。ようやく自由を得たマイケルが、今頃は妖精たちと一緒に、「月での散歩」を楽しんでいる事を願いつつ。


今日はこれにて。



(*)ラテン語でrequiescat in pace、英語ではrest in peace、日本語では安らかに眠れ。


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空想(BlogPet)

きのうは空間っぽい空想したかったの♪

*このエントリは、ブログペットの「JFK」が書きました。

1Q84考察

前回の「1Q84雑感」の続きです。のっけからネタバレと妄想全開になるかと思われますので、小説の内容を知りたくない方はまた後日にお出で下さいませ。という事で、いきなり話を進めます。



・深読みというか妄想したこと

読みながら、ある種の陰謀論を考えていました。きっかけは、リーダーの言葉を全て信じて良いのか?という疑問。自分とは直接関係が無い事には誠実に答えている印象があるものの、彼の生死が影響を及ぼす事柄については、謀っている可能性も否定できないというか。交渉という事を考えた時に、彼が裏の意図を隠し持っていたり、少なくとも意図的に語らなかった部分があると考える方が自然な気もします。これはリトル・ピープルの一部のセリフも同様。

で、話ついでにリトル・ピープルについて。最初は式神とかコロポックル的なものかと思っていましたが、普通に七人の小人なのかなぁと。ただ、「本当は怖い」的な白雪姫ベースなのが不気味なところ。つまり彼らは森に生きて自らの欲求を満たせる人材が得られればOKで、人に直接影響を及ぼす事は出来ないものの、人や動物の弱い部分(精神面)に付け込む事で自分たちに都合のいい状況に持ち込む力がある、という感じでしょうか。父親との関係はさておき、本文ではふかえりの母親も母親的な存在もまるで語られていない辺りが、色んな想像を可能にしています。村上作品に即した説明をすると、作中で言及されている遺伝子のイメージ+羊+やみくろ、という感じでしょうか。「かえるくん」を召還できたら全ては丸く収まる・・・と良いのですが。


それから、book1で「ニンシンしたくない」(1-p.370)と言ったふかえりと、book2で「『わたし』はニンシンしない」(2-p.308)と言ったふかえりが同一人物なのか否か。仮に後者がドウタだったとして、前者もそうなのか、それとも違うのか?いずれも完全には否定しきれない部分が残るだけに、どう考えるかが難しいです。そもそもこの小説世界の構造的に、実体というか実存が相当に揺らぎ易い傾向があるわけで。量子力学的な確率的現象として整理すると一番すんなり理解できるかもしれません(ってのはもちろん冗談ですが)。


とりあえずはこれらの理由から、読んでいる時には『羊をめぐる冒険』の更に悪いパターンというか。羊が後継者を(本人の自覚なしで)首尾よく手に入れたという結論が本線かな?と思いながら読んでいました(で、その見返りとして、無意識下の願望を現実化させたと)。この辺りは、文字通り猫と「鼠」の寓話が示唆するところでもあるのですが、そうなると最終章の描写が恐ろしく自己満足で、実体の青豆さんが哀れすぎです。結局はオハライも天吾の空気さなぎも彼の中の空白を維持するための手段あるいはアイテムに過ぎなかったという、ある意味では自業自得な救いのない結論を、一見前向きな、ちょっと魯迅の『故郷』を連想させるような描写で覆い隠して締め括っていたのであれば、なかなか凄いものだと思います。ま、外す確立の方が断然高い空想というか妄想的な解釈ですし、本命に対する大穴のような説ですが。。



・今後の展開

個人的には、book3が出る方に一票。『ねじまき鳥クロニクル』と同じような形で、少し間をおいて続編が出るのではないかと。この2冊を読んだ限りでは、もしも続編があればそれは既に書き終えている印象で、ただそれがあと1冊なのか2冊なのかは全く分かりません。また、可能性はまず無いと思いますが、一旦完結したこの物語の更なる続きを、作者が新たに書き継ぐ展開にも期待したいというか。まぁこれは『ねじまき鳥クロニクル』第三部の発売がアナウンスされて以来の希望なので、叶わなくても気長に待ちますよと。そんな感じです。


内容的には、素直に考えれば青豆は死なずに組織に囚われ、酷い状態には置かれるものの「101号室」ですら彼女の意思を覆す事は出来ず、天吾の精神的に前向きな姿勢が遂には「森」への入り口を見つけ出して(作品を書く事が彼にとっての「井戸」になる)、彼女(と場合によってはふかえりの実体も)を取り返すという展開。ただ、この場合は今までの村上長編の集大成みたいな感じで、あまりに予定調和でイマイチ面白くないだけに難しいところ。でもまぁ、こうした基本的な物語を軸に構造を複雑に階層化するのは作者の力量ならば可能でしょうから、本命と言えば本命な感じです。

上に書いた妄想に従うなら、二人の巫女を傍らに天吾が王国の建設を無意識的に目指す展開になるのでしょうか(天吾の作品が持つ意味が、本命説とは完全に逆転する)。その場合、老婦人や戎野先生のポジションが問題になりそうですが、それらを消化しつつ、観念上の処女性に基づいた受胎にまで話を進めるのかどうか?といった辺りが気になるところであります。って、ここまで行ったらホントに妄想以外の何物でもないですが(笑)。

あとは物語の締め方で、例えば4冊組みになった時に、book3が10月-12月で一旦終わり、book4が1Q84年の1月-3月で、そのままbook1に引き継ぐ展開だったらどうなるか?なんて考えてみたり。単なる循環構造ではなく、イメージ『ドグラ・マグラ』的な多層構造が入り乱れる形だと面白そうです。あと、3冊組みだったら、『平均律クラヴィーア』の次は『コルトベルク変奏曲』辺りを希望したい気持ちもありつつ・・・ってネタに走っていますが(笑)。


まぁ、色々と考えてみましたが、結局は素直な展開から、最初に書いたように「その後の二人」を書き継ぐ展開というか。約10年が過ぎて、新たな後継者の下で急速に組織を回復させた「さきがけ」と向き合う二人を軸に、現実とは更に異なった世界が展開される『1QQ5』なんてのに続いて行くのが個人的には一番楽しめそうです。そういえば、時期を前倒しして地震が物語に影響を与えるかも?という微かな期待もありましたが、さすがに場違いだったみたいで。その意味でも、続編として1995年を扱ってほしいなぁと思うのでありました。



