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クラシコ雑感

なかなか時間が取れず今更ですが、クラシコについて簡単に書き残しておきます。

個人的には、クラシコはバルサ優位のほうが楽しめるイメージがあります。それはどんな逆境でもレアルはレアルであり、一方でバルサは逆境で為す術なく敗れる印象があるからですが、ペップ時代より前のバルサを知らない人々からするとイメージは逆になるのかもしれません。

また最近のクラシコは戦術的に硬直している部分があり、どちらが勝つにせよ内容に不満が残る試合が多いように思います。

以上のような理由から、今回のクラシコもさほど期待せず観ていたのですが、それが半分当たって半分外れたという試合でした。


■バルセロナの攻撃

まずメンバーから。GKシュテーゲン、DF右からセルジ・ロベルト、ピケ、ウムティティ、ジョルディ・アルバ。中盤底にブスケツ、左にイニエスタ、右にラキティッチ。前線右からメッシ、スアレス、パコ。守備時にはパコが中盤左に入って4-4-2になっていました。

中盤の構成力でレアルに劣るようになってからどれほど経つのか。全盛期のシャビ・イニエスタ・ブスケツが君臨していた頃と比べると雲泥の差で、軽くプレスを受けただけで前にボールを運べなくなる状況は見ていて切ない限りです。

それはピッチ上の面々も理解しているのか、或いはキーパーまではあまりプレスに来ないレアルの守備上の約束を逆手に取ったのか、キーパーに戻してメッシにロングボールを蹴る場面が時々ありました。こうした動きはリーグ戦でボールを運べないときにも見掛けるので一つの選択として認知されているのだと思うのですが、それで何故かメッシが競り勝ったりするのだから不思議なものです。

レアルの守備にも助けられて、この試合ではメッシに一対一を挑ませたり、メッシからのパスを引き出すような動きが多く見られました。悪い時のバルサは他に手がないので守備の形が整った敵めがけてメッシが特攻→失敗→カウンターという後手に回る展開が多いのですが、この試合ではボールを前に運べさえすれば、主導権を握った状態でメッシを活かす攻撃ができていたと思います。


■レアルの守備

こちらもメンバーから。GKナバス、DF右からカルバハル、ナチョ、ラモス、マルセロ。中盤底にカゼミロ、その前にモドリッチとクロース。前線はベイル、ベンゼマ、ロナウド。守備時にはロナウドを上げて4-4-2になるのは同じですが、開始直後はベイルが左サイドに居たりと変な形でした。そのベイルは前半のうちに負傷交替しています。

前述のバルサの問題があったので、おそらく前線から熱心にプレスをかけてショートカウンターを連続させれば高い確率で複数得点を得られたように思います。しかし週の半ばにCLで120分を戦い抜いたこともあり、そこまでしなくても勝てるという自信もあったからか、前線から守備を発動するのは気紛れという程度の頻度に止まりました。

ブスケツへのマークもさほど厳しくなく、前を向いたメッシを4-4で緩く迎え撃つ守備は、さすがに相手を舐めすぎているように思いました。前線からの守備をしない場合でもブスケツはベンゼマにしっかり見て欲しいところですし、カゼミロが先読みで相手の攻撃を潰していたとはいえ、中盤での連動した守備の強度は低調なものでした。上手く相手選手を囲む良い守備がたまにあるという程度でした。


■軽い守備が失点を招く

レアルの2点目とバルサの3点目は、いずれも軽いプレイが裏目に出た形になりました。自陣奥深くであれほどマルセロをフリーにしたラキティッチも問題なら、セルジ・ロベルトの長駆を許したマルセロも問題だったと思います。

とはいえ両選手の局所のプレイに問題があったと言うよりは、それらが象徴する全体的な軽い守備に問題があったのだと思います。両選手はただ単にババを引いただけという感じですね。

そして両チームの守備に問題があれば試合はダレるものですが、そうならなかったのは両チームの攻撃への意識が際立っていたからなのでしょう。10人になったレアルが前に出た姿勢も見事なら、ラストのプレイでメッシが最後に姿を現して千両役者ぶりをアピールしたのも見事でした。