・小説世界の構造について

物語の最後の段階では、青豆も天吾も同じ1Q84年に存在する事になっています。ただ、彼らは時間軸は共有していても空間を共有しているかは断言できない雰囲気があって、少なくとも青豆は違いを確信しているみたいです。相対論を連想させる記述が作品の中にいくつかあったので余剰次元とか、あるいはクラインの壺などを導入するとすっきりまとまるのかもしれませんが、そのモデルだと自分の能力が追いつかないので(苦笑)分けて考えると。。

空間については基本的に青豆は天吾の小説の中の世界、天吾は最終的に1Q84年の世界に存在していて、小説世界での出来事が現実を変容させるようなモデルと捉えてみます。一方の時間軸ですが、1984年→移行期→1Q84年という流れがあり、少なくとも右端に辿り着いた時点で左端には戻れないと考えられています。1Q84年を象徴するのは二つの月で、青豆は早い時期に、天吾は物語の終盤でそれに気付きます。移行期には、物語の始まりと同時に入ったと考えられます(非常階段を降りる時ではなく)。


難しいのは、青豆がどのような変遷を経て1Q84年の小説内世界に辿り着いたのか?という事。1984年の青豆が移行期を経て1Q84年に、更には「さきがけ」と絡む辺りで小説内に取り込まれたのか?それとも、最初から小説内に存在していて、ただ時間軸だけが1Q84年へと変化したのか?話としては前者の方が含みが多くなるのでそちらを本命とすると(背理法でそれなりの確証は得られそうですし、気分的にもそちらの方が良いので(笑))、では何が青豆を不思議時空に引きずり込ませたのか?

これは、例えば入れ子構造の連続として捉える事が可能です。ただ、どうやって?という疑問が残りますし、それは先行きの不安に繋がります。つまり、本命の路線である「二人の再会」が実現する為には、いずれかが時空を超える必要があるわけで。で、説明が難しいので論理の飛躍が多くなりますが、「小説の中の世界」という表現が紛らわしいのであって、青豆は「天吾の潜在意識に取り込まれた」と考えると、SF的には話がスムーズになります。漫画で言うと『レベルE』の野球部バス消滅事件みたいな感じ。その場合、天吾の精神面の変化が青豆の解放に直結するので話の流れがスムーズになりますが、いずれにせよ、語られていない部分を大幅に補った上での推測なので、苦しいところが多々あるのが残念なところです。



・その他、連想した作品とか

lunaticの話からは普通に『the dark side of the moon』で、終盤でeclipseが生じて全ては闇へと・・・という結末なのかなぁと邪推してみたり。そういえば、基本的には印象の悪い終わり方を(少なくとも表面的には)しない村上作品ですが、暗い結末を予想させる作品を連想する事が多かった気がしました。

例外としては、特にどの場面というわけではないのですが、藤子F先生の作品が読みたいなと何度か思いました。『ドラえもん』で影を切り取る道具が出てくる話がありましたが、実体が乗っ取られる恐怖もさることながら、その事実を当人が知る前の作中に漂う不気味な雰囲気とか(『大長編』などでよく出てくる)。より現実的な恐怖を提示する事もできるはずなのに、物語の主眼をそこには置かない一連の『SF短編』もので味わえる空気とか。あの感じをまた体感したいなと、読みながら思っていたのでした。

その他にも色々あった気がするのですが、あんまり思い出せないので、「連想した作品」は企画倒れという事で・・・(苦笑)。



・まとめ

小説の読み方は、2つの軸の組み合わせによって、大まかに4種類に大別できます。1つの軸は「浅く読む」か「深く読む」か。もう1つの軸は「肯定的に読む」か「批判的に読む」か。そして、いずれの軸でも、傾向的に後者が前者を批難したり見下します。ちなみに自分の場合は、前者の軸については「深読み」を志していますが、後者の軸は是々非々で臨んでいるつもりです。ある意味ズルイ立ち位置です(笑)。

前回の「雑感」を書き終えた後で、既に自分が書く内容は固まっていたので、いくつか他の方のレビューなりを拝見してみました。そして読みながら彼らを上記の基準に従って分類し、更に再構築を試みてみました。その結論は、村上作品とは、つまり想像力に訴える作品ではないかという仮説でありました。


例えばある読者は、作品の中の特定の要素:音楽や料理や主人公のライフスタイルや、それらにリアリティを感じて共感します。場合によってはそれを現実に実行に移し、買ってきたヤナーチェクのCDを聴きながら料理を作ったりします。逆にある読者は、それらにはまるでリアリティを感じません。それどころか、作者の文体に気味の悪い嫌なイメージすら持ちます。これは、単に知名度のある作家だからという説明も出来そうですが、それにしては嫌悪の度合いが激しい方が多すぎる印象で。それよりも、村上作品が彼らに負の想像力を与えたと考える方が無難かと。つまり、方向性は逆でも、作品から受ける印象と、それによって自分の中で発揮される想像力の強さという点では共通しているわけで。後者の場合は、それを無意識的に昇華する為にも前者の読者への批難に走り易い傾向がある、と説明できるのかもしれません。確実に怒られそうですが(笑)。

小説を深く読める読者が村上作品を否定的に語る時、彼らは読者への批判以外にも、自分がよりリアリティを感じられる作品を連想する事での昇華が可能です。故に、比較的冷静で建設的な批判の割合が増えます。そして、肯定的に深く読む読者は、作者の物語りを補完し、自ら作品をつむぎます。そこで必要とされるのは、いずれも想像力です。


あまり解説本なりを読んだ事がないので印象論ですが、村上作品の読み方というと解釈をもっぱらにしている感を受けます。そしてそれは、個人的には小説の自由度を狭める事になると思います。解答が必ずある保証も、それが一つに定まる保証もない状態での読書は、確かにある意味ではストレスかもしれません。が、自分の中で作品を自由に処理できる経験がもたらす恩寵に比べると、ごく小さなリスクに過ぎないわけで。故に、村上作品の読み方として一番面白いのは自分自身というブラック・ボックスを通して作品を再構築する事で、出て来たものが仮に稚拙なものであったとしても、一般には受け入れられにくいものであったとしても、さほどの問題ではないのではないかと。

そう考えて作品に向き合ってみると、言葉の使い方や状況設定、そして明文化されている範囲などの面で、作者の意図が行き届いているのが分かります。特にこの作品では、いつにも増して徹底している印象です。それは、より直截的に言うと、読者にとって作中の色んなものが実に使い易い状態にあると。こうした、ある意味で読者に下駄を預けすぎる姿勢は、また新たな作者への批難に繋がるかもしれません。しかし、「雑感」の最初の段でも触れたように、そのズルさは作者の技巧の上手さとバーターなわけで。


もう少し具体的に言うと、村上作品においては「最低限」が行き届いている印象を受けます。これは芸術作品が往々にして「最高を目指す姿勢」を強要されるのと対照的で、そこに基づいた批判も多いのだろうと推測できます。しかしながら、最高に拘るほど振幅が大きくなるのは確実なわけで。結果として駄作が増えたり、作品内でも稚拙な部分とあまりに巧妙な部分とが同居し易い傾向があると考えられます。

一定の水準をキープする姿勢からは、新しい思想や理論はまず生まれません。作品内におけるテーマも、分かり易い形で小さくまとまりがちです。それらを駄作の証とするならば、この作者が傑作を生む事は無いと言えるのかもしれません。しかしながら、仮に評価の基準を変えてみると。つまり、作品を読んでいる最中の吸引性というか粘着性というか、現に読書中の人に与える印象の強さという点では、この作者は桁外れの実力を誇っています(仮にそれがマイナスの印象で、また読後急速に失われるものであったとしても)。

ことさら作者を擁護するつもりも、あるいは瑕疵を見逃すつもりもありませんが、こうした「最低限」の姿勢に担保されて読者の「想像力」に挑みかかる作品を生み出しているという点で、この作者の存在はやはり興味深いものがあるなと。改めて思った次第でありました。願わくば、続編によって本作品の評価が決定的になるような、そんな傑作が続刊される事を期待して、締めにしたいと思います。



そんな感じで、妄想に溢れた考察である上に、特にまとめの部分は結論ありきの論立てで無理な展開も多々ありますが、お目こぼし頂ければ幸いであります。ともかく、何とか形になったので一件落着という事で(笑)。

以上、今日はこれにて。
読んで頂いてありがとうございました。


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1Q84雑感(BlogPet)

BKOの「1Q84雑感」のまねしてかいてみるね

『渚にて』から80s的に幾つある力がありましたら、ネビル・シュート『双調・漫画での影響については高尚でも手段を少し悩んだ話が経つのでいい加減に挑むわけでは共通しました。
もう少し踏み込んで時々出て来たファンが意外でした結果としても判らない辺りが生んだところですので、肩透かしを選ぶ、作中で描写させた結果としての英語訳で主人公の裏の人々が作者の宗教団体を怖さも気に援用する様子が見事に端を思い起こさせたという割に大作ですがおられますが出るのそれです。
それですので、存在の疑問と良いな表現をめぐる冒険』的なところ?
何かしらのファンがもう少し深い人間性へのでした自分が今リアルタイムで、こちらも増してきたな流れで『東京奇譚集』よりはシステム側に広く膾炙したと思われてもありますね。

*このエントリは、ブログペットの「JFK」が書きました。

1Q84雑感

『1Q84』を読み終わって数日が経つのでいい加減に何か書きたいところなのですが、色々と考える事が多過ぎてイマイチまとめにくい今日この頃、とりあえず見切り発車で書いていく事にします。盛大にネタバレを含む予定ですので、読むつもりの方は後日またお越し下さいませ。



・全体的な印象

『海辺のカフカ』は上回るものの、『ねじまき鳥クロニクル』には遠く及ばず、ぐらいの印象。自分としてはあまり好きではない類の作品でしたが、色々と面白かったのも確かです。とりあえず、今リアルタイムで読む意味はあると思いましたし、個人的には満喫できました。ただ、賛否が大きく分かれそうな印象で、少なくともこれだけ売り上げを伸ばすほど一般的な作品ではなく、どちらかと言えばマニアックに属する作品というか。読者を選ぶ、という感じでしょうか。

ちなみに文章自体はマニアックではなく、いつも通りに平易な表現を駆使した作品ですので、ページ数の割にはすらすら読めます。550+500ページは確かに大作ですが、作者が「やたらと長い」と言ったという割には、実は『ねじまき鳥クロニクル』(大体300+350+500ページ)より100ページほど短いわけで。続編のニュースが待たれるところですね。


もう少し踏み込んでみると、テーマを数多く詰め込み過ぎた結果として、各々が分かり易い辺りで止まっている傾向があります。例えば、作品に登場する団体などはその由来が明確で、エホバの証人、ヤマギシ会、連合赤軍、そして例の宗教団体を連想するのはきわめて自然な流れかと。これが今の読者にはリアリティを補完する効果を果たすとしても、30年後にどれほどの効用が残っているかは未知数で、時の経過を待ちたいところ。まぁ、おそらくは過去の話として、書かれている通りにすらっと流される事になるのでしょう。あと、海外での受け止められ方も気になるところですね。

最初の方を読んでいる時に村上龍『5分後の世界』や矢作俊彦『あ・じゃ・ぱん』などを連想したのですが、この作品は現実社会との対比という点で、前者ほどの激しさも、後者ほどの巧みさもありません。それらは各作家の特質の違いと捉えるとしても、作品に援用する目的で現実を消化する必要があるのは共通しているわけで。故に、消化不足で安易な利用を批難する声が出るのは確実と思われますが、それを理由に駄目を押すのか、それとも読者が読みながらそれを補い作品に更なる深みを付加するのか。そうした読者側の姿勢が問われる事になると思うのでありました。この辺りが作者の上手い、というかズルイところです。