欲を言えばイスコが(それもスタートから)見たかったところですが、それはアトレティコとの試合でのお楽しみという感じですね。


■結論

最初に書いたように、戦術的には意外な部分は全くありませんでした。モウリーニョがぺぺを中盤で使ったり、ペップがアウベスをウイングで使うような奇抜な策もありませんでしたし、メッシに常にダブルチームで臨んだり、ロナウドがサイドを変えるごとにプジョルの位置を変更するような緻密な守備も見られませんでした。

一方で、観る人にとって面白い試合になっていたのも確かです。レアルのファンからすれば当然に不満の残る結果ですが、最後以外は内容も良かっただけに、あまり尾を引かないような負け方だったのではないかと思います。ペップ時代のバルサは次に対戦するが嫌になるような勝ち方でしたからね。

今シーズンも終わりが近付いて来ましたが、リーグ戦での上位対決は終わったもののCLでマドリー・ダービーがあるので、それを楽しみに待っています。個人的な希望としてはリーグがマドリー、CLがシメオネ・アトレティコ、国王杯がバルサでタイトルを分け合って欲しいなと思っております。

以上、今日はこれにて。
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年度末はつらい。

できれば今月中にと思っていましたが、来月上旬に某ベストセラーについての雑感を書く予定です。
以上、今月はこれにて。

2月も終わる。

やはり書く習慣が一度途絶えてしまうと、なかなか定期的に書くのが難しくなりますね。
文字数は少しずつでも毎日定期的に書くようにしないと、状況は改善しないと分かってはいるのですが、難しいものです。
来月は何か書けると良いなぁ。。

では今月はこれにて。

1月が過ぎる。

遂に2017年ですが、このブログは相変わらずの更新頻度になりそうです。

一応はネタ的な軽いものを書く予定だったのですが、どうにも真面目な文章ばかり書いているからか、書いていても軽妙な感じが出ないんですよね。たまには馬鹿っぽい記事を書きたいところですが、困ったものです。

とりあえず今日のところは生存報告に代えて、という感じで。
ではまた来月。

大晦日。

いよいよ大晦日ですね。

今年は時間のやり繰りが難しくなった年で、色んなことが少しずつ後回しになった結果、幾つかのことを諦めるという展開が多かったように思います。

本なども読む量が減ってお恥ずかしい話ですが、自分が知りたい・楽しみたい作品は例年通りとしても、他者と情報を共有したい・話し合いたいと思うような作品を読む機会が減ったように思います。

それは世の流行りが本格的に解らないという悲しい事情も大きいと思いますが、書籍にしろ音楽にしろそれらの存在感が年々失われていって、軽い話題以上のやり取りを共有できるような作品が少なくなっている気がするのも大きいかもしれません。

とりあえず今年できなかったことを来年に反映させて、上手く時間を作っていきたいなと思っています。

本年もお世話になりました。
来年が皆様にとって幸多き年になるよう心より祈っています。

では今年はこれにて。

流れる星は生きている

去る今月15日に藤原ていさんが亡くなられたとの事で、彼女の代名詞とも言える作品「流れる星は生きている」について、以下で雑談のようなものを書き残しておこうと思います。


読んだのは随分前の事なので描写はうろ覚えですが、今も私の記憶に残っているのは、朝鮮人の青年と再会した時に「どうしてあなたはまだ生きているのですか」と尋ねられた場面です。

最初に読んだ時には「日本人だからだ」「日本人は強い」という子供っぽい感想を持ちました。藤原ていさんと同じ日本人であるという理由で、自分まで強くなったかのような事を思っていた記憶がありますが、子供ならそんな感じですよね。

同時に、その誇らしげな気持ちの中に朝鮮や韓国の人を見下す気持ちがあったかというと答えはノーで、今のように経済が停滞している状況とは全く違う上り調子の時代だったからこそ、「日本人は偉い」とは大人でも言っていましたが、それで別の国の人々を必要以上に見下すようなことは無かったと思います。

逆に当時の教養のある大人たちは、「朝鮮の人も凄い」という認識も持っていたように思います。今にして思えば、彼らは朝鮮のかなり上層の人達を指して言っていただけで、中流以下の人達の事は歯牙にも掛けていなかったと思うのですが。どこの国でも民族でも優秀な人はやっぱり優秀なのだと彼らは考えていたように思いますし、そうした人々を育んだ秘訣を学ぶ事に貪欲だったと思います。