・物語の構造について

基本的には、前半で広がった様々な問題が、後半で収斂するといういつもの形。公の世間的な問題が主なbook1から、個人の問題が主なbook2への転回というか。話の中で『平家物語』が引用されるbook1と『利己的な遺伝子』を連想するセリフが語られるbook2の違いが、それを象徴している気がしたのでした。(*)

関係ないですが、この春から毎月一冊ずつ文庫化されている橋本治『双調・平家物語』を読んでいたので、出て来た時はちょっとビックリ。まぁ、二位の尼のシーンはまだまだ先ですが。。あと、作中では映画に言及していますが、ネビル・シュート『渚にて』が新訳で最近出ていて、本屋さんで購入を少し悩んだところだったので、こちらもビックリでした。ついでに、これで朗読CDがもう少し盛り上がると良いなと思ったり。


ストーリーの根底には対立構造があって、それはある力が生まれた事に端を発し、それに対する補償作用としての別の力が向かい合う事で均衡が生まれます。後者は「ウイルスに対する抗体のようなものを立ち上げ」(2-p.279)て前者に挑むわけですが、こうした構図からは特に'80s的な印象を受けました。ちょっと説明しにくいのですが、この後にゲームやアニメ・漫画で繰り返し使われることになる図式というか。その由来がどこにあるのか、正確なところは分かりませんが、印象としては70年代後半から80年代前半にかけて、アングラに端を発して大衆文化に広く膾炙したような形というか。

もう少し具体的に書くと、自分が読みながら連想したのは、深作欣二監督の『魔界転生』や『里見八犬伝』辺りの作品でした。何かしらのこの世ならぬ力が生んだ集団と相対するのは、向こう側にあってもおかしくなかったはずの人物で。そして彼らはまるで物質と反物質のように対消滅するわけですが、本作ではどうなるのかなと。この辺りは作品の結末に関連する事なので、とりあえずは保留にして後で再度考えたいと思いますが。ネタバレを怖れながらもまだ読んでくれている方がおられましたら、そろそろ諦めて読後にお越し下さいませ(笑)。



・主要人物について

最初に思ったのは『スプートニクの恋人』の語り手とすみれ。青豆は『海辺のカフカ』の大島さんを引き継いでいる部分もありつつ、海外文学で時々出て来そうな感じ。『羊たちの沈黙』のクラリスとか。で、結果として日本的な雰囲気にはそぐわないというか、微妙な違和感を維持したまま物語が進んでいく感じを受けました。読者としては感情移入をしにくいタイプというか。更に、彼女の裏の職業や異性に対する行動が、まるで読者の受け入れを拒否するような姿勢で描写されている感じを受けました。にんじんやホシノくんの様なゆるキャラ(?)を配置するだけでもずいぶん印象は変わったと思うのですが、とはいえ読者に阿らないこうした姿勢は、個人的には嫌いではないです。

一方の天吾は、これまでの村上作品の主人公=語り手を踏襲している感じで、アンチ派の方々が批判する様子が目に浮かびます(笑)。特に本作ではいつにも増して問題行動と捉えられかねない事が多いので、今までのファンにも違和感を呼びそうです。かつて『ねじまき鳥クロニクル』で主人公の暴力性にショックを受けたファンが少なからず居られましたが、今回はもう少し深い人間性への疑問というか、そうした距離感を生みそうな印象でした。あと、子供時代のエピソードは『国境の南、太陽の西』を連想する部分がありました。他のキャラクターも含め、ちょっとトラウマが多すぎる気はしましたが。。



・外れた予測とか

リトル・ピープルという名前が出てきた時に、広島の原爆リトル・ボーイに絡んだ話が登場するかと思っていたのですが見事に外れ。というか、戦争絡みの話がタマルさんの過去ぐらいだったのが意外でした。特に、エルサレム賞のインタビューからの流れで、戦時中の中国に関わる要素が出て来る可能性が高いと思っていたので、肩透かしを喰ったような気分でありました。

また、「もうビッグ・ブラザーの出てくる幕はない」(1-P.405)という辺りで、ポスト・モダン的な中心が曖昧になった組織というか。頭を潰しても動き続ける蛇ではなく、頭が複数で潰し切れない蛇であったり、更には頭がどこに幾つあるのかも判らない蛇と相対する展開になるのかと思っていたのですが、存在の強すぎるリーダーが少し興醒めでありました(笑)。『1984年』よりは『象を撃つ』的な展開というか、頭は単なる道化に過ぎず、集団が醸成する雰囲気の怖さを強調するのも面白いかも・・・と思っていたのですが。。。

まぁ、この辺りは予測を外した自分のせいなので、文句を言うのは間違いですが(苦笑)。しかし、超常現象を操るリーダーとか、弱い立場の人々が失われていく様は、どうしても『ガダラの豚』を連想しますね。



・過去の作品との絡み

例のインタビューからは、父親の最期を看取る展開と、あとはシステムについて。例えば老婦人が行っている事は完全にシステム側のそれですし、目的は高尚でも手段を選ばない辺りは、青豆の英語訳で連想されるとある組織を思い起こさせます。それを全否定するつもりは全くないのですが、なんだかなぁと思う部分もある・・・みたいな感じ。

全体的には、『羊をめぐる冒険』と『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』をミックスさせたような印象。『東京奇譚集』からの影響については、家族との齟齬という事で良いのかな?そういえば、初期の二作を連想することはあまり無かったな、と思ったり。自分が忘れているだけという可能性も高いですが(苦笑)。



いいかげん長くなったので、とりあえず一旦ここで切ります。続きはまた後日、「今後の展開」「深読みしたこと」「小説世界の構造について」「その他、連想した作品」などについて書く予定です。

という事で、今日はこれにて。
読んで頂いてありがとうございました。



***

ちょっと訂正。(6/24)

なぜか『利己的な遺伝子』を連想する発言をしたのはリーダーだと思い込んでいたのですが、「1Q84考察」を書きながら引用部分を探している時に、既にbook1で老婦人がそれを述べていた事を発見してしまいました。なので、この文章(*)は不適当なものである事を明記しておきます。失礼しました。




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明記したかも(BlogPet)

きのうJFKが、連想するつもりだった。
それできょう、明記したかもー。

*このエントリは、ブログペットの「JFK」が書きました。

ロックの日のシャッフル

最近はアルバム単位でiPodを聴いている事が多いのですが、久しぶりにシャッフルで聴いてみるかと思い立って、「ロックな曲カモ〜ン」なんて思いながら再生してみたらチャイコフスキーが始まった今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか?