何故か話が変な方向に進んでいますが、ついでなので最近は巷で話し難くなったこの話題を少しだけ続けます。経済成長によって韓国が豊かになった事と、ネットの発達で情報の行き来が飛躍的に増大した事、そして日韓W杯を経て交流が一段と進んだ事で、我々は彼の国の一般大衆の言説に惑わされる機会が激増して、すっかり関係が拗れてしまっていると思います。

私も最近は半島に関する話題を外で持ち出そうとは思いませんし、むしろ可能な限り避けているのが正直なところです。言い方は良くないですが、現状はあちらの中流以下の方々の暴論が行き過ぎた結果だと思いますし、しかしそれは先進国が等しく経験してきた事でもあります。

我が国においても、田中角栄と福田赳夫が総理を争った頃に岸信介が田中を「幹事長としてはピカイチだが総理になるには教養が足りない」と評したそうですが、その田中が総理の座を射止めた辺りが「大衆の反逆」の時期と考えて良いように思います。もちろん角栄の功績はそれとは別にあり、そしてオルテガが想定しているように、大衆か否かエリートか否かは、生まれではなく個人の内面によって判断されるべき事ですが。

こうした傾向は近年、世界の各地で以前よりも更に悪化している印象があります。それに対処し備えるには、やはり個人として培った強さというものが求められるように思いますね。


話を作品に戻します。その後は再読の機会がなかったのですが、上記の場面は時間を置いて時折私の頭の中に蘇ってきて、色々と考えさせられたものでした。

作品では確か、青年の顔つきが以前とは違うと作者が受け取っていたように思います。過酷な戦争の体験が一人の青年の精神を蝕んだ結果だと思いますが、彼の様相を変えてしまった背後にあったものについて考えさせられました。それは、作者が故郷の長野に戻るまでの道中が克明に記されているからこそ余計に、暗い印象を抱かせるものでした。

時間は万人に平等なようでいて実は不平等なもので、ある人が決定的に「時を重ねてしまった」状態に至るのに、長い場合は数十年かかりますが、それが一瞬で終わってしまう場合もあります。そんな人達の事を考え、そしてそうした方々と対峙した場合のことを考えた事は、自分の中での財産になっていると思います。


子供の頃に受けた印象についても、その後に何度か再考しました。日本人が偉いか偉くないかという議論とは別に、ただ単純に藤原ていさんが偉かったという事を受け止めたり。その上で、自分が何をこの作品から得るべきなのかを考えたり。

結局のところ話は単純で、それは個人の価値というものに行き着くのだと思います。作者は正彦ちゃん(作中では2歳なので何となくこう呼んでしまいます)が結婚された時だったか、義理の娘に「もし徴兵が復活したら、正彦の腕を斬ればいい」と告げたといいます。そう迷いなく言い切れる強さと狂気は彼女の中でずっと生き続けて、そして我々に何かを教えてくれているように思います。


ある意味では残念なことに、現在は冷戦期とは違って、日本に生まれたというだけで恵まれているとは言い切れない時代になっています。GDPの規模こそ大きいものの時間当たりの労働価値は以前からすれば考えられないほど低くなり、もはや日本人は偉いなどと言い出し難い状況になっています。

上述したように、藤原ていさんが凄い人だった事と、彼女が日本人だった事とは、我々が凄い事の何らの証左にもなりません。

しかし、彼女が書き残したこの作品を日本語で読める事は我々にとって何よりの恵みであり、個人の精神を涵養する際に我々を大いに手助けしてくれる作品だと私は思います。

この作品がこれからも若い世代に読み継がれて行く事を願いつつ、故人の逝去を悼み謹んでお悔やみを申し上げます。


以上、今日はこれにて。

テーマ : 読書 - ジャンル : 小説・文学

ランチと美術

もう少し気軽な内容を書いて更新頻度を上げようと思っていたのに、既にもう月の半ばを過ぎているのが困ったものですが。先日のおでかけのお話。

まず昼食は東山二条のイオン横にある洋食イノツチ。カウンター席のみの小さなお店でしたが、料理好きの友人宅でご飯をお呼ばれしているような雰囲気で良かったです。

その後、京都国立近代美術館にてメアリー・カサット展。先月のデトロイト美術館展に比べると来客数が少なく、落ち着いて見て回る事ができました。また、特別展としての内容でも、一人の画家に焦点を当てた作品群を一望にできるので理解や気付きが得られやすく、110点という数も満足のいくものでした。ちなみにデトロイト美術館展は52点でした。

その後は軽くお茶を飲んで帰宅。こうした余暇のような時間を過ごせると、それだけで気分が違ってくるのが良いですね。

以上、今日は簡単にこれにて。

9月も終わり。

一ヶ月が経つのは早いですね。

今月は大阪市美術館にデトロイト美術館展を観に行きました。
人が多いのが少し辛かったものの、総じて分かりやすいラインナップで良かったと思います。
詳しくない人には「この画家はこんな風な作品を描くんだ」と理解してもらいやすく、詳しい人にはいくつか並べられた諸作品の相違点から新たな気付きを得られやすい展示だったのではないかなと。
日によっては館内が撮影可能になっていた辺り、時代の変化を感じました。

家でPCに向かって長文を書くのが面倒な今日この頃なので今月もこんな手抜き記事ですが、先月の記事に拍手をもらった事を言い訳に、開き直って書いております。
こんな風に気軽なことを書くのも、たまには良いものですね。

ではまた来月。

暑いですね。

日本の夏がクーラーが無いとどうにもならない状態に至ったのは、振り返るといつ頃からだったんでしょうね。
今や夜の室温が30度を超えていても全く驚かなくなりました。
そんなわけで今月は可能な限りリビングで過ごしていたのでサボりです。
ではまた来月。

都知事選と参院選。

今月は都知事選と参院選がありましたが、年々書く気がなくなって行く悪い流れが何とかならないかと思いつつ、今後は更に酷くなりそうで困ったものです。政界だけでなく、色んな分野で人材不足&それにもかかわらず求められる能力は上がり続け見返りは少なくなり続けるという、当分続きそうな傾向が早く終わって欲しいものですね。。という事で、以下雑感。


■都知事選

勝負に出た小池さんが見事な勝利を得たと言うべきなのか、対抗馬となるはずだった有力候補二人がどんどん自滅して行ったというべきか、難しいところですね。とりあえず対外的には、初の女性都知事でカイロ大学卒という経歴やアラビア語にも堪能という個人の資質は受けそうですが。国内的には「女性のくせに俺より優秀なんて認めん」的な女性蔑視の発想から来る感情的な反発に苦労しそうです。

増田さんは自民・公明から公認を得たのに身内からの支持が広がらず、岩手県知事時代の手腕が問題になっても日本創成会議での提言内容に疑問の声が上がっても納得のいく反論がなく、個人的にも中公新書の「地方消滅」は問題提起の部分はそれなりでしたが対策の話になるとイマイチという印象でしたので、色々と足りない部分があったという結論になりそうです。尤も、個人で劣っても組織で巻き返す可能性はあったはずですが、自民党支持層ですら小池さんに投票した人の方が多かったという現実がなかなか切ないですね。

鳥越さんは野党統一候補という時点で個人的には意味不明でしたが、直前の参院選で与党が信任を得た状況でなお国会の与野党対立の構図を都に持ち込む意図といい、東京都よりも国の管轄であるはずの憲法などの話を持ち出す事といい、関係者全員が冷戦終結前の世界に生き続けているような印象でした。選挙期間中に女性問題の報道が出たのはお気の毒でしたが、それへの対処は率直に言って酷いもので、他人に厳しく自分に甘くという見苦しい姿に終始していたのが残念でした。この世代の女性観って悪い意味で本当に変わらないですね。


結局の所、色々と問題はあっても舛添さんが続けていた方が、総合的には良い事の方が多かったのではないかと思える辺りが哀しいですね。舛添さんが人格的に問題を抱えていたのは都知事選に出馬した時点で多くの人が知っていた事で、だから自民党も公認に躊躇したわけですが、多くの瑕疵があっても有能な人材を使い捨てる結果になったのは残念でした。