いやま、確かにロックと言えばロックなお方ですが、ちょっと思っていたのとは違うなぁというか。まぁ、志ん生の落語が始まるよりは良いのかもしれませんが・・・って、あの人もロックと言えば確実にロックなわけで。。。シャッフルもなかなか難しいものであります(笑)。

と、そんな感じでロックの日を過ごしていたのでありますが、最近ちょっと長いものが多いし、たまには軽いものをという事で、昨日から今日にかけてシャッフルで聴いたミュージシャンを披露してみましょう。


イエモン、CCR、Pulp、Clash、RANCID、MOBY、ピロウズ、AJICO、THE MODS、ビークル、憂歌団、熱帯ジャズ楽団、チャーリー・パーカー、ラリー・カールトン、パット・メセニー、ロリンズとMJQ、DOORS、King Crimson、JIMMY EAT WORLD、Aaliyah、シナトラ、イングヴェイ・・・

チャイP協の後はイエモンで、途中から順番は適当ですが、案外シャッフルって同じ様なジャンルの曲が続くんですよね。J-POPが5連発とか。ちなみに一番ビックリしたのは、フルトヴェングラー、バーンスタイン、フルトヴェングラーという流れになった時でした。ちょっと怖すぎです(笑)。


以上、そんな感じで今日はこれにて。
読んで頂いてありがとうございました。



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最近読んだ本

先月は当たりが多かった事もあって、最近は本を読むのが楽しくて睡眠時間が気になる今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか?

ちなみに、「1Q84」は発売日に買いましたが、まだ読んでいません。ハードカバーの本を(偶然ではなく意図的に)発売日に買うのは多分初めてだったと思うのですが、異常なほどの売れ行きみたいで。すぐに読むのは勿体ないので少し寝かせているわけですが、ざっと550+500ページという分量は確認しました。この字の大きさだったらもう一冊ぐらい・・・なんて贅沢な事を思ったのはここだけの話ですが(笑)、週末にでもゆっくり一気に読みたいものです。

で、本題。最近読んだ本のうち、今日は新刊をいくつか、書けるだけ書き留めておきます。



・鹿島田真希「ゼロの王国」(講談社)

本屋さんで偶然見つけた本書。最初は「分厚いな〜」と思って手に取ったのですが、少し読んでみて面白そうだったので即買いしたものです。

この作品では会話文が全体の8割以上を占めているのですが、その内容は19世紀の有閑層、特にロシアのそれを連想させるもので。大仰で長く、時には会話というよりも演説や独白に近いような発言が次々に飛び出します。そしてそれが現代日本を舞台にして、例えば東京の交差点脇のコンビニの前などで展開されるわけで。このイメージの落差にやられてしまい、お買い上げに繋がったのでありました。リアリティが無さ過ぎで面白いので、興味を惹かれた方は一度立ち読みしてみて下さいな。


で、具体的にはドストエフスキーなのですが、ストーリー的には最初「白夜」辺りかも?とも思いつつ。2章で登場したユキがナスターシャだろうという事で、実際にその後も「白痴」を下敷きにしたような展開をみせます。ただ、他の登場人物を見てみると、ムイシキンもロゴージンもちょっと違うというか。むしろ、弟がイワンで少しスメルジャコフ風味なところもあって、じゃあ兄はというとミーチャの鏡像と言えなくもないというか。ただ主人公はアリョーシャではないしゾシマ神父でもないし・・・などとキャラクター当てクイズ的な邪道な読み方でしたが、楽しく読んだので作者さんも許して頂ける事でしょう(笑)。というか、ムイシキンやアリョーシャとの相違点が本作を特徴付けていたりもするわけで。ちなみに、「白痴」も早く新訳が出て欲しいところですが、個人的には次は「悪霊」希望だったりします。それはさておき。


不満点としては、特に中盤以降でキャラクターが活かし切れていないように感じた辺り。もう少し深いところまで把握する努力をして欲しかったというか。特に最後の2章はもうひと踏ん張りして欲しかったところですが、もしもそれが実現していたら凄い作品になっていた事でしょう(笑)。という事で、贅沢な希望なのは確かですが、勿体ない感じが残った作品でした。

また、600ページとは言ってもすいすい読めるので分量はあまり気にならないと思うのですが、(この作者に限らない事ですし、作家というよりは編集の問題という気もするのですが)ちょっと説明が丁寧すぎるのと、お値段が2,940円というのが辛いところかと。普通に色んな方に感想を聞いてみたい作品だけに、残念なところです。

最後にちょっと戯言を書くと、途中から主人公が「風雲児たち」の吉田寅次郎と重なってしまい、あの顔しか出て来なくなったのが困ったところ。あとゴルベーザに注意。



・鶴見俊輔・上坂冬子「対論 異色昭和史」(PHP新書)
・こうの史代「この世界の片隅に(下)」(アクションコミックス)

この2作品は、全く意図せず同じ日に読みました。こういう偶然があるから面白いのですが、戦時中を暗い雰囲気だけではなくある種の爽やかさを伴って語っているのが良いですね。ただ、戦中世代というか、団塊の親世代で当時の事を語れる人はもう殆ど居なくなってしまいました。上坂さんも本書の発売を待たず亡くなられたそうで、そうした世代に関する事を考えたりもしたのですが、本筋からは逸れるので置いておいて。

前者については、対談なのですぐに読める半面、いくつか面白い事を述べておられます。個人的に印象に残っているのは、村八分の解釈とか諫争のお話など。どちらも深入りはしていないものの、読者に少し違った視点を紹介している辺りに年長者の親切を感じるというか。そういえば、作品の中で鶴見さんがとある打ち明け話をするのですが、秘密の処理の仕方みたいなものが垣間見えて興味深かったというか。意地悪な読み方で申し訳ないのですが、色々と連想する事はありますし、ちょっと話し過ぎ・・・と言うよりは、上坂さんの存在が口を滑らせる要因だったのでしょうね。作中で触れていた吉田茂と徳田球一ではないですが、関係の深さには主義主張の別は影響しないという好例でしょうか。