舛添さんで印象に残っているのは厚生労働大臣の頃ですが、その辺りが彼の器の限界だったのかもしれません。それよりも権限の強い大臣に任じてしまうと都知事時代と同様の暴走(スタンドプレイ)をしただろうと思いますし、かといって彼の能力を遊ばせておけるほど政界に人材が溢れているかというと全くそんな事は無いわけで。本当に、人の使い方というのは難しいものです。


遡って言えば、猪瀬さんが続けていれば何の問題も無かったようにも思います。しかし政治の世界に不慣れという経験不足や打たれ弱さ、そして有能ではあっても人望を得られるタイプでは無いという個人の資質を考えると、やはり長期政権は無理だったように思えて来ます。能力と言っても色んな要素を含みますが、仕事ができても一緒に仕事をしたいと思えないタイプと言われてしまう辺り、特定の能力(この場合は人望)を大きく欠くと他の能力をどれほど磨いても挽回が難しいという現実には考えさせられるものがありますね。



■参院選

こちらも、与党にも色々と問題があるのに野党がそれ以上に酷いからどうにもならないという哀しい結果になりました。

野党が出す経済政策がお粗末なのは相変わらずですが、憲法などの問題をテーマにするにしても他にやりようが無かったのかと思います。例えば、控えめに言ってもかなり酷い出来映えの自民党の憲法改正案の中からとりわけ酷い箇所を抜き出して、それらを具体的なテーマとして取り上げて議論してくれたら応援する気になったかもしれませんが、極論を出して改正反対を唱えるだけでは広い支持を得る事は難しいと思います。

しかしそれ以上に、分配中心の経済政策で財源の根拠もなく理論的な背景もなく、更に民進党に限って言えば仮に与党になってもその時点で前言を翻して金を出し惜しみする展開になるおそれが非常に高く、政権交代から四年が過ぎても何の反省もなければ何も成長していない状態なのが辛いですね。それでも自民一強への対抗という期待だけでも一定票を得られるのだから、偉そうな物言いになりますがもう少し見聞を広げて欲しいものです。上にも書いたように、本当に左派の方々って80年代から変わっていないのが哀しいですね。


アベノミクスについては毀誉褒貶が極端ですが、極論を除いて一応の共通認識をまとめるならこんな感じでしょうか。

・消費増税は失敗。
・成長戦略(構造改革、規制緩和)は目立った成果を出せていない。
・財政は効果はあっても限定的(だから無駄なのか、だから額を増やすべきなのかは意見が分かれる)。
・金融は一定の結果を出している(だから更に金融緩和を進めるべきか、だけど銀行貸し出しに繋がらず問題点も多々あるから縮小すべきかは意見が分かれる。インチキ云々の反論は論外)。

個人的には、海外の経済政策を評価する時と同様に失業率の数字を重視するなら、概ね評価されるべきではないかなと思います。そして年配の方々が何を言おうとも、新卒一括雇用の慣習が根強い我が国では失業率が悪化した時期に卒業を迎えるか改善した時期に卒業できるかでその後の人生が大きく変わる可能性が非常に高く、故に失業率を低下させたという一点だけでも現政権の経済政策はプラスの評価にして良いように思います。安倍政権の経済政策の全てを肯定するという意味ではなく、総合的に見ると(実質的には金融政策のお陰で)良い結果の方が上回っているのではないかと。


昨今は報道姿勢の偏りが更に顕著になったり報道内容が浅いものが更に増えている印象で何だか哀しいですが、究極的には誰がどの政党が勝利を収めようとも社会全体として良い方向に向かってくれる事を願いたいものです。例えば株価が暴落したとか年金運用がマイナスになったと言って嬉々として与党を責めるような記事ではなく、国民としてその損害を被る関係者の一員として、それをどう受け止めたら良いのかという論説を私は読みたいと思いますし、そうした視点を持つ方々が増えて欲しいものだなと思います。


最後は少し偉そうな事を書きましたが、世の中が少しでも良い方向に向かってくれるように、政治家の方々を始め一般庶民の我々も含めて、各々ができる事をできる範囲で実行したいものですね。


以上、今日はこれにて。

テーマ : 政治・地方自治・選挙 - ジャンル : 政治・経済

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