後者については、その魅力を上手く説明できる言葉が見付からないのですが。。。日常を読ませるのが凄い、という事になるのでしょうか。広島に生まれ、嫁ぎ先の呉で戦時中を過ごす主人公。各話のタイトルが日付なので「その日」へのカウントダウンを嫌でも意識してしまうわけですが、悲惨ではあっても温かみは絶えないので、興味が沸いた方は是非どうぞ。



・中沢新一・赤坂憲雄「網野善彦を継ぐ。」(講談社)

偶然といえば、忌野清志郎さんの訃報を聞いた時に読んでいたのが本作。で、基本的な属性としては異端で、しかしながら一般に人気を博したという点で彼らには共通するものがあるなと思いながら、後日続きを読んだのでありました。ついでに言うと、網野史観の影響を受けている宮崎駿さんなども同じグループになるのでしょうし、村上春樹さんも入れても良いだろうし、考え出すと面白そうなグループになりそうです。

で、本作。たまたま歴史コーナーで見付けたのですが、網野さんが亡くなられた時に上梓されているので今から5年前の作品になりますが、網野さんの人物を知るには良い作品かと。彼の史観に接するのであれば直接「日本の歴史をよみなおす(全)」(ちくま学芸文庫)に当たれば良いと思いますが、本作も読んでおいて損はないと思いました。網野史観は既に80年代以降の時代小説を通して身近な存在になっていますし、更には「花の慶次」から最近の「センゴク」に至るまでの漫画だったり、宮崎アニメであったり、その影響はかなりのものなので、興味を惹かれる方は多いのではないかと。

本作の評価で少し難しいのは、タイトルにある「継ぐ」という部分。言葉遊びではないですが、それが「伝える」ではない辺りをどう捉えるか。世代という言い方をするとお二人には嫌がられそうですが、やはりこの世代に特有の傾向が出ている気がしますし、年長者はもちろんとして、団塊Jr.以下の世代がお二人の姿勢をどう評価するかは気になるところです。



・柴田ヨクサル「ハチワンダイバー11巻」(ヤングジャンプコミックス)

最後にもう一つ漫画。ただ、既に知名度はあると思うので、作品については割愛します。

で、作品の中で金の使い方が面白い打ちかたがありまして。元ネタがあるかと検索してみたら、こちらの44手目だそうで。相変わらず2ちゃんねるの人は凄いですね。この金の以降の動きとか、その後お互いに金銀を惜しげもなく費やして意地の応酬が見られるところとか、この対局はとにかく面白いので、駒の動かし方を知っている方は棋譜を覗いてみて下さい。

ところで、この作品とは関係ないですが将棋の話で。昨年の竜王戦は小説よりも奇な展開でしたが、小説でも漫画でも、とにかく作品として残して欲しい気がする今日この頃。ブログ時代で、少し検索すれば面白い観戦記が読めるご時世ではありますが、「名人」(新潮文庫)の存在を考えると物足りなさを感じてしまうわけで。まあ、そこまで行くと高望みという感じも出て来ますが、せっかくの素晴らしい題材に挑む人が出て来て欲しいと思うのでありました。というか、21世本因坊秀哉名人は川端康成という書き手を得られて幸せだったなと。



だんだんと雑談の要素が多くなって、眠たくなって来た兆しのようにも思われますので、今日はこの辺で。
以上、読んで頂いてありがとうございました。


テーマ : 読んだ本。 - ジャンル : 本・雑誌

tag : ゼロの王国 異色昭和史 この世界の片隅に 網野善彦 ハチワンダイバー

ついに完結(BlogPet)

BKOの「ついに完結」のまねしてかいてみるね

記事を放っておりましたアーセナルが印刷してありがとうございました!
昔は負けて盛り上がれたので楽しく過ごすことが一番残念なと辛い話です。
しかし、投資だけが悔やまれるところですがサッカーにスペインが決まって以来、一緒に入れ替えたが、一緒に期待しましたの優勝が一番残念ですね♪
監督が1000円だ試合のか、一年を通して実力を見下す意図は最高の連敗はモチベーションの日程表も、ついに完結しましたアーセナルが今日は辛い話です!!
監督が放送だそうではモチベーションの決勝進出だったアーセナルが目的のようになると考え出すように魅了されて毎週2回の更新はやや軽視というかが悔やまれるところですしながら、一年を通して実力をしっかり補強しながら、前半戦で、更新は3つのが何故か増えて欲しくないな事では辛い話ですね!!
来年はこれにて。

*このエントリは、ブログペットの「JFK」が書きました。

ついに完結

記事を立ち上げて以来、定期的に更新しておりましたが、ついに完結しました!
こちら→CL4強の今後の日程

毎週2回の更新は、義務と考え出すようになると辛いものなのでしょうけれど、更新しながら状況を整理して盛り上がれたので楽しく過ごすことができました。

また、一緒に作ったリーガ・エスパニョーラの日程表も、とあるお方が印刷して毎週ごとに書き込みをして楽しんで頂けていたみたいで、何よりでした。


改めて見てみると、基本的に無敗のチェルシーの安定度が光りますね。監督が辞めてしまうのはとても残念ですが、まず選手をしっかり補強して、来シーズンの巻き返しに期待しています。金満チームが何故か増えているそうですが、オーナーがサッカーに魅了されているという点でこのチームは異彩を放っていると思いますので、投資だけが目的のように思えるチームなどには負けて欲しくないなと思いつつ。

また、強豪相手に踏ん張れなかったアーセナルが一番残念でしたが、ただ、前半戦ではホームでマンチェスター・ユナイテッドを、アウェイでチェルシーを破っているだけに、一年を通して実力を維持できるかが来シーズンの課題になるのでしょう。

マンチェスター・ユナイテッドは、FAカップはやや軽視というか、さすがにメンバーを少し下げていた印象でしたが、最後が完敗だったのが悔やまれるところです。と、蛇足ながら、エバートンはリバプールとマンチェスター・ユナイテッドを破っての決勝進出だったわけで、彼らを見下す意図は無い事は一応明記しておきます。

バルセロナは最高のシーズンを過ごしました。最後の連敗はリーガでの優勝が決まってメンバーを大幅に入れ替えた結果ですし、ベストメンバーで挑んだ試合の安定感は凄まじかったですね。来年はモチベーションの低下をどうカバーするのか?そしてコンフェデ杯にスペインが出る事で、選手の疲労がどう影響するのか?という辺りが気になるところです。


しかし、コンフェデはCSフジが放送だそうで、何とも残念な事です。昔は2つのチャンネルで700円だったのが1000円になり、今は3つのチャンネルをセットで1500円だそうで・・・。個別契約を許さないのは辛い話ですね。。。



以上、だらだらと書きましたが今日はこれにて。
読んで頂いてありがとうございました。



UEFA CL決勝雑感(BlogPet)

BKOの「UEFA CL決勝雑感」のまねしてかいてみるね

何も1-1なかなか前に戻しつつ彼を奪われたら、彼を見ながらもかかわらず、4-1なかなか前にまた追記する形が(*2.ボールをきっちり把握しにくいシステムでしたものの、持ち味の乱れに対してもできずサイドにも、つまりCBの安定を積極的かもしれませんでした時間帯でした次第で各人が多い右サイドバックの戦術を極力避けていた筈の敗因が・ユナイテッドがアンバランスだった時間帯でしたエトーの彼を髣髴させないので(5分過ぎにあるので得点へのはどう振る舞うべきかと思って得意の切れが(笑今の入れ替えは守備を観て、4-2.ボール・・。

*このエントリは、ブログペットの「JFK」が書きました。

UEFA CL決勝雑感

何でもできる筈のチーム、選択肢をたくさん持っていた筈のチームと。やる事が決まっているチーム、選択肢が一つしかないチームと。その差が出たのかな、という感じでしょうか。前者はやれる筈の事を何もできず、後者はやれる事を存分に出した試合でした。


あと、大きかったのは守備の違い。マンチェスター・ユナイテッドは、どうしてメッシ、シャビ、イニエスタを積極的に潰しに行かなかったのか?ファウルを効果的に使って、彼らに前を向かせないような守備を行わなかった事が大きかったと思いました。前線からの守備ではなく、中盤で彼らを自由にさせない守備というか。自分たちの攻めに繋げる為の守備ではなく、相手が嫌がる守備をすべきだったのではないかと。

逆にバルセロナは、普段は狙われる事が多い右サイドバックの裏のスペースをカバーする意識がしっかりしていました。つまりCBのヤヤが迷わずサイドに出て、その間に戻ってきたSBのプジョルが中央をカバーする形が実に安定していました。攻撃の結果生じるポジションの乱れに対しても、ボールを奪われた時点で各人が今の位置ではどう振る舞うべきかをきっちり把握していて、無駄のない動きが徹底していたのがお見事でした。


序盤の10分はマンチェスター・ユナイテッドが支配した時間帯でした。画面を見ながら、メッシが中央に、エトーが右に出ているのを確認してすぐだったのですが(*1)、なかなか前にボールを運べなかったバルセロナはメッシのボール・キープ(*2)を皮切りにイニエスタがドリブルで相手陣内に持ち込み、右に出ていたエトーがゴールを決めました。体の切れが戻ったのか、彼のシュートのタイミングは良い時期の彼を髣髴させる見事なものでした。


その後は完全にバルセロナのペースでした。バルセロナが慎重な姿勢を崩さず無理な攻めを極力避けていたお陰で得点は増えませんでしたが、仮に得点への野心が強かったら、レアル・マドリードと同様の大敗すらありえたかもしれません。


幸いにも1失点で前半を終え、しかし方針変更のチャンスがあったにもかかわらず、マンチェスター・ユナイテッド守備に手を加えず攻撃的な選手を入れ替えるだけでした。良い形でボールを奪って得意の素早いカウンターに持ち込むためにも、中盤の守備のてこ入れをすべきだったのではないかと思うのですが・・・。結果的には、持ち味の攻撃力を発揮できるだけの安定をチームが得る事ができなかったところに、彼らの敗因があった気がします。


結論としては、観ていて楽しめる試合ではあったものの、一方の主役が実力を見せないままに敗れてしまう展開になったのが残念だったと、そんな感じです。もちろん、実力を遺憾なく発揮して主役を演じたバルセロナは、とても素晴らしかったです。



以上、文句を言いながらも興奮が続いているので(笑)、今の感想を記事にまとめてみた次第でありますが、読んで頂いてありがとうございました。

夜にまた追記するか、それとも別エントリーを設けるか、それとももう何も書かないか。全然分かりませんが(笑)、とりあえずはひとまずこれにて。



ちょっと追記。(5/29 0:30')

しかし、戦前にマンチェスター・ユナイテッド側の戦術を考えていて、メッシとエトーの入れ替えは案外効果的かも?と思ってはいましたが、ここまで決定的な事になるとは・・・。具体的には、4-4-1-1なんだか4-2-3-1なんだか4-1-2-3なんだか断定しにくいシステムでしたが、つまりギグスの役割が中途半端に終わったのが一番の敗因かと。ただ、能力と役割がアンバランスだったという点で、責任は選手ではなく監督にあるのでしょう。

普段の試合を観ていないので、「今シーズンは調子が今ひとつだった」とか言われたらそれまでですが、スコールズとテベスを先発起用できなかったのが辛かったな、と。色々と戦術を考えられて面白い対戦でしたが、最初にも書いたように、せっかく所有しているはずの戦術を、披露してもらえないままに終わってしまったのが物足りなかったな、と。


あと補足。

*1.正確には、前半3分の時点ではノーマルでしたが、5分過ぎにはメッシが中央でした。

*2.ボール・キープというと少し語弊があったかもしれません。ピッチの中央付近でこぼれ球を1〜2タッチでシャビ→イニエスタ→メッシと繋ぎ、そのままダイレクトでイニエスタに戻しつつ彼から遠ざかる動きによってイニエスタがドリブルできるスペースを作った、という感じでしょうか。


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マンチェスター・ユナイテッドの布陣について

CL決勝のまさに直前という事で、怒涛のサッカー記事4連発になりました(笑)。仮眠とサッカー以外は何もしていない夜です(苦笑)。今回は、マンチェスター・ユナイテッド4-3-3について。先日書いた決勝の展望についての記事で、自分はマンチェスター・ユナイテッドの先発を4-4-2だと推測しました。それは、彼らの4-3-3がミランのクリスマス・ツリー型4-3-2-1を元にしたものではないかと思っている事が影響しています。



・ACミランのクリスマス・ツリー

ミランの発想は、攻撃時に中盤底のピルロを活かそうというもの。その結果、守備の時にはサイドが手薄になり易いのですが、それをセードルフの動きでカバーしています。簡単に書くとこんな感じ。


<ACミラン>
□□□□□□□□□□□□□□□
↓←←●□□□□□□□□□
□□□□□□○→□□
□□□○→□□□□□□
□□□□□□□□□□□□□□
□□□□□□□□□□□□□□□
□□□□□□□□□□□□□□□
<4−3−2−1><4−4−1−1>


上図の黒丸がセードルフですが、彼が守備時に中盤のラインに入ることによって、4−4−1−1気味に守れるのが強みです。また、時によってはカカーも中盤に加わり4-5で守る場面もあります。そしてボールを奪うとセードルフとカカーが横並びの2シャドーに近い形で中央突破を志す事になります。サイド攻撃はSBと中盤「3」の端二人が担います。



マンチェスター・ユナイテッド4-3-3

まず、攻撃時の動きから見ていくと分かり易いと思うのですが、両ウイングに起用される選手たち、つまりロナウド、ルーニー、パク、ギグスらの動きを振り返ってみると、中央に進出する動きが特に顕著です。スペースを空ける事でSBを呼び込むという意図もあるとは思いますが、それにしてもSBにお任せ状態の事が多く、自らサイドで起点になったりSBと絡む動きを見せたりという場面は、ルーニー以外の選手は少な目という印象が残っています。これは、選手の傾向という部分もあるかもしれませんが、それよりも監督の意向という可能性が強いのではないかと考えていて、つまり攻撃時にはまさにミランのクリスマス・ツリー型4-3-2-1に近い配置を念頭においているのではないかと思うのです。

それが守備に変わった時、サイドの担当は両ウイングです。ここがミランと違う点で、結果的には4−1−4−1気味に守る形になります。その為、強豪相手の試合になると、4-3-3を採用する場合にはロナウドをサイドで起用しにくいというジレンマが出て来ます。中央からサイドに戻る献身的な動きが、守備の時には求められるからです。


マンチェスター・ユナイテッド
□□□□□□□□□□□□□□□
●→<攻撃時>←●
□□□□□□
□□□□□□□□□□□□□□□
□□□□□□□□□□□□□□
□□□□□□□□□□□□□□□
□□□□□□□□□□□□□□□
□□<4−3−3>□□<4−1−4−1>


また、ピルロに当たる役割を担うキャリックについて。彼は確かに守備面でも計算できる選手ではありますが、攻撃面での能力に比べるとどうしても少し落ちるわけで。通常の相手であれば問題にはならないと思いますが、バルセロナの選手を相手に1対1になってしまうと少し苦しいような気がします。彼をCBと2CHの間で余らせるような守備ができれば万全ですが、相手もそこのスペースを狙って来るのは間違いない上に、カバーをしてくれそうなフレッチャーもこの日は出場できません。

特にメッシがエトーと入れ替わって中央に入ってきた場合を考えると、4-3-3では安易に左ウイングをメッシに付いて行かせる事ができません。それは左サイドが数的不利に陥るからで、プジョルをフリーにしてメッシを追うという選択肢は妥当にも思えるのですが、相手の右サイドでシャビがエトー&プジョルと絡む動きに結び付くと、エブラ&スコールズの二人だけで防ぐのは相当な危険を伴います。また、1トップのロナウドには守備を期待できないので、最悪の場合は相手の両CBとピボーテに加え右SBまでフリーという、引き篭もるしか選択肢が無いような状況に陥りかねません。


もともとミランにおいても、守備において少し劣るピルロを守るような形でガットゥーゾやアンブロジーニが配置されていました。ハーグリーブスは怪我、中央で起用され易いアンデルソンやギグスはどちらかというと攻撃向き、という事などを考え併せると、やはり4-4-2が妥当ではないかと思ったのでした。



マンチェスター・ユナイテッド4-4-2

長くなってきたので、以下は簡略に済ませます。

4-4-2で守る場合、メッシの移動があっても左SHはいくつかの選択が可能です。より正確に言うと、危険な方面に向けて動く事ができます。左SHが選択しなかった方面は危険度が少し低いので、仮にメッシにそのまま付いて行くのであれば中盤の残りの三人がそれぞれ左寄りに位置を修正する事で、仮に左サイドをケアするのであれば中盤の残りの三人がメッシを見る事で、何とか対処できます。これはつまり、右SHを計算に入れられるお陰でマークの受け渡しがし易いのではないかと。これが4-3-3の右ウイングの場合だと、攻撃時にいた中央からサイドに戻って、また中央をケアして、という動きが必要で、理論上はもちろん問題ないのですが、実際には走行距離という点で破綻を来たしかねないのではないかと思うのです。

また、ロナウドに一応CBをケアさせ、テベスにはピボーテを注意させつつ状況によっては相手SBも牽制させる事で、守備の細かな修正を可能にするだけの時間が稼げます。場合によっては中盤の低い位置まで助けに来てもらう事もできます。なので結論としては、バランスという点でも4-4-2の方が無難じゃないかな、と判断した次第でありました。



という事で、いよいよ決戦が目前に迫って来ました。予想に反してマンチェスター・ユナイテッド4-3-3で来たら自分の不見識を恥じるしかないですが(苦笑)、以上が今の段階で自分が考え得るベストな戦略だという事で。試合の前に書き留めておく次第でありました。


以上、今日はこれにて。
読んで頂いてありがとうございました。



参考
4−4−2から4−2−3−1へ。2センターから3センターへ
[attacking phase]より。とても参考になります。


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tag : マンチェスター・ユナイテッド 4-3-3 4-4-2